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June 0762000

 池の鯰逃げたる先で遊びけり

                           永田耕衣

からない。と思えば、何もわからない句。客観写生句ではないからだ。でも、かと言って何かの事象の象徴句でもないし抽象句でもない。作者としては、ありのままに文字通りに、具象句として読んで欲しいのだと思う。他ならぬ私がそうなのだが、私たちはちょっと「わからない」句に出会うと、すぐに解釈したがってしまう。とにかく、理屈で解き明かそうとする。まるで病気のように、「わからない」自分が許せないのだ。だから、それこそ句を「遊べ」ない。耕衣句の多くは、そんな現代病をからかっているようにすら写る。鯰(なまず)が「逃げたる先」で、逃げたこともすっかり忘れちゃって、あっけらかんと遊んでいる。ただ、それだけのこと。いつまでもじくじくと過去にこだわらない(正確に言えば、こだわれない)鯰のありようを、作者は素朴に「いいな」と思い、その思いをそのまま読者に手渡してくれている。句に禅味があるのかどうかは知らないが、近ごろの私などには羨望に値する世界と写る。心弱き日に思い出すと、元気が出てきそうな一句だ。おっと、いけない。またぞろ悪い病気が顔を出しかけてきた……(笑)。『自選永田耕衣句集』(1980)所収。(清水哲男)




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