立候補予定者に群がるHP立ち上げ屋。無知に乗じて製作費をふっかける。なおさら選挙に金がかかる。




2000ソスN6ソスソス4ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

June 0462000

 緑蔭に読みくたびれし指栞

                           辻田克巳

んやりとした日蔭での読書。公園だろうか。日差しを避けて、大きな木の下のベンチで本を読んでいるうちに、さすがにくたびれてきた。読んだページに栞(しおり)がわりに指をはさみ、あらためてぐるりを見渡しているという図。木の間がくれに煌めく夏の陽光はまぶしく、心は徐々に本の世界から抜け出していく。体験された読者も多いだろう。「指栞」が、よく戸外での読書の雰囲気を伝えている。これからの季節、緑蔭で読むのもよいが、私にはもう一箇所、楽しみな場所がある。ビアホールだ。それも、昼さがりのがらんとした店。最高の条件にあるのが、銀座のライオン本店だけれど、残念なことに遠くてなかなか足を運べない。若いころに、あそこで白髪の紳士が静かにひとり洋書を読んでいるのを見かけて、憧れた。さっそく試してみたかったが、若いのがあそこで読む姿はキザで鼻持ちならない感じになると思い、五十歳くらいまでは自重していた。で、「もう、よかろう」と思う年齢になって試してみたら、これが快適。適度なアルコールには雑音を遮る効用があるので、驚くほどに本に没入できたのだった。以来、ビアホール読書に魅入られている。当然のように、疲れると「指栞」となる。『今はじめる人のための俳句歳時記・夏』(1997・角川書店)所載。(清水哲男)


June 0362000

 夕暮に白妙ふるへ月見草

                           藤間綾子

んだ途端に「あれっ」と思った方もおられると思う。「月見草」の花が「白妙(しろたえ)」とは、はて面妖な。黄色い花じゃなかったの、と。かくいう私も、実はついさっきまで知らなかったのですから、偉そうなことは言えません。月見草の花はまさしく「白妙」であり、暗くなると淡い紅色に変化するだけで、黄色とは無縁。河原などに自生していて、私(たち)が月見草と思い込んでいる黄色い花は「待宵草(まつよいぐさ)」と言い、同じアカバナ科ながら品種は異なるのだそうな。本物の月見草は、待宵草のような逞しさがないので野生化せず、いまではごく一部で栽培されているのみ。ということは、めったに見られない花ということになり、たぶん私は見たこともないのだろう。阪神タイガースの野村克也監督が自身を月見草になぞらえた話は有名だけど、あれはどっちの(笑)月見草だったのか。本物のなよなよした白い花ではなくて、偽物の逞しさを言ったように思われますが……。長く生きていても、知らないことはたくさんありますねエ。本物で、もう一句。「月見草見つめられゐて紅さしぬ」(杉田りゅう)。青柳志解樹『俳句の花・下巻』(1997)所載。(清水哲男)


June 0262000

 吾子着て憎し捨てて美しアロハシャツ

                           加藤知世子

手な身なりは、軽薄や不良に通ずる。旧世代は、総じてそんなふうに思いがちだ。いまどきの茶髪やピアスや厚底サンダルに違和感を抱くのも、やはり圧倒的に旧世代の人たちだろう。母親として、アロハシャツを着て得意になっている息子が心配で、心配のあまりに憎たらしくさえ見えてきた。「そんなものは捨てちゃいなさいっ」。で、いざ捨てるとなってよくよく見ると、句の心持ちになった。この気持ちのひっくり返り加減を正直に表現したところ、作者の困惑ぶりが、実に面白い。物の本によれば、アロハはホノルル在住の中国人が発案したものだという。言われてみると、なるほど中国風の色彩の美しさだ。日本には戦後渡ってきて、大流行した。なにしろお堅い歳時記ですら、季語として独立した項目を作ったくらいだから、とても無視などできなかったわけだ。その後はだんだんと「夏シャツ」の項目に吸収される傾向にあるが、現在いちばん新しい講談社の『新日本大歳時記』では、依然として独立項目の座を占めている。例句には「アロハ着て竜虎の軸を売り余す」(木村蕪城)など。ちなみに、私は一度も着たことがない。べつに旧世代の美意識に与したからではなく、単純に恥ずかしいからだ。それに浴衣と同様、あれは私のように痩せた男には似合わないと思う。『俳諧歳時記』(1968・新潮文庫)所載。(清水哲男)




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