20世紀も、後100日。「21世紀まで生きられるかなあ」「ムリだろうねえ」とは、小学校時代の会話。




2000ソスN9ソスソス22ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

September 2292000

 われ小さく母死ぬ夢や螽斯

                           小倉一郎

者には申し訳ないが、季語「螽斯(きりぎりす)」の「斯」の表記には虫偏がつく。さて、俳句の「われ」は作者の「われ」であると同時に、読者の「われ」でもなければならない。主体を他者と共有するところが、この短い文学様式の一大特徴だと、長い間「オレがワタシが」の自由詩を書いてきた「私」などには感じられる。このことは、季語を通して時空間を共有することにもつながっている。俳句という表現装置の根底にあるこのメカニズムを踏み外したところに、私の関わる自由詩の存在理由もあるのだけれど、その議論はいまは置いておく。見られるように、掲句の「われ」はそのまま私たちの「われ」になっており、「螽斯」の時空間もまた、私たち読者のものである。だから、この一行は「俳句」なのだ。俳句以外のなにものでもない。と、ここまでは前提。このように主体を読者と共有したとき、なお作者の主体が掲句に感じられるのは、何故だろうか。それは、しぶとくも「夢」に内蔵されたテンスの二重性による。この「夢」は、子供の時に見た夢でもあり、現在の作者が見た「夢の夢」でもある。どちらかと問われても、誰にも答えられまい。作者は、意図的にそこを突いている。「曖昧」にではなく「正確」に、だ。こういう仕掛けができるから、俳句は面白いのである。句は優しく軟らかいのに、固い話になってしまった。小倉一郎は、テレビでもよく見かける俳優。俳号は「蒼蛙(そうあ)」。ご本人にそう言われると、なんとなく似ているような……。『小倉一郎句集「俳・俳」』(2000)所収。(清水哲男)


September 2192000

 返球の濡れてゐたりし鰯雲

                           今井 聖

野球。カーンと打たれて、球は転々外野手のはるか彼方の草叢へ。ようやく返ってきたボールは、濡れていた。早朝野球で朝露がついたとも読めるが、濡れたのは、昨夜の雨のせいだ。そうでないと、頭上の「鰯雲(いわしぐも)」が輝かない。この雨では、明日の野球は無理かな。天気予報も雨を告げていることだし、あきらめて寝てしまい、起きてみたら何ということか、快晴ではないか。この嬉しさは、経験の無い人にはわからないだろう。その昔、仲間とチームを作っていたときに、何度か体験した。雨の夜、何回も起き出しては雨の様子をうかがったものだ。ただし、夜に入っての土砂降りは、まず絶望的。翌日晴れても、グラウンドそのものが乾かないからだ。あくまでも、しとしと雨。「しとしと」故、それだけ期待も抱けるのである。したがって掲句は、単にワンプレイを詠んだのではなく、野球が今日こうしてこの場でできている嬉しさを詠んだものだ。作者は、よほどの野球好きだと拝察する。探してみると、野球の句は案外たくさん詠まれているが、その多くは勝ち負けの感情に関わったもので、句のようにプレイ中の心情に触れたものは少ない。わずかに子規のベースボール句や歌には見えるものの、粗っぽすぎるところが難点だ。野球観そのものに、今日とは違いがあったせいもあるけれど、公平に考えて、今井聖の句の方に軍配を上げざるを得ない。『谷間の家具』(2000)所収。(清水哲男)


September 2092000

 秋晴や薮のきれ目の渡船場

                           鈴鹿野風呂

風呂(のぶろ)とはまた古風な俳号だが、1971年に亡くなっているから現代作家だ。京都の人。薮の小道を通っていくと、真っ青な空の下にある小さな渡船場が眼前に開けた。そこに、客待ちの舟が一艘浮かんでいる。「やれ嬉しや」の安堵の目に、何もかもがくっきりとした輪郭を持つ風景が鮮やかだ。読者もまた、作者とともにこの風景を楽しむのである。川を横切る交通手段に舟を用いたのは、掲句からもうかがえるように、古い時代ばかりじゃない。たとえば、東京の青梅線は福生駅から草花丘陵に行くには、多摩川にかかる永田橋という橋を渡るが、土地の人はいまでも「渡船場」と言う。私が草花に移住した1952年(昭和27年)には、既に木造の永田橋はかかっていたけれど、やっつけ仕事で作ったような橋の姿からして、戦後もしばらくは舟で渡っていたようだった。草花では「とせんば」と言うが、掲句では「とせんじょう」だろう。虚子門の俳人が、極端な字足らず句を詠むはずもないので……。ところで「秋晴」や「冬晴」はあっても、「春晴」や「夏晴」はない。澄み切った大気のなかの上天気が「晴」なのである。「日本晴」は秋だけだろう。この句をみつけた『大歳時記・第二巻』(1989・集英社)の解説(辻恵美子)によれば、江戸期に「秋晴」の句はないそうだ。かわるものとして「秋の空」「秋日和」があり、「秋晴」の季題は子規にはじまるという。「秋晴るゝ松の梢や鷺白し」(正岡子規)。覚えておくと、たとえ作者の俳号が古風でも、「秋晴」とあれば近現代の句だとわかる。(清水哲男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます