ボーナスは出ましたか。もらわなくなってから三十余年が経過。どーんと新宿に飲みに行った日々よ。




2000ソスN6ソスソス27ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

June 2762000

 夢に見し人遂に来ず六月尽く

                           阿部みどり女

句集に収められているから、晩年の病床での句だろうか。夢にまで見た人が、遂に現れないまま、六月が尽(つ)きてしまった。季語「六月尽(ろくがつじん)」の必然性は、六月に詠まれたというばかりではなく、会えないままに一年の半分が過ぎてしまったという感慨にある。作者はこのときに九十代だから、夢に現われたこの人は現実に生きてある人ではないように思える。少なくとも、長年音信不通になったままの人、連絡のとりようもない人だ。もとより作者は会えるはずもないことを知っているわけで、そのあたりに老いの悲しみが痛切に感じられる。将来の私にも、こういうことが起きるのだろうか。読者は、句の前でしばし沈思するだろう。同じ句集に「訪づれに心はずみぬ三味線草」があり、読みあわせるとなおさらに哀切感に誘われる。「三味線草」は「薺(なずな)」、俗に「ぺんぺん草」と言う。そして掲句は、こうした作者についての情報を何も知らなくとも、十分に読むに耐える句だと思う。「夢に見し人」への思いは、私たちに共通するものだからである。虚子門。『石蕗』(1982)所収。(清水哲男)


June 2662000

 蟻が蟻負いゆく大歓声の中

                           辻本冷湖

が蝶の羽を引いていく。その様子を見て「ああ、ヨットのようだ」と書いた詩人がいる。ほほ笑ましいスケッチではあるにしても、掲句に比べれば、かなり凡庸な発想と言わざるを得ない。同じような庭の片隅などでのスケッチにしても、句は、仲間の蟻(傷ついているのか、もはや息絶えているのか)を懸命に引いていく姿を、実際には起きていない「大歓声」を心中に起こすことで活写してみせた。「大歓声」の分だけ、蟻の世界に食い込んでいる。蟻の生命とともに、作者も生きている。「ヨット」詩人にとっては、蟻や蝶の生命なんかどうでもよいわけだが、作者にはどうでもよくはないのである。実際、この句を読むと「がんばれよ」と、思わずも手に力が入ってしまう。ちっぽけな庭の片隅が、オリンピックの競技場くらいまでに拡大される。そういえば私にも、暑い庭先にしゃがみこんで、いつまでも蟻たちの活動ぶりを眺めていた頃があったっけ。一匹ずつつまみあげては方向転換をさせてみたり、彼らの巣にバケツで水をぶち込んでみたりと、相当なわるさもしたけれど……。掲句のおかげで、ひさしぶりに子供だった頃の夏を思い出した。玄関先に咲いていた、砂埃にまみれた松葉牡丹の様子なんかもね。『現代俳句年鑑2000』(現代俳句協会)所載。(清水哲男)


June 2562000

 さし招く團扇の情にしたがひぬ

                           後藤夜半

人数の会合。宴席だろうか。とくに座る場所が定められていない場合、部屋に入ったときにどこに座ろうかと、一瞬戸惑ってしまう。見知らぬ人が多いときには、なおさらだ。ぐるりと見渡していると、向こうの方から「さし招く」団扇に気がついた。顔見知りではあるが、そんなに親しい人でもない。でも、その人のさし招きように何かとても暖かいものを感じたので、その「情」にしたがったというのである。一般的に「さし招く」など他人に合図を送る場合、手に持った物を使っての合図は失礼とされる。よほど親しい間柄であれば、箸を振り回して呼んだりもするが、これは例外。かつてボールペンだかシャープペンシルだかで記者を指名した首相もいたけれど、当人は格好よいつもりでも、この国のマナーとしては最低の部類に属する。したがって、掲句のシチュエーションを四角四面にとらえれば、やはり失礼なことには違いない。しかし「さし招く團扇」の様子に、そんなことは別と言わんばかりの「情」がこもっていたので、気持ち良くしたがえた。だから、あえて作者はこういう句を詠んだというわけだ。このとき、夜半は七十代か。本物の「情」の味が、身にしみてわかってくる年齢だろう。その点で、私などはまだまだほんの小僧でしかない。蛇足ながら、最近は、とんとこの「情」という言葉を聞かなくなった。「情」で「IT革命」はできないからね。『彩色』(1968)所収。(清水哲男)




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