西鶴が住吉神社の俳諧興行で一昼夜に二万三千五百句を詠んだ日(1684)。見物に行きたかったなア。




2000ソスN6ソスソス5ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

June 0562000

 葛切やすこし剩りし旅の刻

                           草間時彦

車が出る時刻までには、まだ少し時間が剰(あま)っている。そこで小休止も兼ねて、駅近くの茶店で名物の葛切(くずきり)を賞味している。口あたりのよい葛切と旅心がマッチした粋な一刻。誰しも覚えがあるように、旅先ではこのように、ちょこちょこと時間があまってしまう。この少しあまった時間をどう使うのかも、旅を楽しむ重要なポイントだろう。土産を買いに走り回っている人、待合室で所在なげに新聞を読んでいる人。さらには私のように、どこにでもある雑誌を本屋で漫然と立ち読みする人など……。そんな時間に、旅の名人だと句のように、ちゃんとその土地ならではのものを味わっていたりするのだから敵わない。そのことが身にしみてわかるのは、帰りの列車の中だ。いままで旅してきたところの印象を語り合っているうちに、私が気がつきもしなかった数々の見聞や体験話が披露されてきて、いつも打ちひしがれる思いになる。同じように動いていても、同行のそれぞれが吸収したものは大きく違っているというわけだ。ことさらに教訓めかすつもりはないけれど、このことはおそらく、人生という旅にも当てはまりそうである。『夜咄』(1986)所収。(清水哲男)


June 0462000

 緑蔭に読みくたびれし指栞

                           辻田克巳

んやりとした日蔭での読書。公園だろうか。日差しを避けて、大きな木の下のベンチで本を読んでいるうちに、さすがにくたびれてきた。読んだページに栞(しおり)がわりに指をはさみ、あらためてぐるりを見渡しているという図。木の間がくれに煌めく夏の陽光はまぶしく、心は徐々に本の世界から抜け出していく。体験された読者も多いだろう。「指栞」が、よく戸外での読書の雰囲気を伝えている。これからの季節、緑蔭で読むのもよいが、私にはもう一箇所、楽しみな場所がある。ビアホールだ。それも、昼さがりのがらんとした店。最高の条件にあるのが、銀座のライオン本店だけれど、残念なことに遠くてなかなか足を運べない。若いころに、あそこで白髪の紳士が静かにひとり洋書を読んでいるのを見かけて、憧れた。さっそく試してみたかったが、若いのがあそこで読む姿はキザで鼻持ちならない感じになると思い、五十歳くらいまでは自重していた。で、「もう、よかろう」と思う年齢になって試してみたら、これが快適。適度なアルコールには雑音を遮る効用があるので、驚くほどに本に没入できたのだった。以来、ビアホール読書に魅入られている。当然のように、疲れると「指栞」となる。『今はじめる人のための俳句歳時記・夏』(1997・角川書店)所載。(清水哲男)


June 0362000

 夕暮に白妙ふるへ月見草

                           藤間綾子

んだ途端に「あれっ」と思った方もおられると思う。「月見草」の花が「白妙(しろたえ)」とは、はて面妖な。黄色い花じゃなかったの、と。かくいう私も、実はついさっきまで知らなかったのですから、偉そうなことは言えません。月見草の花はまさしく「白妙」であり、暗くなると淡い紅色に変化するだけで、黄色とは無縁。河原などに自生していて、私(たち)が月見草と思い込んでいる黄色い花は「待宵草(まつよいぐさ)」と言い、同じアカバナ科ながら品種は異なるのだそうな。本物の月見草は、待宵草のような逞しさがないので野生化せず、いまではごく一部で栽培されているのみ。ということは、めったに見られない花ということになり、たぶん私は見たこともないのだろう。阪神タイガースの野村克也監督が自身を月見草になぞらえた話は有名だけど、あれはどっちの(笑)月見草だったのか。本物のなよなよした白い花ではなくて、偽物の逞しさを言ったように思われますが……。長く生きていても、知らないことはたくさんありますねエ。本物で、もう一句。「月見草見つめられゐて紅さしぬ」(杉田りゅう)。青柳志解樹『俳句の花・下巻』(1997)所載。(清水哲男)




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