昨日の続き。カップ麺のカップはプラスチック容器で、CDのプラスチック外箱は容器じゃないんだと。




2000ソスN7ソスソス12ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

July 1272000

 暑き日を海に入れたり最上川

                           松尾芭蕉

上川の河口は酒田(山形県)だ。いましも、遠い水平線に真っ赤な太陽が沈もうとしている。その情景を「沈む」と抒情せず、最上川が太陽を押し「入れたり」と捉えたところに、芭蕉の真骨頂がある。最上川の豊かな水量とエネルギッシュな水流とが想像され、また押し「入れ」られてゆく太陽の力感も想起され、読者はその壮大なポエジーに圧倒される。初案は「涼しさや海に入たる最上川」だったという。このときに「入たる」を「いりたる」と読んでしまうとさして面白みはない句になるが、掲句と同様に「いれたる」と読めば、句はにわかに活気を帯びて動き出す。つまり、最上川が自分自身を悠々として海に「入れた」ということになり、情景は雄大なスケールのなかに浮き上がってくる。ただ、この情景が「涼しさ」に通じるかどうかについては、意見の分かれるところだろう。芭蕉としても地元への挨拶としての「涼しさ」(真夏というのに、当地は涼しくて良いところですね)の使用だったろうから、はじめから若干の無理は感じていたのかもしれない。捨てがたい味わいを持つが、やはり掲句の格が数段上である。(清水哲男)


July 1172000

 針葉のひかり鋭くソーダ水

                           藤木清子

葉とは、この場合は松葉だろうか。たとえば、台風一過の昼さがり。澄んだ大気のなかに日が射してきて、庭の松葉の一本一本がくっきりと見えるほどに鮮やかだ。そして、テーブルの上には清涼感に満ちたソーダ水。その発泡も鮮やかである。すべてのものの輪郭がくっきりとしている情景に、作者の心も澄み切っている。生きる活力が湧いてくるようだ。作者には同じような心情の「蒼穹に心触れつつすだれ吊る」などがあるが、他方では「麻雀に過去も未来もなきおのれ」などの鬱屈した句も多い。1935年(昭和十年)に創刊された日野草城の「旗艦」に出句。新興俳句の最初の女性として将来を嘱望されたが、わずか四年にも満たない活動の後に、「ひとすじに生きて目標うしなへり」を残し、忽然として姿を消してしまった。現在に至るも生年も出身地も不明、生死も不明のままだ。最後の句から掲句を透視してみると、人生にきっちり折り目をつけないと気のすまぬ性格だったのかもしれない。なお藤木清子については、中村苑子がもう一人の幻の女流俳人・鈴木しづ子(当歳時記既出)と並べて、発売中の「俳句研究」(2000年7月号)に愛惜の思いを込めて書いている。『女流俳句集成』(1999・立風書房)所載。(清水哲男)


July 1072000

 夏河を越すうれしさよ手に草履

                           与謝蕪村

語は「夏の川」。夏の川は、梅雨時から盛夏、晩夏と季のうつろいにしたがって、さまざまな表情を見せる。蕪村は「河」と書いているが、句のそれは丹後(現在の京都府)は与謝地方の小川だったことが知れている。川底の小石までがくっきりと見える清らかな真夏の小川だ。深さは、せいぜいが膝頭くらいまでか。草履(ぞうり)を手に持ち、裾をからげてわたっていく「うれしさ」が、ストレートに伝わってくる。作者はこのとき、すっかり子供時代にかえって、うきうきしているようだ。べつに、わたる先に用事があったわけじゃない。思いついて「たわむれ」に川に入ったということ。そのことは「手に草履」が示していて、「たわむれ」ではなかったら、あらかじめ草履ではなく、はいたままでわたれる草鞋(わらじ)を用意していたはずだからだ。わざわざ「手に草履」と書いたのは、あくまでも私の行為は「たわむれ」なのですよと、同時代の読者にことわっているのである。同時に「ウラヤマシイデショ」というメッセージも、ちょっぴり含んでいるような……。「企む俳人」蕪村にしては、珍しくも稚気そのままを述べた句だと「うれしく」なった。(清水哲男)




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