「子供のころ、ろくなもの食ってないからなア」。同世代が死ぬと、必ず出る言葉。甲斐なき言葉。




2000ソスN5ソスソス15ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

May 1552000

 はつなつのコーリン鉛筆折れやすし

                           林 朋子

雑誌広告・1956
雑誌「野球少年」広告・1956年1月号
しや、コーリン鉛筆。子供のころ、私も肥後守(小刀)で削ってよく使った。他の銘柄には「トンボ鉛筆」「三菱鉛筆」「ヨット鉛筆」「地球鉛筆」「アオバ鉛筆」など。あのころの鉛筆は折れやすく、割れやすかった。なかには芯に砂が混ざっているような粗悪品もあり、書くたびにギシギシ変な音がしたりした。コーリン鉛筆も、上等のほうじゃなかったと思う。でも、私は名前の響きが好きで愛用していた。もちろん、「コーリン」の意味などわかってなかった。英語を習うようになってから、「コーリン」は"colleen"とつづり、アイルランド英語で「(美)少女」の意味だと知ったときは嬉しかった。しかし、なぜこんな難しい言葉を銘柄に選んだのだろうか。鉛筆のマークにも女の子の絵などなかった(広告左上を見ると「花王」マークもどき)し、さぞや宣伝しにくかったろうに。よほど言葉の響きに自信があったのか。事実、私は響きに吸い寄せられたクチだけれど……。ところで、句の「はつなつ」は、理屈で考えれば他の季節とも入れ替え可能だ。鉛筆が折れやすいのは、なにも「はつなつ」とは限らない。だが、あの鉛筆の緑色がいちばん似合う季節をよく考えてみると、やはり「はつなつ」をおいて他にはないだろう。鉛筆が折れやすくて哀しかった記憶も、いまでは「はつなつ」に溶け入って甘美ですらある。『森の晩餐』(1994)所収。(清水哲男)


May 1452000

 母の日や塩壺に「しほ」と亡母の文字

                           川本けいし

の場合は「亡母」も「はは」と読むほうがよいだろう。母の日。亡き母を思い出すよすがは、むろん人さまざまだ。作者はそれを、母親が記した壺の文字に認めている。子供のころから台所にある、ごくありふれた壺に書かれた文字が母のテであったことを、いまさらのように思い出している。「しほ」という旧仮名づかいも懐しい。現代のように容器にバラエティがなかった昔、誰もが実によく分別するための文字を書いていた。そうしておかないと、塩壺も砂糖壺も味噌壺も、どれがどれやら判別がつかなくなってしまうからだ。私の祖母の年代までは、どこの家庭でもそうしていた。そのころの女性の失敗談に、よく塩と砂糖を間違えたという話が出てくるが、おおかたは壺の文字を確認せずに、勘に頼ってしまったせいである。そんな馬鹿な、見ればすぐにわかるじゃないか。そう思うのは現代人の幸福(かつ浅薄)なところで、精製方法が雑ぱくだった時代には、ちょっと見たくらいで「塩」と「砂糖」の区別などつきようもなかったのだ。母親が亡くなり、「しほ」の文字だけが残った。作者は、あらためて台所でしみじみと見入っている。なによりの追悼であり、なによりの遺産である。『俳句歳時記・新版』(1974・角川文庫)所載。(清水哲男)


May 1352000

 目には青葉尾張きしめん鰹だし

                           三宅やよい

わず破顔した読者も多いだろう。もちろん「目には青葉山時鳥初鰹」(山口素堂)のもじりだ。たしかに、尾張の名物は「きしめん」に「鰹だし」。もっと他にもあるのだろうが、土地に馴染みのない私には浮かんでこない。編集者だったころ、有名な「花かつを」メーカーを取材したことがある。大勢のおばさんたちが機械で削られた「かつを」を、手作業で小売り用の袋に詰めていた。立つたびに、踏んづけていた。その部屋の写真撮影だけ、断られた。いまは、全工程がオートメーション化しているはずだ。この句の面白さは「きしめん」で胸を張り、「鰹だし」でちょっと引いている感じのするところ。そこに「だし」の味が利いている。こういう句を読むにつけ、東京(江戸)には名物がないなと痛感する。お土産にも困る。まさか「火事と喧嘩」を持っていくわけにもいかない。で、素直にギブ・アップしておけばよいものを、なかには悔し紛れに、こんな啖呵を切る奴までいるのだから困ったものだ。「津國の何五両せんさくら鯛」(宝井其角)。「津國(つのくに)」の「さくら鯛」が五両もするなんぞはちゃんちゃらおかしい。ケッ、そんなもの江戸っ子が食ってられるかよ。と、威勢だけはよいのだけれど、食いたい一心がハナからバレている。SIGH……。『玩具帳』(2000)所収。(清水哲男)




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