行く先々で調子のよい事を言う。首相のように大なり小なり我々も振る舞っている。これぞ神の国。




2000ソスN5ソスソス18ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

May 1852000

 氷菓舐め暢気妻子の信篤し

                           清水基吉

じ年(1956年・昭和31年)の句に「門前の水温む貧躱し得ず」がある。「躱し」は「かわし」。作者は芥川賞受賞作家であったが、いまとは違い経済的に恵まれることもなく「昭和卅年の頃から生活に行きづまり、右往左往して感情また定まらぬところがあった。妻子をかかえて、居處を輾々とし……」という記述が句集の後書きに見える。一家の主人たるもの、お手上げの図だ。そんな主人の気持ちなど露解さない様子で、妻子がアイスキャンデーを暢気(のんき)に舐めている。作者もまた、暢気そうに舐めている。が、この一見明るい構図は辛いのだ。すなわち妻子に「こいつらめが」と思うと同時に、「こいつらめ」は俺を全面的に信頼しているのだなと感じていて、ますますプレッシャーの度合いが強くなってくる。「こいつら」のために、早くなんとかしなければと焦る気持ちが高じている。昔の男は大変だった。いや、いまだってまだ、さして事情は変わっていないだろう。どのみち、こうした家族の経済構造は崩れていくのだろうが、そんな暢気な一般論はさておき、目前の生活を少しでもよくするために今日も焦っている男たち。もとより私もその一人であり、ひたすら生活のためにのみ働くことの苦さを、この句につくづくと思う。『宿命』(1966)所収。(清水哲男)


May 1752000

 女知り青蘆原に身を沈む

                           車谷長吉

書に「播州飾磨川」とある。作者の故郷の川だ。俳句ではなかなかお目にかかれない題材だが、小説家の作者にしてみれば「イロハ」の「イ」の字くらいのテーマだろう。生い茂る蘆の原に身を沈めたのは、気恥ずかしい気持ちからではない。異性を知るとは人生の一大事であり、その一大事を通過したときの虚脱感のような感覚を詠んだ句だ(と読んだ)。要するに「へたりこんだ」というに近い感覚で、だから「沈め」と止めて気取る力もなく「沈む」と言ったわけだ。背丈よりもはるかに高い青蘆の原に身をへたりこませて、半ば茫然としている若き日の作者の心持ちに、状況は違っても思い当たる読者も多いのではないか。近所に青蘆原でもあったら、私も作者と同じ行動に出ただろうと、句を読んでしみじみと思う。車谷長吉さんとの付かず離れずの長いつきあいで思い出すのは、もう三十年も昔に、角川文庫の『西東三鬼句集』を何度となく貸し借りして読み合ったことだ。彼はそのころから、神経のピリピリするような繊細な筆致で小説を書いていた。ぼおっと、蘆原にへたりこんでいるだけじゃなかった。『業柱抱き(ごうばしらだき)』(1998)所収。(清水哲男)


May 1652000

 行春や鳥啼き魚の目は泪

                           松尾芭蕉

蕉が「おくのほそ道」の旅に出発したのは、元禄二年(1689年)の「弥生も末の七日(三月二十七日)」のこと。この日付をヒマな人(でも、相当にアタマのよい人)が陽暦に換算してみたところ、五月十六日であることがわかったという。すなわち、三百十一年前の今日のことだった。基点は「千じゅと云所」(現在の東京都足立区千住)であり、出立にあたって芭蕉はこの句を「矢立の初めとし」ている。有名な句だ。が、有名なわりには、よくわからない句でもある。まずは、季節感が生活感覚からずれているところ。江戸期だとて、いまどきの体感として晩春とは言い難いだろう。そこらへんは芭蕉が暦の「弥生」に義理立てしたのだと譲るとしても、唐突に「鳥」と「魚」を持ちだしてきた心理が不可解だ。別れを惜しんで多くの人々の見送りを受けるなかで、なぜ「鳥、魚」なのか。なぜ「人」ではないのだろうか。これでは、見送りの人に失礼じゃなかったのか。気になって、長年考えている。休むに似た考えの過程は省略するが、いまのところの私の理解は、当時の自然観との差異に行き当たっている。いまでこそ「自然」はいわば珍重されているけれど、往時はそんなことはなかった。自然は自然に自然だったのだから、自然にある人の心も他の自然のありようで自然に代表させることができたのだと思う。ややこしいが、要するに句の意味は、見送りの人に無関係な鳥や魚までもが惜別の情に濡れているという大仰なことではなくて、鳥や魚が濡れていると作者が感じれば人についても同様だと言っているにすぎない。これだけで、句に「人」は十二分に登場しているのである。
[読者からのご教示により追記・5月16日午前5時30分]岩波文庫『おくのほそ道』の付録に18世紀の芭蕉研究家・蓑笠庵梨一の『奥細道菅菰抄』が収録されています。以下、該当部分。「杜甫が春望ノ詩ニ、感時花濺涙、恨別鳥驚心。文選古詩ニ、王鮪懷河軸、晨風(鷹ヲ云)思北林。古楽府ニ、枯魚過河泣、何時還復入。是等を趣向の句なるべし」。つまり、漢詩を下敷きにしたという説。それもあるだろう。が、ここまでくると「人」の匂いがしない。どちらかと言えば故郷や山河との別れだ。芭蕉の句は「や」の切れ字に「人」としての匂いがあるために、「人」との惜別の情が表現されている。そんなふうにも思いましたが……。ううむ、朝からいささか混乱気味です。ありがとうございました。(清水哲男)




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