樺美智子が逝って四十年。「ひるまず進め、我らが友よ」。共に闘った諸兄姉のご健勝を祈ります。




2000ソスN6ソスソス15ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

June 1562000

 京の雨午前に止みぬ金魚鉢

                           川崎展宏

行者の句だ。言葉による絵はがきがあるとすれば、こういうものだろう。旅先ではことさらに鬱陶しく感じられる雨が、ようやく上った京の町でのスケッチ。葭簀(よしず)の掛けてある小さな店に金魚鉢が置かれているのを、ちらりと認めたというところか。雨上がりを喜ぶ心に、いかにも京都らしい風情が好もしく思えている。昨日掲載した高屋窓秋の作句態度とは異なり、川崎展宏のそれは一貫して、いわば風袋(ふうたい)を軽くする態度で書かれてきた。第一句集『葛の葉』の跋に曰く。「俳句は遊びだと思っている。余技という意味ではない。いってみれば、その他一切は余技である。遊びだから息苦しい作品はいけない。難しいことだ。巧拙は才能のいたすところ、もはやどうにもならぬものと観念するようになった」。このとき、作者は四十六歳。あくまでも、俳句が中心。その中心が「遊び」だというのだから、この態度もなかなかに辛いだろう。いつだったか、作者が俳句に目覚めた句として、芭蕉の「蛸壺やはかなき夢を夏の月」をあげた話を聞いたことがある。作者の「遊び」の意味が、少しはわかったような気がした。『葛の葉』(1971)所収。(清水哲男)


June 1462000

 百合の花超然として低からず

                           高屋窓秋

て、窓秋晩年の一句をどう読めばよいのか。表層的な意味ならば、中学生にだって理解できる。凛乎とした百合の花讃歌だ。この百合の姿かたちに、誰も異存はないと思う。「低からず」とわざわざ述べているのは、丈の高低を問題にしているからではなく、「超然とし」た花のすがたを、なお鮮やかなイメージに補強するためである。普通に読むと「超然」に「低からず」は潜在的なイメージとして浮き上がってくるはずだが、窓秋は念には念を入れている。もっと言えば、下手くそな句になることがわかっていながらの、あえての念押しなのだ。なぜだろうかと、私は立ち止まってしまった。考えてみて、以下は私の暴論に等しいかもしれぬ結論である。すなわち、このときに窓秋は、もはや読者のイメージを喚起することに空しさを覚え、みずからが築いてきた喚起装置にも疑念を抱き、逆にそれらを封印する句を作ってみたかったのではあるまいか。誰が読んでも読み間違えのない句。言葉の通り以上でも以下でもない句。つまりは、表層的にしか読みようのない句。そんな句を作りたかった……。だからこその「念押し」だったのではないか。かつて「山鳩よみればまはりに雪がふる」と書き、天下を酔わせた俳人のこの文学的帰着は、個人的作法を越えた俳句全体の問題として、なお考えてみる必要がありそうだ。『花の悲歌』(1993)所収。(清水哲男)


June 1362000

 黒栄に水汲み入るゝ戸口かな

                           原 石鼎

栄(くろはえ)は、普通「黒南風」と表記する。梅雨の雨雲が垂れ込めて、暗く陰鬱な空模様のときに吹く湿った南風を言う。対して「白南風(しらはえ)」は、梅雨明け後の空の明るいときの南風だ。「白南風や化粧にもれし耳の蔭(日野草城)」。単独に「南風」とも用い、いずれも季節風を指している。さて、水道の普及していなかった時代の朝一番の仕事といえば、水汲みだ。庭の井戸や近所の清水などから大きなバケツいっぱいに汲んできて、飲料水や台所仕事などの水を確保する。子供のころ、そんな環境に暮らしていたので、私にはよくわかる句だ。どんなに天気が悪かろうとも、水汲みだけは欠かせない。生きていくためには、まず水が必要であることを、あのときに身にしみて知らされた。だから、汲んできた水は貴重で、一滴たりともこぼすまいと用心する。作者が「戸口」をクローズアップしているのは、そのためである。強風に抗して汲んできた水を、狭い戸口にぶつけないようにと、慎重に運び入れている場面だ。こうして無事に運び込んだ水は、大きな甕などに移して溜めておく。この甕に移し終えたときの充足感は、経験者にしかわからないだろうが、荒天下の水汲みほど充足感が深いのはもちろんである。『合本俳句歳時記・第三版』(1997・角川書店)所載。(清水哲男)




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