窓下の日陰で遅咲きのツツジも散ってしまった。子供の頃、花の蜜をチューチュー吸ったものだった。




2000ソスN5ソスソス25ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

May 2552000

 蛙遠く跫音もせず暮る二階

                           芹田鳳車

語は「遠蛙」で春だが、初夏の景としても十分に通用する。でも、この人は元来が自由律俳句の荻原井泉水門だから、季語的分類に固執してもさして意味はないだろう。句意は明瞭だ。まことに森閑たる夕暮れの雰囲気が活写されている。鳳車(ほうしゃ)の代表作に、第一句集のタイトルともなった「草に寝れば空流る雲の音聞こゆ」があるが、これまた極めて静謐な情景だ。このように、鳳車句の特徴は静かな境地にある。心身を沈め澄ませて、感じられる感興を詠むのである。この場合で言うと、二階にいる家人の跫音(あしおと)にことさらに耳をそばだてているのではなく、みずからの静かな心身状態が自然に(ひとりでに)とらえた結果の気配なのだ。がつがつと素材を探し回るようなことはしていない。「雲の音」句についても、同様である。私たちが俳句の魅力にとらわれる一つの要因は、このように自分の心身を静かに保ち、そこに浮かび上がってくる何かを詠む充実感にあるのだろう。日常生活のあれやこれやを一切遮断して、心を澄ませてみたときに何が見え、何が聞こえるか。そうしたいわば自己発見の妙味に、多くの人が魅入られてきた。その典型を、私などはこの人に見る。『雲の音』所収。(清水哲男)


May 2452000

 バスの棚の夏帽のよく落ること

                           高浜虚子

前の男は、実によく帽子をかぶった。北原白秋の「青いソフトに降る雪は……」という小粋な詩を持ち出すまでもなく、寒い季節の「ソフト帽」はごく当たり前のことだったし、夏の「カンカン帽」や高級な「パナマ帽」など、いまの若い人にも古い写真や映画などではおなじみのはずである。句は六十年も前に、虚子が佐渡に遊んだときのスケッチだ。季節は五月。舗装などされていない島の凸凹道を走っているのだから、バスが飛び上がるたびに、網棚に置いた帽子が転がり落ちてくる。「しようがないなア」と、苦笑しつつ帽子を網棚に戻している。戻したと思ったら、また落ちてくる。で、また戻す。もちろん、他の人の帽子も。道中、この繰り返しだ。「それがどうしたの。たいした句じゃないね」。いまの読者の多くは、おそらくそう思うだろう。理由は、やはり現代人に帽子を愛用する習慣がないからである(いま若者に流行している野球帽みたいな「キャップ」とは、帽子の格が違う)。「不易流行」の「不易」も「流行」も、帽子的にはもはや喪失してしまっている。私もそんなによい句とは思わないが、あえて持ち出してみたのは、昔の句を観賞する難しさが、こんなに易しい句にもあると言いたかったので……。易しさは、おおかたの俳句の命。その命が伝わらなくなるのは悲しいことだが、しかしこのこともまた、俳句の命というものではあるまいか。『五百五十句』(1943)所収。(清水哲男)


May 2352000

 恋文の起承転転さくらんぼ

                           池田澄子

分に宛てられた恋文を読んでいるのか、それとも、文豪などが残した手紙を読んでいるのか。いずれでも、よいだろう。言われてみれば、なるほど恋文には、普通の手紙のようにはきちんとした「起承転結」がない。とりとめがない。要するに、恋文には用件がないからだ。なかには用事にかこつけて書いたりする場合もあるだろうが、かこつけているだけに、余計に不自然になってしまう。したがって「起承転結」ではなく「起承転転」という次第。さながら「さくらんぼ」のように転転としてとりとめもないのだが、しかし、そこにこそ恋文の恋文たる所以があるのだろう。微笑や苦笑や、はたまた困惑や喜びをもたらす恋文の構造を分析してみれば、その本質は「起承転転」に極まってくる。「さくらんぼ」を口にしながら、このとき作者はおだやかな微笑を浮かべているにちがいない。同じ作者に「恋文のようにも読めて手暗がり」がある。「さくらんぼ」の転転どころではない「起承転転」もなはだしい手紙なのだ。もちろん、作者は大いに困惑している。『空の庭』(1988)所収。(清水哲男)




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