はやくも(でもないのかナ)忘年会への誘いがいくつか……。元気なうちに、みんなと会っておこう。




2000ソスN11ソスソス13ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

November 13112000

 落葉降る天に木立はなけれども

                           辻貨物船

葉、しきり。といっても、作者は木立のなかを歩いているわけではない。ごく普通の道に、どこからか風に乗って次から次へと落葉が降ってくるのだ。さながら「天に木立」があるように……。詩人・辻征夫の面目躍如の美しい句である。作者のいる場所は寒そうだが、読者には暖かいものが流れ込んでくる。「なけれども」は「あるように」とも言えるけれど、やはり「なけれども」と口ごもったところで、句が生きた。なんだか、本当に「天に木立」があるような気がしてくるではないか。技巧など弄していないので、それだけ身近に詩人の魂の感じられる一句だ。ちょっと似たような句に、今井聖の「絶巓の宙に湧きくる木の葉かな」がある。「絶巓(ぜってん)」は、山の頂上のこと。切り立った山なのだろう。作者はそれを見上げていて、頂上に湧くように舞い上っている落葉を眺めている。落葉している木立は山の背後にあって、作者の位置からは見えていない。見えていると解してもよいが、見えていないほうが「湧きくる」の意外性が強まる。木立は「なけれども」、その存在は「木の葉」の様子から確認できるととったほうが面白い。切れ味のよい力感があって、素晴らしい出来栄えだ。両者の違いは、ともに木立の不在を言いながら、辻句はいわば「夢の木立」に接近し、今井句は「現実の木立」に近づいているところだ。相違は、詩人と俳人の物の見方の違いから来るのだろうか。井川博年編『貨物船句集』(2000)所収。(清水哲男)


November 12112000

 秋の暮水のやうなる酒二合

                           村上鬼城

酌。「二合」が、実によく利いている。「一合」では物足らないし「三合」では多すぎる。では「二合」が適量なのかと言われても、そう単純に割り切れることでもないのであり、なんとなく間(あいだ)を取って「二合」とするのが、酒飲みの諸般の事情との折り合いの付け方だろう。そのささやかな楽しみの「二合」が、今日はおいしくない。「水のやう」である。鬼城は裁判所(群馬・高崎)の代書人として働いていたから、何か職場で面白くないことでもあったのだろうか。気分が悪いと、酒もまずくなる。静かな秋の夕暮れに、不機嫌なままに酒を舐めている男の姿には、侘びしさが募る。ところが先日、図書館で借りてきた結城昌治の『俳句は下手でかまわない』(1989・朝日新聞社)を読んでいたら、こう書いてあった。「体に悪いから家族の方がお酒を水で薄めちゃったんじゃないかと思います。本人はそれに気がついている」。そうだろうか。だとしたら、まずいのは当たり前だ。ますますもって、侘びしすぎる。句の読み方にはいろいろあってしかるべきだけれど、ちょっと結城さんの読みには無理があるような気がした。「水のやうなる」とは、普段と同じ酒であるのに、今日だけは例外的にそのように感じられることを強調した表現だろう。当然「水のやうなる酒」にコクはないが、掲句には人生の苦さに照応した味わい深いコクがある。『鬼城句集』(1942)所収。(清水哲男)


November 11112000

 校庭の土俵均され秋の雲

                           塩谷康子

目(ほうきめ)も鮮やかに、土俵が均(なら)されている。縹渺(ひょうびょう)と雲を浮かべて、天はあくまでも高い。好天好日。作者は上機嫌だ。はじめは、これから相撲大会でもはじまるのかなと思ったが、休日の学校風景だろうと思い直した。そのほうが、句の味が濃くなる。たまさか子供らのいない校庭に入ると、不思議な緊張感にとらわれる。学校嫌いだった私だけの感じ方だろうが、なぜか授業中にひとり校庭にたたずんでいるような……。終業のベルが鳴ったら、みんなが昇降口からどっと出てくるような……。もうそんなことは起きないのだと思い直して、やっと安心する。そこで、作者と同じ上機嫌になる。そんな回路でしか、学校句は読めない。ところで、いまどきの学校に土俵はあるのだろうか。句集をひっくり返してみたら、作者は横浜市在住である。きっと近所の学校にあるのだろうけれど、かなり珍しいのではないか。昔は、四本柱の土俵がどこの学校にもあった。当然、男の子は体操の時間に相撲を取らされた。取るといってもねじり倒しっこみたいなもので、当人同士は真剣でも傍目には不格好だ。非力だが、嫌いじゃなかった。力いっぱい取り組んだ後は、負けても爽快感が残ったからだ。取っ組み合いの喧嘩でも同じで、身体と身体を直接ぶつけ揉み合う行為には、奇妙な恍惚感がある。なんだろうなあ、あれは……。中学を出て以来、ついぞそんな気持ちを味わえないままに、ここまで来てしまった。『素足』(1997)所収。(清水哲男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます