「ブル・コメ」の井上忠夫が自殺。思うように心身が動いてくれなかったのか。寂しいニュースが続く。




2000ソスN5ソスソス31ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

May 3152000

 蟇歩くさみしきときはさみしと言へ

                           大野林火

。この場合は「ひき」と読ませているが、他に「ひきがえる」「がまがえる」「がま」とも。容貌怪異にして動作の鈍重なことから、芝居などでは妖怪のように扱われたりする。実際、こやつが暮れ方の庭の真ん中あたりに鎮座していると、ぎょっとさせられる。追ってもなかなか逃げないので、ますます不気味だ。しかし、研究者によると、その性温厚にして争いを好まない動物。なわばり争いはまったくなく、動物界きっての平和主義者なのだという。蚊などの虫を捕食してくれるから、無害有益。蟇は「見かけによらない」のだ。そんな蟇がのそりのそりと歩いている様子は、句のようにさみしさに耐えているようにも思われる。ここで作者は思わずも、さみしいのだったら、黙っていないで「さみしと言へ」と声をかけたくなった。励ましたくなった。ひるがえって、このときの作者の心中を推し量ると、やはり何かの「さみしさ」に耐えていたのだろうと思われる。その気持ちが、さみしげに歩行する蟇の姿に吸い寄せられた。裏を返せば、こうして蟇に呼びかけることで、作者は自分自身を激励したのである。『新日本大歳時記・夏』(2000・講談社)所載。(清水哲男)


May 3052000

 忽ちに雑言飛ぶや冷奴

                           相馬遷子

言(ぞうごん)が飛ぶというのだから、酒盛りの図だ。すなわち、酒の肴としての「冷奴」。酒の場に季節物の「冷奴」が出されたことで、みんなが大いに愉快を覚え、忽ち(たちまち)べらんめえ調も飛び出す楽しい座となった……。この句は、いろいろな歳時記に登場してくる。目にするたびに、内心、どこがよいのかと目をこすってきた。ささやかな「冷奴」ごときに、なぜこんなにも男たちの座が盛り上がったのか。謎だった。ところが最近、山本健吉の『俳句鑑賞歳時記』(2000・角川ソフィア文庫)を読んでいて、謎ははらりと解けることになった。句が作られたのは、戦後も一年目の夏。場所は函館。詞書に「送迎桂郎」とあり、座には戦災で家を失った石川桂郎がいた。「べらんめえ」の主は、おそらく桂郎だろう。すなわち、ひどい食料難の時代で、豆腐はとんでもない「貴重品」だったのである。それが、夢のように目の前に出てきた。愉快にならずにいられようか。各歳時記の編纂者や編集者たちは桂郎や遷子らと同世代か少し上の世代だったので、句はハラワタにしみとおるように理解できたことだろう。だから、かの時代の記念碑的な作品として、誰もが自分の歳時記にそっと残しておきたかったのである。「冷奴」よ、もって瞑すべし。(清水哲男)


May 2952000

 あきなひや蝿取リボン蝿を待つ

                           ねじめ正也

息のねじめ正一さんが有名にした「ねじめ民芸店」以前に、作者は高円寺(東京・杉並)で、乾物屋を営んでいた。私は二十代の頃、その店の前を通って出勤していたので、たたずまいもよく知っている。普通の店構えではあったが、乾物に加えて渋団扇などが並べられていたのが、ちょっと変わっていた。一度だけ、気まぐれに大きな赤い団扇を買ったことがあったっけ。乾物屋だから、夏ともなると昔(ちなみに1953年の作)は当然のことに蝿どもが群がってくる。防衛策としては、とりあえず蝿取リボンを何本も吊るすしかないわけだ。で、吊るし終えて店に座り込み、出てきた言葉が「あきなひや」であった。この呼吸が面白い。と言うか、商人でなければ発さない嘆息が、自然にぽっと吐かれている無技巧に感心してしまう。すなわち、蝿取リボンが蝿を待つように、自分もまた客を「待つ」しかない存在であるなアと、思わずも吐いてしまっているところ。「あきなひや」には、いささかの自嘲も含まれているとも読めるけれど、その前に、ふっと蝿取リボンと自分の姿を重ねてしまった驚きが感じられる。一瞬の後に、態勢を立て直してしかめっ面を取り戻しているところに、句の妙味がある。季語は「蝿取」で夏。もはや死語になっている。『蝿取リボン』(1991)所収。(清水哲男)




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