重陽(本来はむろん旧暦)。「声のライブラリー」収録のため、久しぶりに日本近代文学館行きです。




2000ソスN9ソスソス9ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

September 0992000

 別荘を築きて置くぞ大銀河

                           中川清彌

内稔典さんから、新著『俳句的人間 短歌的人間』(岩波書店)をいただいた。掲句は、集中の「楽しい辞世の句」に引用されている句だ。といっても、これは坪内さんが『一億人のための辞世の句』(蝸牛社)のために、全国から募集したなかの一句だから、作者が亡くなっているわけではない。いま死ぬとしたら、こんな句を作りますよということである。句意は「私が先に行って、大銀河の一等地に別送を築いておくから、何も心配しないで後からお出で」と、そんなところ。銀河に別荘とは豪勢だが、作者はよほど現実世界での別荘に憧れていると読める。この世ではかなわない夢を、あの世で果たそうというわけだ。イジマシくも、イジラしい。そして、優しい人柄……。坪内さんも書いているように、辞世句の試みなど、死をもてあそぶものだと反発する人もいるだろう。しかし、その気になって試みてみると、これがなかなかに面白い。たった十七文字に、いわば自分の生涯を凝縮させるわけだから、あれこれと悩み推敲しているうちに、時間がどんどん経ってしまう。自己発見の面白さ。でも、死は待ってくれないので、どこかで思い切ることも必要だ。とにかく、自分の地金があらわになることだけは必定で、秋の夜長の過ごし方の一法としてお薦めしておきたい。(清水哲男)


September 0892000

 手拭に桔梗をしほれ水の色

                           大高源五

古屋から出ている俳誌「耕」(加藤耕子主宰)をご恵贈いただいた。なかに、木内美恵子「赤穂義士・大高源五の俳句の世界」が連載されていて、飛びついて読んだ。源五が俳人(俳号・子葉)であり、其角と親しかったのは知っていたが、きちんと読んだことはない。掲句は、木内さんが九月号に紹介されている句で、一読、賛嘆した。詠んだ土地は、江戸から赤穂への途次に宿泊した見付の宿(現・静岡県磐田市)だと、これは源五が書いている。残暑の候。そこに「丸池」という美しい池があり、源五は首に巻いていた「手拭」を水に浸した。池辺には、桔梗の花(と、これは私の想像)。「しほれ」は「しぼれ(絞れ)」である。句は、桔梗を写す水に浸した真っ白い手拭いを絞るときに、桔梗の花のような色彩の「水の色」よ、出でよと念じている。念じているというよりも、桔梗色の水が絞り出されて当然という感覚だ。「桔梗をしほれ」とは、そう簡単には出てこない表現だろう。本当に、桔梗の花を両手で絞るかの思いと勢いがある。源五がよほど俳句を修練していたことがうかがえるし、その前に、動かしがたい天賦の才を感じる。其角とウマが合ったのも、わかる気がする。赤穂浪士切腹に際して、其角が次の句を残したのは有名だ。「うぐひすに此芥子酢はなみだかな」。源五を生かしておきたかった。(清水哲男)


September 0792000

 秋の雲ピント硝子に映りけり

                           籾山庭後

書に「海岸撮影」とある。詠まれたのは、明治末期か、大正初期だ。海岸の写真を撮るべく写真機をセットしたら、ファインダー(ピント硝子)に雲が映った。その雲の形は、既に秋のそれだった。それだけの写生句だが、写真機を通じて秋の雲にはじめて気がついたところに、作者の喜びが表現されている。「映りけり」が、それを伝えている。写真の面白さの第一歩は、このあたりにあるのだろう。人間の目は、あらゆる風景や物などを、いわば勝手に見ているので、見ているはずが気がつかないことも多い。作者の肉眼には海岸の形状だけが見えていて、その上に浮かぶ雲などは、見えてはいても見ていなかったのである。それが写真機の「ピント硝子」を覗いてみると、見えていなかった雲までが形として鮮明に飛び込んできた。写真機の目は風景を切りとり、切り取ったシーンについてはすべてを公平に映し出すから、人間の目とは似て非なる目だ。ましてや、この写真機はピントとフレームを決めたら、フィルムならぬ「乾板(かんぱん)」を差し込んで写すタイプのもの。撮影者が「ピント硝子」を見るためには、黒い布を被らなければならない(昔の学校に来た写真屋さんが、そんな格好で記念写真を撮ってくれましたね)。黒い布で自分の目が現実の外界から遮断されることで、余計に、それまで見えていなかったものが見えてくる理屈となる。「ピント硝子」は、磨りガラス製。海岸風景は、逆さまに映っている。『江戸庵句集』(1916)所収。(清水哲男)




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