介護サービス事業に参入した企業の撤退があいついでいる。年寄りをナメるなよ。わかったか。




2000ソスN8ソスソス2ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

August 0282000

 まくなぎをはらひ男をはらふべし

                           仙田洋子

川版歳時記による「まくなぎ」の説明。「糠蚊の一種で、ひと固まりになって上下にせわしく飛んでいる。夏の野道などで、目の前につきまとい、はなはだ小うるさい。黒色をしていることはわかるが、あまり近くで飛ぶため、はっきり見定めがたい」。また河出版には「俗に糠蚊という虫で、種類が多い。夏の夕方、野道で人の顔の高さぐらいのところに微細な虫が群れ飛んでいて、顔につきまとい、目に入ったりして、うるさい。払っても離れない。ときには人の血を吸うものもいる」とある。この「糠蚊」の部分を「男」に入れ替えると、掲句の「はらふべし」の必然性が明瞭になる。それにしても、こうはっきりと言われては、どんな男だって引き下がるしかないだろう。まいりました、失礼しました。そんな女心に気がついてかつかないでか、後藤夜半に「まくなぎのまとふ眦美しや」がある。「眦」は「まなじり」。この男もまた、即刻「はらふべし」か、どうか(笑)。なお、掲句の原文は最初から平仮名表記だが、「まくなぎ」の漢字はひどくややこしい。夜半は漢字を使っているのだけれど、第二水準漢字にも入っていないので表示できなかった。この漢字も、我が辞書から打ち「はらふべし」。『今はじめる人のための俳句歳時記・夏』(1997)所載。(清水哲男)


August 0182000

 橋の名を残せる暗渠夾竹桃

                           星野恒彦

渠(あんきょ)は、蓋で覆った水路。いつのころからか、東京辺りでは川や溝にどんどん蓋をしはじめた。私の近所で言えば、三鷹駅ホーム延伸工事に伴う玉川上水への蓋。少しでも土地を広げようとしたわけだが、水の流れが地下に消えた分だけ、地上の潤いがなくなってしまった。物理的にも、精神的にも……。掲句のように、橋のかかっていたところには、消えた橋を惜しんで、名前をとどめた標識があったりする。はじめての町などで見かけると、思わず立っている地べたを見つめてしまう。周辺では、いまを盛りと夾竹桃が咲いている。このときに作者の心をよぎったのは、ここに水が流れていたころの川辺の情景だ。炎天下の夾竹桃は暑苦しさを助長するが、元来がここは水辺であったことを知ると、暑苦しさを割り引きしなければならない気分になる。そんな一瞬の微妙な気持ちの変化をとらえた句だ。べつに暑さがやわらぐわけではないけれど、なんだか納得はできたということ。人は納得の動物でもある。「暗渠夾竹桃」の漢字のたたみかけが見事。一つ一つの漢字に、作者の心理の微妙な揺れ具合が見て取れるようだ。漢字のある国に生まれた幸運すら感じさせられる。『麥秋』(1992)所収。(清水哲男)


July 3172000

 今植し竹に客あり夕すゝみ

                           佐久間柳居

柳居
ーデニング(園芸)隆盛の折りから、この江戸期の作者の気持ちに同感という読者も多いことだろう。庭の一角にあしらうべく竹を植え、よい景色になった。ひとり満足して眺めていると、折りよくも客がやってきた。こういうときには、誰かに見てもらいたい気持ちが起きる。「どうですかね」「ほお、見事なもんですな」といったやりとり。涼しい風も吹いてきて、一汗かいた肌に心地よい。素直な喜びの情が、読者にも涼やかな風を送ってくる。掲句は、1765年(明和二年)に京都で刊行された『俳諧百一集』に載っている。書名は「百人一句集」の意。芭蕉からはじめて麦林(乙由)で終わる百人を選び、それぞれに一句と肖像を配した木版本だ。句には編者である康工の寸評が付されており、なんだか当欄みたいな趣き(笑)。「江戸俳人名鑑」というところである。以前から本書を手元で見たいと思っていたが、一昨日の句会で江東芭蕉記念館に出かけた際に、復刻版を入手することができた。ちなみに、掲句に付された寸評は「人にも見せたきをりから客来て 心と共に涼しく興セし風情尤も優長也」というものだ。(清水哲男)




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