ひさしぶりに詩を書いた。不思議なもので、しばらく書かないでいると、書き方がわからなくなる。




2000ソスN7ソスソス22ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

July 2272000

 川上に北のさびしさ閑古鳥

                           岡本 眸

古鳥(かんこどり)は郭公(かっこう)の別称。「かっこ鳥」とも。初夏から明るい野山で鳴いているが、どこか哀愁を誘うような鳴き声で親しまれている。「岩手行四句」のうちの一句だから、川は北上川だ。「川上に北」と舌頭に転がせば、おのずから「北上川」に定まる仕掛けになっている。こんなところにも、俳句ならではの楽しさがある。そして「北のさびしさ」とは、渋民村(現在の岩手郡玉山村大字渋民)の石川啄木に思いを馳せての感傷だろう。もちろん「やはらかに柳あをめる/北上の岸辺目に見ゆ/泣けとごとくに」の一首も、感傷の底に流れている。芭蕉に「うき我をさびしがらせよかんこどり」があるように、このときの閑古鳥の鳴き声は、いやが上にも作者の感傷の度合いを高めたのである。澄み切った青空に入道雲が湧き、川面はあくまでも清冽に明るく流れ、寂しげな閑古鳥の声が聞こえてくる。心身ともにとろけるような感傷に浸るのも、また楽し。旅情を誘う好句だ。私はこの五月に出かけてきたばかりだが、また北上川を見に行きたくなった。今日も、しきりにカッコーと鳴いているだろう。『矢文』(1990)所収。(清水哲男)


July 2172000

 女等昼寝ネオンの骨に蝉が鳴く

                           ねじめ正也

者は東京・高円寺で乾物店をいとなんでいた。店は常時開けてあるので、みなでいっせいに昼寝というわけにはいかない。妻や母などの「女等」が昼寝をしている間の店番だ。それでなくとも人通りの少ない炎天下、客の来そうな気配もないけれど……。所在なくしていると、ヤケに近くで蝉が鳴きはじめた。目でたどっていくと、ネオンを汲んだ「骨」にとまって鳴いている。いかにも暑苦しげな真昼の「町」の様子が、彷彿としてくる。作者の立場もあるが、炎天にさらされた「町」の情景を、店の中から詠んだ句は珍しいのではなかろうか。「ネオンの骨」には、うっとうしくも確かな説得力がある。句歴の長い人だが、句集は晩年に一冊しかない。子息のねじめ正一の新著というか母堂との共著である『二十三年介護』(新潮社)を読むと、そのあたりの事情がはっきりする。そろそろ句集をと人がすすめると、作者はいつも「そんなもん出せるか」と怒っていたそうだ。たった一冊の句集は、予断を許さぬ病床にあった父への、子供たちからのプレゼントだった。活字になっていないものも含めると、句稿は段ボール三箱分もあったという。『蝿取リボン』(1991・書肆山田)所収。(清水哲男)


July 2072000

 登山杖どちらの店のものなるや

                           森田 峠

名な山の登山口には、山の用品や弁当や土産物などを売る店がひしめいている。東京で言えば、高尾山のようなところにも、そんな店が何軒か庇をつらねている。言われてみると、なるほど、店の外に出して売られている杖は、必ずどちらかに雪崩れていて、どちらの店のものか、買う身としては困惑する。店の人にはすぐわかるのだろうが、あれは親切な置き方じゃない。「峠」という名の俳人だって(笑)、戸惑うくらいなのだから……。私は山の中の育ちだから、まさか高尾山程度の山では、杖は求めない。あんな山にケーブルカーまで走らせているのは、どういう了見からなのか。買ったのは、二度の富士登山のときくらいだ。富士に「二度登る馬鹿」と言われるが、二度とも雪崩れているなかから買った。といって、重装備で行く「登山」の経験はない。かつての山の子としては、せっかく平地で暮らしているのに、何を好んで険しい山に登るのかがわからなかった。「娘さんよく聞けよ、山男にゃ惚れるなよ」など、つまらない見えっ張りの都会男の歌だと思っていた。いまでは少し考えを改めたけれど、なけなしの体力を消耗してまで山に登ろうとは思わない。もう二度と、掲句のような場面に遭遇することもないだろう。ちなみに、アメリカの有名なスポーツ誌「Sports Illustrated」の創刊号の表紙は「登山」シーンだったという。百年ほど前のこと。ついでに、日本のまあまあ有名な「Number」のそれは「重量挙げ」だった。『避暑散歩』(1973)所収。(清水哲男)




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