選挙の月。選ばれる側には常に「結果」があるが、選ぶ側にも同様に自分に響く「結果」が欲しい。




2000ソスN6ソスソス1ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

June 0162000

 六月の樹々の光に歩むかな

                           石井露月

月(1873-1928)は子規門。主として秋田で活躍した俳人だ。したがって、句の「六月」は東北の季節感で読むべきだろう。東京あたりで言えば、清々しい五月の趣きである。技巧も何も感じられない詠み方ではあるけれど、けれん味なくすっと詠み下ろしていて気持ちがよろしい。当月は梅雨期を控えていることもあり、どこか屈折した句の多いなかで、かくのごとくにすっと詠まれると意表を突かれた感じさえしてしまう。ただし、実はこの句は露月のなかでも異色の作品なのである。本領は、漢詩文的教養の上に立った男っぽい詠み方にあった。たとえば「赤鬼の攀じ上る見ゆ雲の峰」だとか「雷に賢聖障子震ひけり」など。心情を直截に表現する俳人ではあるが、大いなる技巧派でもあったことがわかる。これらの句に比べると、掲句のリリシズムは、とうてい同じ作者の懐から出てきたとは思えない。つまり、待望の「六月」にふっと技巧を忘れちゃった……ような。それほどに東北人にとっての「六月」は、待ちかねている月だということだろう。露月の生前に、句集はない。常日頃、「句集に纏めるのは、我輩の進歩が止まったとき」と言っていたそうだ。昭和に入ってから亡くなっているが、生涯明治の男らしい雄渾な心映えに生きた人物だったと思う。『露月句集』(1931)所収。(清水哲男)


May 3152000

 蟇歩くさみしきときはさみしと言へ

                           大野林火

。この場合は「ひき」と読ませているが、他に「ひきがえる」「がまがえる」「がま」とも。容貌怪異にして動作の鈍重なことから、芝居などでは妖怪のように扱われたりする。実際、こやつが暮れ方の庭の真ん中あたりに鎮座していると、ぎょっとさせられる。追ってもなかなか逃げないので、ますます不気味だ。しかし、研究者によると、その性温厚にして争いを好まない動物。なわばり争いはまったくなく、動物界きっての平和主義者なのだという。蚊などの虫を捕食してくれるから、無害有益。蟇は「見かけによらない」のだ。そんな蟇がのそりのそりと歩いている様子は、句のようにさみしさに耐えているようにも思われる。ここで作者は思わずも、さみしいのだったら、黙っていないで「さみしと言へ」と声をかけたくなった。励ましたくなった。ひるがえって、このときの作者の心中を推し量ると、やはり何かの「さみしさ」に耐えていたのだろうと思われる。その気持ちが、さみしげに歩行する蟇の姿に吸い寄せられた。裏を返せば、こうして蟇に呼びかけることで、作者は自分自身を激励したのである。『新日本大歳時記・夏』(2000・講談社)所載。(清水哲男)


May 3052000

 忽ちに雑言飛ぶや冷奴

                           相馬遷子

言(ぞうごん)が飛ぶというのだから、酒盛りの図だ。すなわち、酒の肴としての「冷奴」。酒の場に季節物の「冷奴」が出されたことで、みんなが大いに愉快を覚え、忽ち(たちまち)べらんめえ調も飛び出す楽しい座となった……。この句は、いろいろな歳時記に登場してくる。目にするたびに、内心、どこがよいのかと目をこすってきた。ささやかな「冷奴」ごときに、なぜこんなにも男たちの座が盛り上がったのか。謎だった。ところが最近、山本健吉の『俳句鑑賞歳時記』(2000・角川ソフィア文庫)を読んでいて、謎ははらりと解けることになった。句が作られたのは、戦後も一年目の夏。場所は函館。詞書に「送迎桂郎」とあり、座には戦災で家を失った石川桂郎がいた。「べらんめえ」の主は、おそらく桂郎だろう。すなわち、ひどい食料難の時代で、豆腐はとんでもない「貴重品」だったのである。それが、夢のように目の前に出てきた。愉快にならずにいられようか。各歳時記の編纂者や編集者たちは桂郎や遷子らと同世代か少し上の世代だったので、句はハラワタにしみとおるように理解できたことだろう。だから、かの時代の記念碑的な作品として、誰もが自分の歳時記にそっと残しておきたかったのである。「冷奴」よ、もって瞑すべし。(清水哲男)




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