職場での勤務報告など書類はみな手書き。漢字の書き方を忘れなくてよいので、嬉々として書いている。




2000ソスN11ソスソス14ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

November 14112000

 おでんやがよく出るテレビドラマかな

                           吉屋信子

らぶれた男がひとり静かに飲んでいたり、失恋した女が「元気だしなよ」と慰められていたり……。たしかに「おでんや」は、人生の哀感をさりげなく演出するには恰好の舞台だ。テレビドラマにとっては、俳句の季語のように便利に雰囲気を出せる場所なのだ。しかし、だからといって、お手軽な出しすぎはわずらわしいと作者は鼻白んでいる。さすがは、ドラマ作りに明け暮れている小説家である。目のつけ所が違う。自分だったら、ここで「おでんや」は出さないのになどと、いちいちそういうふうにテレビを見てしまうのだ。なんだか気の毒にも思えてくる視聴者だけれど、誰であれ職業で培った目は、ちょっと外しておくというわけにもいかない。刑事物を見る本物の刑事や、看護婦物を見る本物の看護婦なども、いろいろと気になって仕方がないでしょうね。かくいう私も、編集者物を見かけると、現実とのあまりの違いに笑いだしたくなってくる。本物の「おでんや」の大将だって、掲句のようなドラマを見たら、作者以上に鼻白むはずだ。大人が見るに耐えるテレビドラマが少ないのは、このあたりにも一因があるのだろう。季語の「おでん」をまぜておけば、一応は俳句らしくはなるのだけれど、鼻白む読者が多かったりする「俳句」と同じことである。ちなみに、作句は1960年(昭和35年)の三月。まだ、テレビのある家庭は少なかった。『吉屋信子句集』(1974)所収。(清水哲男)


November 13112000

 落葉降る天に木立はなけれども

                           辻貨物船

葉、しきり。といっても、作者は木立のなかを歩いているわけではない。ごく普通の道に、どこからか風に乗って次から次へと落葉が降ってくるのだ。さながら「天に木立」があるように……。詩人・辻征夫の面目躍如の美しい句である。作者のいる場所は寒そうだが、読者には暖かいものが流れ込んでくる。「なけれども」は「あるように」とも言えるけれど、やはり「なけれども」と口ごもったところで、句が生きた。なんだか、本当に「天に木立」があるような気がしてくるではないか。技巧など弄していないので、それだけ身近に詩人の魂の感じられる一句だ。ちょっと似たような句に、今井聖の「絶巓の宙に湧きくる木の葉かな」がある。「絶巓(ぜってん)」は、山の頂上のこと。切り立った山なのだろう。作者はそれを見上げていて、頂上に湧くように舞い上っている落葉を眺めている。落葉している木立は山の背後にあって、作者の位置からは見えていない。見えていると解してもよいが、見えていないほうが「湧きくる」の意外性が強まる。木立は「なけれども」、その存在は「木の葉」の様子から確認できるととったほうが面白い。切れ味のよい力感があって、素晴らしい出来栄えだ。両者の違いは、ともに木立の不在を言いながら、辻句はいわば「夢の木立」に接近し、今井句は「現実の木立」に近づいているところだ。相違は、詩人と俳人の物の見方の違いから来るのだろうか。井川博年編『貨物船句集』(2000)所収。(清水哲男)


November 12112000

 秋の暮水のやうなる酒二合

                           村上鬼城

酌。「二合」が、実によく利いている。「一合」では物足らないし「三合」では多すぎる。では「二合」が適量なのかと言われても、そう単純に割り切れることでもないのであり、なんとなく間(あいだ)を取って「二合」とするのが、酒飲みの諸般の事情との折り合いの付け方だろう。そのささやかな楽しみの「二合」が、今日はおいしくない。「水のやう」である。鬼城は裁判所(群馬・高崎)の代書人として働いていたから、何か職場で面白くないことでもあったのだろうか。気分が悪いと、酒もまずくなる。静かな秋の夕暮れに、不機嫌なままに酒を舐めている男の姿には、侘びしさが募る。ところが先日、図書館で借りてきた結城昌治の『俳句は下手でかまわない』(1989・朝日新聞社)を読んでいたら、こう書いてあった。「体に悪いから家族の方がお酒を水で薄めちゃったんじゃないかと思います。本人はそれに気がついている」。そうだろうか。だとしたら、まずいのは当たり前だ。ますますもって、侘びしすぎる。句の読み方にはいろいろあってしかるべきだけれど、ちょっと結城さんの読みには無理があるような気がした。「水のやうなる」とは、普段と同じ酒であるのに、今日だけは例外的にそのように感じられることを強調した表現だろう。当然「水のやうなる酒」にコクはないが、掲句には人生の苦さに照応した味わい深いコクがある。『鬼城句集』(1942)所収。(清水哲男)




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