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2000ソスN5ソスソス11ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

May 1152000

 朱欒咲く五月となれば日の光り

                           杉田久女

書に「出生地鹿児島 六句」とある冒頭の一句。久女は、幼児期を鹿児島で過ごした。父親は鹿児島県庁に勤務する役人だったというから、まずは良家の子女と言えるだろう。句は、久女が四十路に入ってから、往事を懐しく追想したものだ。誰か、故郷を想わざる……。残念なことに、私は朱樂(ザボン)の花を見たことがない。白色五弁花で、香り高い花だという。見たことはないけれど、南国特有の紺碧の空を背景に白い花が咲いている様子は、想像できる。はたして三歳か四歳の久女に、幼児期の正確な記憶があったのかどうかは別にして、五月の「日の光り」とともにあった幸福な時期を追想した気持ちもよくわかる。清々しい句だ。「幼児期にこそ生命の躍動(エラン・ヴィタル)がある。黄金時代がある」と言ったのは、誰だったか。花の記憶とともに小さかった頃をしのべるというのは、やはり女性に固有の才質だろう。私などには、花の記憶のかけらもない。あるのは、飛びまわっていた蜻蛉だとか蝙蝠だとか、あるいは地を這っていた蜥蜴だとか蝦蟇だとか……。色気のない話である。『杉田久女句集』(1952)所収。(清水哲男)


May 1052000

 夏場所やもとよりわざのすくひなげ

                           久保田万太郎

場所見物。「すくひなげ」得意のひいき力士が、見事にその技で勝ってくれた。胸のすくような相撲ぶりだった。「これでなくっちゃあ」と、作者の力こぶが「もとより」にこめられている。夏場所だけに、相撲が撥ねた後の川風の心地よさも、きっと格別だろう。いかにも江戸っ子らしい、粋な味わい。技巧的ではあるが、嫌みがない。現代でも「夏場所」が特別視されるのは、その昔に神社仏塔営繕の資金を募った勧進相撲の名残りだからである。明治初期にはじまった本場所は、この夏場所と一月の春場所との二度しかなかった。しかも、一場所は十日間。すなわち「一年を二十日で暮すいい男」というわけだ。いまは六場所制だが、四場所になったのは1953年(昭和28年)のことで、昔は現在のように年中本場所興行があったわけではない。したがって、ファンの熱の入れようも大変なものだったろう。取り組みの一番一番が貴重だったのだ。加えて戦前までは、町や村のあちこちに当たり前のように土俵があり、子供から大人まで相撲人口も多かった。すそ野が広かった。だから、こういう句も生まれるべくして生まれてきたのである。平井照敏編『新歳時記』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


May 0952000

 ぽつつりとおのが名知らぬ蛇苺

                           川島千枝

には失礼な話だが、蛇くらいしか食べないとされていたので「蛇苺」。別名を「毒苺」とも。しかし毒性はないそうで、食べられるがとても不味いということは、本欄で以前書いたことがある。食べたのは、私ではない。もっと勇気のある男だ。最近は見かけたこともないが、子供のころにはそこらへんに自生している、ありふれた植物だった。熟すと見事なほどに真っ赤な色になり、「毒苺」の先入観から「ああ、毒の色とはこういうものか」と思っていた。時として、華麗なるものは、その華麗さゆえに誤解され、うとんじられる。そんな人間間の評判も知らず「おのが名」も知らないで、「ぽつつり」と実をかかげている植物を、作者は哀れとも思い健気とも思い、哀しみを感じている。まことに理不尽な命名ではないか、と。「ぽつつりと」は「蛇苺」の立つ様の写生であると同時に、このときの作者の気持ちのありようでもある。「ぽつつりと」……か。しみじみと心に入ってくるいい言葉ですね。『深祷』(2000)所収。(清水哲男)




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