季語が鴉の子の句

May 2252000

 たべ飽きてとんとん歩く鴉の子

                           高野素十

素十肖像
語は「鴉(カラス)の子」で夏。スズメやツバメの子の姿は親しいが、カラスの子は見たことがない。素十は写生に徹底した俳人だから、描写は正確無比のはず。カラスの子は、きっとこのようにあどけなくて可愛らしいのだろう。「とんとん」歩く姿を、一度は見てみたい。いまや都会の天敵視されているカラスも、「烏といっしょに かえりましょう」と一年生の教科書の『夕焼け小焼け』で歌われ、『七つの子』という童謡もあるほどに昔は愛すべき存在だった。それが、現在はこんな御触れ書きが出されるまでに、不幸な関係に入ってしまった。以下、近隣自治体の「お知らせ」より抜粋。「ヒナが育つこれからの時期は更に攻撃性は強まります。カラスは、捕ったり殺したりできませんので、被害を減らすためには、巣を撤去し、数を制限することが効果的な方法となります。巣の撤去は、全て樹木などの所有者の責任で行うことになっています。また、巣の中に卵やヒナがいる場合には、特別な許可が必要となります。……巣がある場合は、造園業者などに依頼して、早い時期に撤去するよう御願いします」。カラスにたまたま巣をかけられた樹木の所有者や管理者は、自分の責任で(つまり、自腹を切って)撤去すべしということ。知らなかった。気になるのは「特別な許可」の中身ですね。やがて「とんとん」歩きだす子ガラスの命を尊重するための、せめてもの法的配慮なのでしょうか。『初鴉』(1947)所収。(清水哲男)


December 29122005

 餅板の上に包丁の柄をとんとん

                           高野素十

語は「餅」で冬。昔の餅は円形が普通だったので、「望(もち)」からの命名とも。句の餅は、いわゆる熨斗餅(のしもち)で四角形だ。これをいまから切り分けようというわけで、その前にまず包丁の柄(え)を餅板の上で「とんとん」とやっているところ。懐かしい仕草だ。というのも、昔の包丁の柄は抜けやすかったので、とくに固い物を切るときには、途中で抜けない用心のため逆さにして「とんとん」とやったものだ。しかし、この句の場合はどうだろうか。包丁の柄が少しぐらついていると解してもよいけれど、柄はしっかりとしているのだが、これから固い餅を切るぞという気合いがそうさせたのだと、私は解しておく。一種のちょっとした儀式のようなものである。それにしても、「とんとん」とは可愛らしい表現だ。そう言えば、素十には「たべ飽きてとんとん歩く鴉の子」がある。山口県育ちの私は丸餅が主流だったので、こうやって切るのはかき餅だけ。薄く切らねばならないこともあって、子供の手ではとても無理だった。当時の農家の餅は、むろん正月用のもあったけれど、大半は冬の間の保存食として搗かれた。すなわち、正月が終わっても、来る日も来る日も餅ばかりなのであって、あれにはうんざりだったなあ。とくに朝焼いて学校の弁当にした餅は、食べる頃にはかちんかちんになっている。味わうというよりも、とりあえず飲み込んでおこうという具合で、その味気なさったらなかったっけ。三が日で食べきってしまうくらいの量が、理想的である。『新歳時記・冬』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


April 3042010

 鴉子離れからからの上天気

                           廣瀬直人

の子別れは夏の季語。古くからある季語だが、あまり用いた句を知らない。鴉の情愛の濃さは格別である。春、雌が巣籠りして卵を温めている間は、巣を離れらない雌のために雄が餌を運び、雌の嘴の中に入れてやる。生まれた子は飛べるようになってもしばらくは親について回り、大きく嘴を開き羽ばたいて餌をねだる。しかし、夏が近づいてくるころ、親はついてくる子鴉を威嚇して追い払う。自分のテリトリーを自分でみつけるよううながすのである。親に近づくとつつかれるようになった子鴉が、少し離れたところから親を見つめている姿は哀れを催す。そのうち子鴉はどこかに消える。親が子を突き放す日。日差しの強い、どこまでも青い空が広がっている。「俳句」(2009年6月号)所載。(今井 聖)




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