山口の中学同窓会を秋の北海道でやるよと通知が来た。元気なうちに動いておこうぜ、と。そうだね。




2000ソスN6ソスソス19ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

June 1962000

 ナイターに見る夜の土不思議な土

                           山口誓子

そらく、初めてのナイター見物での感想だろう。煌々たるライトに照らし出された球場は、そのままで別世界だ。人工美の一つの極。私が初めて見たときは、玩具の野球ゲーム盤みたいだと思った。打ったり投げたりしている選手たちも、みなロボット人形のように見えた。「大洋ホエールズ」に贔屓の黒木基康外野手がいたころだから、60年代も半ばの後楽園球場だ。ナイターの現場にいるというだけで興奮していて、ゲームの推移など何一つ覚えてはいない。あのとき、私は何を見ていたのだろうか。掲句を知ったときに、さすがに研鑽を積んだ俳人の目は凄いなと感じた。人工芝などない時代だから、芝も土も自然のものである。何の変哲もない自然が、しかしナイターの光りに照らし出されている様子は、たしかに「不思議」と言うしかないような色彩と質感を湛えている。自然の「土」が、これまでに誰も見たことがない姿で眼前に展開しているのだ。試合中に、誓子は何度もその「不思議」を見つめ直したにちがいない。人工的に演出されたワンダーランドのなかにいて、すっと「土」という自然に着目する才質は、俳人としての修練を経てきた者を強く感じさせる。ちなみに、日本の初ナイターは1948年(昭和二十三年八月十七日)の巨人中日戦(横浜ゲーリッグ球場)だった。田舎の野球小僧だった私は、雑誌「野球少年」のカラー口絵でそれを知った。平井照敏『新歳時記・夏』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


June 1862000

 老境や空ほたる籠朱房垂れ

                           能村登四郎

の「ほたる籠」は、とてつもなく大きく感じられる。人間の乗る籠くらいには思える。「空(から)」が空(そら・くう)を思わせ、「朱房」が手に重い感覚を喚起するからだ。もとより、作者が見ているのは、細くて赤い紐のついた普通の小さな蛍籠だろう。句のどこにも大きく見えるとは書いてないけれど、それが大きく感じられるのは「老境」との響きあいによるものだ。老境にはいまだしの私が言うのも生意気だが、年齢を重ねるに連れて、たしかに事物は大きく鮮明に見えてくるのだと思う。事物の大小は相対的に感じるわけで、視線を活発に動かす若年時には、大小の区別は社会常識の範囲内に納まっている。ところが、身体的にも精神的にも目配りが不活発になってくる(活発に動かす必要もなくなる)と、相対化が徹底しないので、突然のように心はある一つのものを拡大してとらえるようになる。単なる細くて赤い紐が、大きな朱房に見えたりする。そのように目に見えるというよりも、そのように見たくなるというべきか。生理的な衰えとともに、人は事物を相対化せず、個としていつくしむ「レンズ」を育てていくようである。「老境」もまた、おもしろし。一抹の寂しさを含んだうえで、作者はそのようなことを言いたかった……。『菊塵』(1988)所収。(清水哲男)


June 1762000

 虚を衝かれしは首すじの日焼かな

                           飯島晴子

語は「日焼」。誰かに指摘されたのか、あるいは鏡のなかで発見したのか。女性の場合、顔や手足の強い日焼けはケアが大変だ(ろう)。だから、いつも格別に用心しているわけだが、「首すじ」の日焼けとは、たしかに「虚を衝(つ)かれ」た感じになるだろう。「首すじ」も露出しているのだから、理屈では日焼けして当然なのだが、気分的にはギョッとする。顔や腕などに比べると、日頃はほとんど意識の埒外にあるからだ。このとき「虚を衝かれ」たのは作者だが、それを句にしたことで、今度は作者が読者の虚を衝く番となった。転んでもタダでは起きぬしたたかさ。と言っても、失礼にはあたるまい。とにかく、飯島さんは読者を「あっ」と驚かす名人だった。何度読んでも、私などは「あっ」の連続で、たっぷりと楽しませていただいてきた。訃報に接したときに、すぐに思い出したのは、飯島さんの競馬好きのことだ。詳細は省略するが、飯島さんからいただいた最初のお便りには、俳句とは直接何の関係もない「競馬」のことが書かれていて、「私の競馬好きを知る人は、ほとんどいませんが……」と、イタズラっぽく結んであった。読んだ私は、もちろん「あっ」と虚を衝かれた。『儚々』(1996)所収。(清水哲男)




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