勤務レポートは手書きで書く。面倒くさいが、手書きゆえの楽しみもある。忘れた漢字は辞書で引く。




2000ソスN8ソスソス23ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

August 2382000

 あの雲は稲妻を待たより哉

                           松尾芭蕉

ロゴロッと鳴ってピカーッと来る閃光。あれを「稲妻」とは言わない。古人曰く「光あつて雷ならざるをいふなり」。すなわち、秋季に「音も交えず、雨も降らさず、夜空を鋭く駆ける」(角川歳時記)光りが「稲妻」だ。ちょっとした遠花火の趣きもある。句の「待」は「まつ」と読み下す。夜空を遠望して、あの雲の様子ではそろそろ「稲妻」が現われるぞ。と、ただそれだけの句。「稲妻」の予兆を「たより」としたのが技といえば技だが、感心するほどのものでもない。それよりも注目すべきは、句の主体だろう。詠んだのは芭蕉に違いないが、べつに芭蕉に教えてもらわなくても、このような予感は当時の人々の常識であった。それを、芭蕉がわざわざ詠んだところに「俳句」がある。つまり、この句の真の主体は、芭蕉を含む共同社会なのだ。「みんな」が主語なのである。誰もが感じていることを、芭蕉が作品として書きつけたわけだ。正直言って、面白い句ではない。作者の発見がないからである。でも、考えてみれば、俳句は短い詩型であるだけに、誰が書こうと共同社会が究極の(隠されてはいても)主体なのだという認識を、作者が欠いてしまったら「俳句」にはならない。理解不能になるだけである。その意味からすれば、面白みはないとしても、この一行は「俳句」だとしか言いようガない。「オレが、ワタシが」では「俳句」にはならないのである。「俳句」の説得力は、ここに根ざしていないかぎり、常に空振りとなるだろう。面白くない句が何故面白くないかを考えるとき、かなりの確率で問題はここに帰着する。そんな気持ちで掲句に戻ると、悪くはないなという気もしてくる。テレビの天気予報官なら、早速使いたくなるはずの一句だ。(清水哲男)


August 2282000

 秋桜好きと書かないラブレター

                           小枝恵美子

ッと読むと、「なあんだ」という句。よくある少女の感傷を詠んだにすぎない。でも、パッパッパッと三度ほど読むと、なかなかにしぶとい句だとわかる。キーは「秋桜」。つまり、コスモスをわざわざ「秋桜」と言い換えているわけで、この言い換えが「好きと書かない」につながっている。婉曲に婉曲にと、秘術(?!)をつくしている少女の知恵が、コスモスと書かずに「秋桜」としたところに反映されている。ラブレターは、自己美化のメディアだ。とにかく、自分を立派に見せなければならない。それも、できるかぎり婉曲にだ。さりげなく、だ。そのためには、なるべく難しそうな言葉を選んで「さりげない」ふうに書く。「秋桜」も、その一つ。で、後年、その浅知恵に赤面することになる。掲句で、実は作者が赤面していることに、賢明なる読者は既にお気づきだろう。以下は、コスモスの異名「秋桜」についての柴田宵曲の意見(『俳諧博物誌』岩波文庫)。「シュウメイギク(貴船菊)を秋牡丹と称するよりも、遥か空疎な異名であるのみならず秋桜などという言葉は古めかしい感じで、明治の末近く登場した新しい花らしくない。(中略)如何に日本が桜花国であるにせよ、似ても似つかぬ感じの花にまで桜の名を負わせるのは、あまり面白い趣味ではない。(中略)秋桜の名が広く行われないのは、畢竟コスモスの感じを現し得ておらぬ点に帰するのかも知れない」。さんざんである。同感である。『ポケット』(1999)所収。(清水哲男)


August 2182000

 子にうすれゆく方言よ蕎麦の花

                           神原教江

麦(そば)の花が咲きはじめると、そろそろ夏休みもおしまいだ。子供のころには、夏休みが退屈だったくせに、あの白い花が風に揺れている様子に寂しい気持ちもしたものだ。掲句の作者は、もっと寂しい。帰省中の子供が、間もなく都会に去っていくのである。大学生だろうか。休みに帰って来るたびに、言葉遣いが「都会モン」らしくなってくる。方言を毛嫌いするかのようにも、うかがえる。方言には発音の仕方も含まれるので、そのあたりも都会風になっているのだろう。母親としては、そんな子供を一方では頼もしいとは思うのだが、他方ではついに「子離れ」の時期が到来したと感じている。そのことを口にするわけではないけれど、胸の内に寂しさが募るのはどうすることもできない。蕎麦は、元来が山畑などの痩せた土地に植えられた。逞しい植物とも見えるし、哀れとも見える。姿カタチも、全体としては美しいとは言えない。言うならば、雑草同然。だから、頼りなげな白い花が、ひとしお感傷を誘うのだ。戦後の岡本敦郎(武蔵野市でご健在です)の大ヒット曲に、「白い花の咲く頃」(1950)がある。田村しげるの詞には、何の花とも書かれていないが、中学生の私は聞いた途端に「蕎麦の花」を思った。「……さよならと言ったら、黙ってうつむいていたお下げ髪。悲しかったあのときの、あの白い花だよ」。故郷を後にして、若者が都会に出はじめたころの流行歌だった。『俳句の花・下巻』(1997)所載。(清水哲男)




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