大宰治入水の日(1948)。当時は「人喰川」と言われた玉川上水も、今ではすっかり大人しくなった。




2000ソスN6ソスソス13ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

June 1362000

 黒栄に水汲み入るゝ戸口かな

                           原 石鼎

栄(くろはえ)は、普通「黒南風」と表記する。梅雨の雨雲が垂れ込めて、暗く陰鬱な空模様のときに吹く湿った南風を言う。対して「白南風(しらはえ)」は、梅雨明け後の空の明るいときの南風だ。「白南風や化粧にもれし耳の蔭(日野草城)」。単独に「南風」とも用い、いずれも季節風を指している。さて、水道の普及していなかった時代の朝一番の仕事といえば、水汲みだ。庭の井戸や近所の清水などから大きなバケツいっぱいに汲んできて、飲料水や台所仕事などの水を確保する。子供のころ、そんな環境に暮らしていたので、私にはよくわかる句だ。どんなに天気が悪かろうとも、水汲みだけは欠かせない。生きていくためには、まず水が必要であることを、あのときに身にしみて知らされた。だから、汲んできた水は貴重で、一滴たりともこぼすまいと用心する。作者が「戸口」をクローズアップしているのは、そのためである。強風に抗して汲んできた水を、狭い戸口にぶつけないようにと、慎重に運び入れている場面だ。こうして無事に運び込んだ水は、大きな甕などに移して溜めておく。この甕に移し終えたときの充足感は、経験者にしかわからないだろうが、荒天下の水汲みほど充足感が深いのはもちろんである。『合本俳句歳時記・第三版』(1997・角川書店)所載。(清水哲男)


June 1262000

 五月雨や大河を前に家二軒

                           与謝蕪村

家でもあった蕪村のの目が、よく生きている。絵そのものと言っても、差し支えないだろう。濁流に押し流されそうな小さな家は、一軒でも三軒でもなく、二軒でないと視覚的に座りが悪い。一軒ではあまりにも頼りなく、すぐにでも流されてしまいそうで、かえってリアリティに欠ける。濁流の激しさのみが強調されて、句が(絵が)拵え物のように見えるからだ。逆に三軒(あるいはそれ以上)だと、にぎやかすぎて流されそうな不安定感が薄れ、これまたリアリティを欠く。このことから、蕪村にはどうしても「二軒」でなければならなかった。考えてみれば、「二」は物のばらける最小単位だ。したがって、不安定。夫婦などの二人組は、「二」を盤石の「一」にする(つまり「不二」にしたい)願望に発しているので、ばらける確率も高いわけである。ついでに書いておけば、手紙の結語の「不一」。あれは、「一」ではないという意味で、「以上、いろいろ書きましたが、「一」のように盤石の中身ではありませんよ」と謙遜しているのである。これが一方で、「三」となると「鼎」のように安定するのだから面白い。ところで「大河」の読みだが、専門家は「たいが」と読むようだ。でも、この句をまず言葉として読む私は、「おおかわ」に固執したい。「たいが」だなんて、日本の河じゃないみたいだからだ。もっとも、蕪村自身は「たいが」派でしょうね。そのほうが、墨絵風な味がぐっと濃くなるので……。不一(笑)。(清水哲男)


June 1162000

 走り梅雨ちりめんじゃこがはねまわる

                           坪内稔典

雨の兆し。そのただならぬ気配に、「ちりめんじゃこ」がはねまわっている。昔から鯰は地震を予知すると言われるが、「ちりめんじゃこ」も雨期を予知するのだろうか。予知して、こんな大騒をするのだろうか。そんなはずはない。そんなことはありっこない。このとき、ただならぬのは「ちりめんじゃこ」よりも作者の感覚のほうである。誰にでも、他人はともかくとして、なんとなくそんな気がするという場面はしばしばだ。独断的な感受という心の動きがある。詩歌の作者は、この独断に言葉を与え、なんとか独断を普遍化しようと試みる。平たく言えば、「ねえ、こんな感じがするじゃない」と説得を試みるのだ。その説得の方法が、俳句と短歌と自由詩と、はたまた小説とでは異なってくる。そのことから考えて、掲句の世界は俳句でしか語れないものだと思う。たとえば、詩の書き手である私は、この独断を句のように放置してはおけない。はねまわる「ちりめんじゃこ」の様態までを自然に書きたくなってしまう。書かないと、気がおさまらないのだ。したがって、こうした句をこそ「俳句の中の俳句」と言うべきではなかろうか。ふと、そう思った。なお「ちりめんじゃこ」は関西以西の呼称だろうか。東京あたりでは「しらすぼし」と言う人が多い。『猫の木』(1987)所収。(清水哲男)




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