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June 0362000

 夕暮に白妙ふるへ月見草

                           藤間綾子

んだ途端に「あれっ」と思った方もおられると思う。「月見草」の花が「白妙(しろたえ)」とは、はて面妖な。黄色い花じゃなかったの、と。かくいう私も、実はついさっきまで知らなかったのですから、偉そうなことは言えません。月見草の花はまさしく「白妙」であり、暗くなると淡い紅色に変化するだけで、黄色とは無縁。河原などに自生していて、私(たち)が月見草と思い込んでいる黄色い花は「待宵草(まつよいぐさ)」と言い、同じアカバナ科ながら品種は異なるのだそうな。本物の月見草は、待宵草のような逞しさがないので野生化せず、いまではごく一部で栽培されているのみ。ということは、めったに見られない花ということになり、たぶん私は見たこともないのだろう。阪神タイガースの野村克也監督が自身を月見草になぞらえた話は有名だけど、あれはどっちの(笑)月見草だったのか。本物のなよなよした白い花ではなくて、偽物の逞しさを言ったように思われますが……。長く生きていても、知らないことはたくさんありますねエ。本物で、もう一句。「月見草見つめられゐて紅さしぬ」(杉田りゅう)。青柳志解樹『俳句の花・下巻』(1997)所載。(清水哲男)


June 2262002

 向日葵の月に遊ぶや漁師達

                           前田普羅

語は「向日葵」で夏。若き日に、大正初期の九十九里浜で詠んだ句。ここは昔からイワシ漁の盛んな土地で、明治以後、二隻の船が沖合いでイワシ網を巻く揚繰(あぐり)網が取り入れられたが、砂浜に漁船を出し入れするのに多大の人力を要した。集落をあげて船を押し出す仕事を「おっぺし」と言い、1950年代までつづいたという。老若男女、みんなが働いていた時代だった。そんな労働から解放されて、集落全体にやすらぎの時が戻ってきた月夜に、なお元気な「漁師達」が浜で遊んでいる。酒でも酌み交わしているのか。「向日葵の月」とは、月光に照らされた向日葵が、また小さな月そのものでもあるかのように見えているということだろう。この措辞によって、現実の世界が幻想的なそれに切り替わっている。加藤まさおが書いた童謡「月の砂漠」の発想を得たのも九十九里浜だったそうだが、見渡すかぎりの砂浜と海にかかる月は、さぞや見事であるにちがいない。月と向日葵と漁師達。その光と影が力強い抒情を生んで、詠む者の胸に焼き付けられる。少年期の普羅はしばしば九十九里浜に遊んでおり、愛着の深い土地であった。臨終の床で「月出でゝかくかく照らす月見草」と詠み、死んだ。『定本普羅句集』(1972)所収。(清水哲男)


August 2882006

 月見草木箱のラジオ灯りけり

                           小澤 實

の出ころに咲くので「月見草」。朝になると、しぼんでしまう。以前にも書いたことだが、私は月見草をそれと意識して見たことはない。しかも、数年前までは黄色い花の「待宵草(まつよいぐさ)」と混同していた。月見草の花は白色だという。図鑑の写真を見ても、見たことがあるようなないような‥‥。同じ夜咲く花でも、月下美人のように豪奢な感じはかけらもないので、見たことがあっても名前まで知ろうとは思わなかったのだろう。そんな花は、他にもいっぱいある。夏の季語だ。そういうことはさておいても、揚句は理解できる。とりたてて新味もない句だが、昔のラジオ少年としては、たまらない懐かしさに誘われた。そうだった、ラジオはみんな木箱に内蔵されていた。夕方、学校から戻ってきて、聴きたい番組のあるときはスイッチをひねる。現代のそれとは違い、当時は真空管方式だったから、すぐには音が聞こえてこない。しばらく待つうちに、ブーンというノイズとともに聞こえてくるのだ。この感覚が、まさに「灯る」なのである。ラジオも灯り、月見草も灯るころに、聞こえてくる番組は「笛吹童子」か「一丁目一番地」か、はたまた民放の「赤胴鈴之助」あたりだろうか。そんなことを思っていると、しばし世の中のとげとげしさを忘失することができた。ところで、作者は1956年の生まれだ。物心のついたころには、既に木箱のラジオは珍しかったのではあるまいか。だとすれば、私は新味のない句と思ったけれど、作者の世代にとって「木箱のラジオ」はむしろ新鮮に感じられるのかもしれない。すると、句の解釈はかなり異なってくるが、まあ、私は私なりに読んだということで。「俳句研究」(2006年9月号)所載。(清水哲男)


July 0472009

 洗髪乾きて月見草ひらく

                           松本たかし

の月見草は、黄色いマツヨイグサでなく、うすうす白い本当の月見草だろうか。鎌倉浄明寺のたかしの家は庭が二百坪もあり、草花から梅、松、桜の大樹までさまざまな草木が茂っていたというから、ほとんど現存していないという月見草も、ひっそりと生き延びていたかもしれない。この句につづいて〈洗髪乾きて軽し月見草〉とある。これなら普通に落ちついた句という印象だが、掲出句のような、すっとふきぬける夕風は感じられない。掲出句は、洗髪、乾、月見草、の漢字を、最後の、ひらく、が受けとめて、涼しい風がいつまでも吹く中で、月見草が夕闇にその色をとかしてゆく。句集の序文で虚子は、たかしの句を「詩的」であり「写生句でありながらも、餘程空想化された句のやうに受取れる」と言っている。そういわれると、本来の月見草の持つ儚さが、洗髪が乾くという現実と呼び合って、いっそう幻のようにも思えてくる。『松本たかし句集』(1935・欅発行所)所収。(今井肖子)


August 0482012

 素晴らしき夕焼よ飛んでゆく時間

                           嶋田摩耶子

和三十四年、作者三十一歳の時の作。星野立子を囲む若手句会、笹子会の合同句集『笹子句集 第二』(1971)の摩耶子作品五十句の最初の一句である。時間が飛んでゆくとは、と考えてしまうとわからなくなる、圧倒的な夕焼けを前にして何も言えない、でも何か言いたい、そう思いながら思わず両手を広げて叫んでしまったようなそんな印象である。さらに若い頃には〈月見草開くところを見なかつた〉〈地震かやお風呂場にゐて裸なり〉など、いずれも夏の稽古会での作。そしてその後も自由な発想を持ち続けていた作者だが先月、生まれ育った北海道の地で療養の末帰らぬ人となった。華やかな笑顔が思い出される。〈子を寝かし摩耶子となりてオーバー著る〉(今井肖子)


July 2772013

 石といふもの考ふる端居かな

                           上野 泰

リラ豪雨の去った後のベランダに椅子を出して、まだ濡れている風にぼんやり吹かれながら、これもまあ端居と呼べないこともないな、と思った。でもやはり、縁側に蚊遣りをたいて団扇片手に遠くを見ていた記憶の中の祖母の姿が、本来の端居なのだろう。掲出句は、昭和四十七年の作。本来の端居と思われるが、石か。以前知人から、ヒトの興味は歳を重ねるに従って動から静に変わっていき最後は石にたどりつく、と聞いたことがある。翌四十八年に亡くなった作者、〈天地の一興月見草ひらく〉〈蜥蜴駆け大地太古をなせりけり〉〈五月闇神威古潭をすぎにけり〉など同年の句の中にあると、ふとその横顔を見たような気になるのだった。『城』(1974)所収。(今井肖子)




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