2000N5句

May 0152000

 縄とびの純潔の額を組織すべし

                           金子兜太

心に縄とびをして遊んでいる女の子。飛ぶたびに、おかっぱの髪の毛が跳ね上がり、額(ぬか)があらわになる。この活発な女の子のおでこを、作者は「純潔」の象徴と見た。「純潔」は、いまだ社会の汚濁にさらされていない肉体と精神のありようだから、それ自体で力になりうる。「純真」でもなく「純情」でもなく「純潔」。一つ一つの力は弱かろうとも、かくのごとき「純潔」を「組織」することにより、世の不正義をただす力になりうると、作者は直覚している。このとき「すべし」は、他の誰に命令するのではなく、ほかならぬ自分自身に命令している。自分が自分に掲げたスローガンなのである。実は今日がメーデーということで、ふっとこの句を思い出した。メーデーのスローガンも数あれど、すべてが他への要求ばかり。もとよりそれが目的の祭典なので難癖をつける気などないけれど、句のようなスローガンがついに反映されることのない労働運動に、苛立ちを覚えたことはある。若き兜太の社会に対する怒りが、よく伝わってくる力作だ。無季句。『金子兜太全句集』(1975)所収。(清水哲男)


May 0252000

 行く春のお好み焼きを二度たたく

                           松永典子

きに人は、実に不思議で不可解な所作をする。「お好み焼き」ができあがったときに、「ハイ、一丁上りッ」とばかりにコテでポンと叩くのも、その一つだ。たいていの人が、そうする。ただし、街のお好み焼き屋にカップルでいる男女だけは例外。焼き上がっても、決して叩いたりはしない。しーんと、しばし焼き上がったものを見つめているだけである。逆に、これまた不思議な所作の一つと言ってよい。句は、自宅で焼いている光景だろう。大きなフライパンかなんかで、大きなお好み焼きができあがった。そこで、すこぶる機嫌の良い作者は、思わずも二度叩いてしまった。ポン、ポン(満足、満足)。折しも季節は「行く春」なのだけれど、感傷とは無関係、これから花かつおや青海苔なんぞを振りかけて、ふうふう言いながら家族みんなで食べるのだ。元気な主婦の元気ですがすがしい一句である。ここで、いささかうがったことを述べておけば、作者は憂いを含む季語として常用されてきた「行く春」のベクトルを、180度ひっくり返して「夏兆す」の明るい意味合いを込めたそれに転化している。句が新鮮で力強く感じられるのは、多分にそのせいでもある。『木の言葉から』(2000)所収。(清水哲男)


May 0352000

 新緑に吹きもまれゐる日ざしかな

                           深見けん二

薫る季節。しかも、今日は極上の天気である。新緑の葉のそよぎが、ことのほかに美しい。日ざしを乱反射してキラキラと光る新緑の様子は、いつまでも見飽きるということがない。それを作者は、風に新緑の木の葉が吹きもまれているのではなく、「日ざし」が若い木の葉のそよぎに「もまれゐる」のだと詠んでいる。ほとんど風を言わずに、句の中心に風の存在を言っている。だから一見すると、才知の瞬間的な勢いでこしらえた句のようにも思えるが、そうではない。深見けん二の「ものに目を置く時間の長さ」(斎藤夏風)が、じっくりと対象を発酵させてから、あわてず騒がずに落ち着いて採り入れた世界なのだ。たとえ同様の発想は獲得しえても、芸達者な才気煥発型の詠み手だと、なかなかこう静かにはおさまらないだろう。対象をしっかりと見据え、見据えているうちに、ぽとりと表現が手のひらに落ちてくる……。虚子直門の作者の句風は一貫してそのようであり、この俳句作法そのものが読者の心をしっかりと捉えて離さない。『花鳥来』(1991)所収。(清水哲男)


May 0452000

 酒置いて畳はなやぐ卯月かな

                           林 徹

月は、ご存知のように陰暦四月の異名。卯の花の咲く月という意味で、初夏の月。今年は、本日から卯月がはじまった。何かの会合での情景だろう。句会だとしても、よさそうだ。いずれにしても、これから真面目な集いが開かれようとしている部屋の隅の畳の上に、参加者の誰かが持参した酒瓶がそっと置かれた。もちろん、会が終わったらみんなで楽しく飲もうというわけだ。それでなくとも開け放った窓からは心地よい外気が流れ込んできているのだし、ひとりでに心はずむ感じがしてくる。だから、このときをつかまえる表現としては、座の全体がはなやいだと言うよりも、やはり作者の心をひそかに反映しているかのような「畳はなやぐ」でなければならない。酒飲みにしか理解されない句かもしれないけれど、実に飲み助の心理的なツボを心得た、まことにニクい一句と言うべきか。今日あたりは、日本中のあちこちで「畳はなやぐ」集いが開かれることだろう。ちなみに「卯月」はまた「花残月(はなのこりづき)」とも呼ばれてきた。北海道などのソメイヨシノは、この季節に花開くからである。『新日本大歳時記・夏』(2000・講談社)所載。(清水哲男)


May 0552000

 鯉幟なき子ばかりが木に登る

                           殿村菟絲子

中行事は、否応なく貧富の差を露出するという側面を持つ。鯉幟は戸外での演出行事だから、とりわけて目立ってしまう。住宅事情から、現代の家庭では男の子がいても、鯉幟を持たないほうが普通になってきた。持ってはいても、ささやかなベランダ用のミニ版が多い。私が子供のころはまだ事情が違っていて、鯉幟のない家は、たいてい貧乏と相場が決まっていた。我が家にも、もちろんなかった。そういう家庭では、こどもの日だからといって、御馳走ひとつ出るわけじゃなし、学校が休みになるだけのこと(農繁期休暇とセットになっていたような……)で、普段と変わらぬ生活だった。そんな子供たちが、いつもと同じように木登りをして遊んでいる。遠くのほうで勇ましく鯉幟が泳いでいる様子が、見えているのだろう。いささかの憐愍の情も抱いてはいるが、しかし作者は、今日も元気に遊ぶ子供たちにこそ幸あれと、彼らの未来に思いを馳せている。句には、そうした優しいまなざしのありどころがにじみ出ている。優しくなければ、句作りなどできない。平井照敏編『新歳時記・夏』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


May 0652000

 竹陰の筍掘りはいつ消えし

                           飴山 實

いさきほどまで黙々と筍を掘っている人を見かけたが、いつの間にか、その人の姿はかき消されたように見えなくなっている。作者もまた、同じ竹林のなかで掘っているのだろう。暗く湿った竹の陰での、ほとんどこれは幻想に近い光景だ。単なる実景写生を越えて、句は濃密な歴史的とも言える時間性を帯びている。読んだ途端に、私は村上鬼城の「生きかはり死にかはりして打つ田かな」を思い出した。鬼城は遠望しているが、作者はより対象に迫った場所から詠んでいる。昔から人はあのように竹林に現れては筍を掘り、またこのようにふっと姿を消していく。その繰り返しに思われる人間存在のはかなさは、もとより作者自身のそれなのでもある。しかし、作者は侘びしいなどと言っているのではない。筍堀りに込められた充実した時間性が、ふっふっと繰り返し消えていく。消えたと思ったら、また繰り返し現れる。その繰り返しのなかで、人は人らしくあるしかないのだ。いわば達観に近い鬱勃たる心情が、句の根っこに息づいている。『花浴び』(1995)所収。(清水哲男)


May 0752000

 遠足をしてゐて遠足したくなる

                           平井照敏

読、膝を打った。こういう思いは、私にも時々わいてくる。こんな気持ちには、何度もなった覚えがある。映画を見ているのに映画が見たくなったり、酒の席で無性に酒が飲みたくなったりするのだ。実際にはその行為のなかにあるというのに、なおその行為の別のありように魅かれてしまう。そう言えば、恋愛中には必ず恋愛をしたくなるという友人の話を聞いたこともある。どういうことだろうか。図式的に言えば、現実と理想とのギャップのしからしむるところなのだろう。楽しみにしていた遠足にいざ出かけてみると、こんなはずじゃなかった、もっと楽しいはずなのにと思ううちに、現実の行為が空虚になっていく。空虚になった分だけ、現実を認めたくなくなる。だんだん、こんなのは遠足じゃないと自己説得にかかりはじめる。そして、ああ(本当の)遠足に行きたいなあと思ってしまうのだ。「旅行の楽しさは準備段階にある」と言ったりする。準備段階にあるうちの理想は、実行段階での現実に裏切られることはないからだ。この種の思いは、現実をまるごと受け入れたくない気質の人に、多くわいてくるのだろう。いわゆる「気の若い人」に、特に多いのではあるまいか。「俳句研究」(2000年5月号)所載。(清水哲男)


May 0852000

 青草の朝まだきなる日向かな

                           中村草田男

だすっかり夜の明けきらぬころ、窓を開けると、今日もいい天気。勢いよく生い茂る夏草の上には、早くも朝日が日向をつくっている。すがすがしく心地よい情景だ。胸中には、おのずから今日一日を生きるための活力がわいてくるようである。草田男は夏が好きな人で、「毒消し飲むやわが詩多産の夏来る」は有名。事実、夏の句を多く残した。ところで、仕事との関係からではあるが、四十代以降からの私は早起きになった。それまでは午前四時ころに寝ていたのが、百八十度回転した。だから、私にこの句の味わいがわかったのは、二十年前くらいのことだった。これからの季節、しばらくは毎朝、青草の日向が楽しめる。たまさか曇っている朝だと、なんだか大損をしたような気にすらなってしまう。「朝日影」という言葉があって、辞書的定義では「朝の光」をさすが、これは早朝の日差しがもたらす「光」と「影」のコントラストの美しさを言った言葉だと思う。昔かよった田舎の小学校の校歌に、いきなり「朝日影」と出てきた。作詞者は、その学校の教師だったと記憶している。きっと、早起きの大好きな先生だったのだろう。『長子』(1937)所収。(清水哲男)


May 0952000

 ぽつつりとおのが名知らぬ蛇苺

                           川島千枝

には失礼な話だが、蛇くらいしか食べないとされていたので「蛇苺」。別名を「毒苺」とも。しかし毒性はないそうで、食べられるがとても不味いということは、本欄で以前書いたことがある。食べたのは、私ではない。もっと勇気のある男だ。最近は見かけたこともないが、子供のころにはそこらへんに自生している、ありふれた植物だった。熟すと見事なほどに真っ赤な色になり、「毒苺」の先入観から「ああ、毒の色とはこういうものか」と思っていた。時として、華麗なるものは、その華麗さゆえに誤解され、うとんじられる。そんな人間間の評判も知らず「おのが名」も知らないで、「ぽつつり」と実をかかげている植物を、作者は哀れとも思い健気とも思い、哀しみを感じている。まことに理不尽な命名ではないか、と。「ぽつつりと」は「蛇苺」の立つ様の写生であると同時に、このときの作者の気持ちのありようでもある。「ぽつつりと」……か。しみじみと心に入ってくるいい言葉ですね。『深祷』(2000)所収。(清水哲男)


May 1052000

 夏場所やもとよりわざのすくひなげ

                           久保田万太郎

場所見物。「すくひなげ」得意のひいき力士が、見事にその技で勝ってくれた。胸のすくような相撲ぶりだった。「これでなくっちゃあ」と、作者の力こぶが「もとより」にこめられている。夏場所だけに、相撲が撥ねた後の川風の心地よさも、きっと格別だろう。いかにも江戸っ子らしい、粋な味わい。技巧的ではあるが、嫌みがない。現代でも「夏場所」が特別視されるのは、その昔に神社仏塔営繕の資金を募った勧進相撲の名残りだからである。明治初期にはじまった本場所は、この夏場所と一月の春場所との二度しかなかった。しかも、一場所は十日間。すなわち「一年を二十日で暮すいい男」というわけだ。いまは六場所制だが、四場所になったのは1953年(昭和28年)のことで、昔は現在のように年中本場所興行があったわけではない。したがって、ファンの熱の入れようも大変なものだったろう。取り組みの一番一番が貴重だったのだ。加えて戦前までは、町や村のあちこちに当たり前のように土俵があり、子供から大人まで相撲人口も多かった。すそ野が広かった。だから、こういう句も生まれるべくして生まれてきたのである。平井照敏編『新歳時記』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


May 1152000

 朱欒咲く五月となれば日の光り

                           杉田久女

書に「出生地鹿児島 六句」とある冒頭の一句。久女は、幼児期を鹿児島で過ごした。父親は鹿児島県庁に勤務する役人だったというから、まずは良家の子女と言えるだろう。句は、久女が四十路に入ってから、往事を懐しく追想したものだ。誰か、故郷を想わざる……。残念なことに、私は朱樂(ザボン)の花を見たことがない。白色五弁花で、香り高い花だという。見たことはないけれど、南国特有の紺碧の空を背景に白い花が咲いている様子は、想像できる。はたして三歳か四歳の久女に、幼児期の正確な記憶があったのかどうかは別にして、五月の「日の光り」とともにあった幸福な時期を追想した気持ちもよくわかる。清々しい句だ。「幼児期にこそ生命の躍動(エラン・ヴィタル)がある。黄金時代がある」と言ったのは、誰だったか。花の記憶とともに小さかった頃をしのべるというのは、やはり女性に固有の才質だろう。私などには、花の記憶のかけらもない。あるのは、飛びまわっていた蜻蛉だとか蝙蝠だとか、あるいは地を這っていた蜥蜴だとか蝦蟇だとか……。色気のない話である。『杉田久女句集』(1952)所収。(清水哲男)


May 1252000

 かたつむり甲斐も信濃も雨の中

                           飯田龍太

たつむり(蝸牛)という小さな存在を基点に、意識をいっきょにとてつもなく大きな空間に広げてみせた芸。つとに名句の誉れ高い芭蕉の「かたつぶり角ふりわけよ須磨明石」のいわば続編で、作者は、ならばと「甲斐も信濃も」と二方向に「ふりわけ」させている。明るい雰囲気の「須磨明石」ではなく「甲斐信濃」であるところに、雨の必然の説得力もある。句を反芻していると、雨の香りまでが漂ってくるようだ。蝸牛は多品種で、日本だけでも七百種類はいるのだという。さらに柳田国男によれば地方ごとに異名も多く、二百四十以上はあるそうだ。なかでポピュラーなのは「でんでんむし」「ででむし」「まいまい」「まいまいつぶり」あたりか。「まいまい」はれっきとした学術上の和名で、これが本名。私の故郷山口では「でんでんむし」だった。昔の教科書に載っていた唱歌「かたつむり」の二番に「お前のめだまはどこにある」とあるが、モノの本には、二対の触覚の長いほうの先にあると書いてある。これで、明暗の判別くらいはできるらしい。蛇足ながら、エスカルゴ料理には食指が動かない。まさか、幼なじみの遠縁を食うわけにはいかない。泥鰌(どじょう)についても同様である。『新日本大歳時記・夏』(2000・講談社)所載。(清水哲男)


May 1352000

 目には青葉尾張きしめん鰹だし

                           三宅やよい

わず破顔した読者も多いだろう。もちろん「目には青葉山時鳥初鰹」(山口素堂)のもじりだ。たしかに、尾張の名物は「きしめん」に「鰹だし」。もっと他にもあるのだろうが、土地に馴染みのない私には浮かんでこない。編集者だったころ、有名な「花かつを」メーカーを取材したことがある。大勢のおばさんたちが機械で削られた「かつを」を、手作業で小売り用の袋に詰めていた。立つたびに、踏んづけていた。その部屋の写真撮影だけ、断られた。いまは、全工程がオートメーション化しているはずだ。この句の面白さは「きしめん」で胸を張り、「鰹だし」でちょっと引いている感じのするところ。そこに「だし」の味が利いている。こういう句を読むにつけ、東京(江戸)には名物がないなと痛感する。お土産にも困る。まさか「火事と喧嘩」を持っていくわけにもいかない。で、素直にギブ・アップしておけばよいものを、なかには悔し紛れに、こんな啖呵を切る奴までいるのだから困ったものだ。「津國の何五両せんさくら鯛」(宝井其角)。「津國(つのくに)」の「さくら鯛」が五両もするなんぞはちゃんちゃらおかしい。ケッ、そんなもの江戸っ子が食ってられるかよ。と、威勢だけはよいのだけれど、食いたい一心がハナからバレている。SIGH……。『玩具帳』(2000)所収。(清水哲男)


May 1452000

 母の日や塩壺に「しほ」と亡母の文字

                           川本けいし

の場合は「亡母」も「はは」と読むほうがよいだろう。母の日。亡き母を思い出すよすがは、むろん人さまざまだ。作者はそれを、母親が記した壺の文字に認めている。子供のころから台所にある、ごくありふれた壺に書かれた文字が母のテであったことを、いまさらのように思い出している。「しほ」という旧仮名づかいも懐しい。現代のように容器にバラエティがなかった昔、誰もが実によく分別するための文字を書いていた。そうしておかないと、塩壺も砂糖壺も味噌壺も、どれがどれやら判別がつかなくなってしまうからだ。私の祖母の年代までは、どこの家庭でもそうしていた。そのころの女性の失敗談に、よく塩と砂糖を間違えたという話が出てくるが、おおかたは壺の文字を確認せずに、勘に頼ってしまったせいである。そんな馬鹿な、見ればすぐにわかるじゃないか。そう思うのは現代人の幸福(かつ浅薄)なところで、精製方法が雑ぱくだった時代には、ちょっと見たくらいで「塩」と「砂糖」の区別などつきようもなかったのだ。母親が亡くなり、「しほ」の文字だけが残った。作者は、あらためて台所でしみじみと見入っている。なによりの追悼であり、なによりの遺産である。『俳句歳時記・新版』(1974・角川文庫)所載。(清水哲男)


May 1552000

 はつなつのコーリン鉛筆折れやすし

                           林 朋子

雑誌広告・1956
雑誌「野球少年」広告・1956年1月号
しや、コーリン鉛筆。子供のころ、私も肥後守(小刀)で削ってよく使った。他の銘柄には「トンボ鉛筆」「三菱鉛筆」「ヨット鉛筆」「地球鉛筆」「アオバ鉛筆」など。あのころの鉛筆は折れやすく、割れやすかった。なかには芯に砂が混ざっているような粗悪品もあり、書くたびにギシギシ変な音がしたりした。コーリン鉛筆も、上等のほうじゃなかったと思う。でも、私は名前の響きが好きで愛用していた。もちろん、「コーリン」の意味などわかってなかった。英語を習うようになってから、「コーリン」は"colleen"とつづり、アイルランド英語で「(美)少女」の意味だと知ったときは嬉しかった。しかし、なぜこんな難しい言葉を銘柄に選んだのだろうか。鉛筆のマークにも女の子の絵などなかった(広告左上を見ると「花王」マークもどき)し、さぞや宣伝しにくかったろうに。よほど言葉の響きに自信があったのか。事実、私は響きに吸い寄せられたクチだけれど……。ところで、句の「はつなつ」は、理屈で考えれば他の季節とも入れ替え可能だ。鉛筆が折れやすいのは、なにも「はつなつ」とは限らない。だが、あの鉛筆の緑色がいちばん似合う季節をよく考えてみると、やはり「はつなつ」をおいて他にはないだろう。鉛筆が折れやすくて哀しかった記憶も、いまでは「はつなつ」に溶け入って甘美ですらある。『森の晩餐』(1994)所収。(清水哲男)


May 1652000

 行春や鳥啼き魚の目は泪

                           松尾芭蕉

蕉が「おくのほそ道」の旅に出発したのは、元禄二年(1689年)の「弥生も末の七日(三月二十七日)」のこと。この日付をヒマな人(でも、相当にアタマのよい人)が陽暦に換算してみたところ、五月十六日であることがわかったという。すなわち、三百十一年前の今日のことだった。基点は「千じゅと云所」(現在の東京都足立区千住)であり、出立にあたって芭蕉はこの句を「矢立の初めとし」ている。有名な句だ。が、有名なわりには、よくわからない句でもある。まずは、季節感が生活感覚からずれているところ。江戸期だとて、いまどきの体感として晩春とは言い難いだろう。そこらへんは芭蕉が暦の「弥生」に義理立てしたのだと譲るとしても、唐突に「鳥」と「魚」を持ちだしてきた心理が不可解だ。別れを惜しんで多くの人々の見送りを受けるなかで、なぜ「鳥、魚」なのか。なぜ「人」ではないのだろうか。これでは、見送りの人に失礼じゃなかったのか。気になって、長年考えている。休むに似た考えの過程は省略するが、いまのところの私の理解は、当時の自然観との差異に行き当たっている。いまでこそ「自然」はいわば珍重されているけれど、往時はそんなことはなかった。自然は自然に自然だったのだから、自然にある人の心も他の自然のありようで自然に代表させることができたのだと思う。ややこしいが、要するに句の意味は、見送りの人に無関係な鳥や魚までもが惜別の情に濡れているという大仰なことではなくて、鳥や魚が濡れていると作者が感じれば人についても同様だと言っているにすぎない。これだけで、句に「人」は十二分に登場しているのである。
[読者からのご教示により追記・5月16日午前5時30分]岩波文庫『おくのほそ道』の付録に18世紀の芭蕉研究家・蓑笠庵梨一の『奥細道菅菰抄』が収録されています。以下、該当部分。「杜甫が春望ノ詩ニ、感時花濺涙、恨別鳥驚心。文選古詩ニ、王鮪懷河軸、晨風(鷹ヲ云)思北林。古楽府ニ、枯魚過河泣、何時還復入。是等を趣向の句なるべし」。つまり、漢詩を下敷きにしたという説。それもあるだろう。が、ここまでくると「人」の匂いがしない。どちらかと言えば故郷や山河との別れだ。芭蕉の句は「や」の切れ字に「人」としての匂いがあるために、「人」との惜別の情が表現されている。そんなふうにも思いましたが……。ううむ、朝からいささか混乱気味です。ありがとうございました。(清水哲男)


May 1752000

 女知り青蘆原に身を沈む

                           車谷長吉

書に「播州飾磨川」とある。作者の故郷の川だ。俳句ではなかなかお目にかかれない題材だが、小説家の作者にしてみれば「イロハ」の「イ」の字くらいのテーマだろう。生い茂る蘆の原に身を沈めたのは、気恥ずかしい気持ちからではない。異性を知るとは人生の一大事であり、その一大事を通過したときの虚脱感のような感覚を詠んだ句だ(と読んだ)。要するに「へたりこんだ」というに近い感覚で、だから「沈め」と止めて気取る力もなく「沈む」と言ったわけだ。背丈よりもはるかに高い青蘆の原に身をへたりこませて、半ば茫然としている若き日の作者の心持ちに、状況は違っても思い当たる読者も多いのではないか。近所に青蘆原でもあったら、私も作者と同じ行動に出ただろうと、句を読んでしみじみと思う。車谷長吉さんとの付かず離れずの長いつきあいで思い出すのは、もう三十年も昔に、角川文庫の『西東三鬼句集』を何度となく貸し借りして読み合ったことだ。彼はそのころから、神経のピリピリするような繊細な筆致で小説を書いていた。ぼおっと、蘆原にへたりこんでいるだけじゃなかった。『業柱抱き(ごうばしらだき)』(1998)所収。(清水哲男)


May 1852000

 氷菓舐め暢気妻子の信篤し

                           清水基吉

じ年(1956年・昭和31年)の句に「門前の水温む貧躱し得ず」がある。「躱し」は「かわし」。作者は芥川賞受賞作家であったが、いまとは違い経済的に恵まれることもなく「昭和卅年の頃から生活に行きづまり、右往左往して感情また定まらぬところがあった。妻子をかかえて、居處を輾々とし……」という記述が句集の後書きに見える。一家の主人たるもの、お手上げの図だ。そんな主人の気持ちなど露解さない様子で、妻子がアイスキャンデーを暢気(のんき)に舐めている。作者もまた、暢気そうに舐めている。が、この一見明るい構図は辛いのだ。すなわち妻子に「こいつらめが」と思うと同時に、「こいつらめ」は俺を全面的に信頼しているのだなと感じていて、ますますプレッシャーの度合いが強くなってくる。「こいつら」のために、早くなんとかしなければと焦る気持ちが高じている。昔の男は大変だった。いや、いまだってまだ、さして事情は変わっていないだろう。どのみち、こうした家族の経済構造は崩れていくのだろうが、そんな暢気な一般論はさておき、目前の生活を少しでもよくするために今日も焦っている男たち。もとより私もその一人であり、ひたすら生活のためにのみ働くことの苦さを、この句につくづくと思う。『宿命』(1966)所収。(清水哲男)


May 1952000

 牡丹を見つ立つてをり全き人

                           小川双々子

者の視線と関心は、おのずから「全き人」にむかう。どんな人なのだろうか。昔から牡丹は美人の比喩に使われてきたから、凄い美人なのかもしれない。あるいは、人間世界を超越した神に近い人物という印象であるのか。説明がないので、それこそ「全く」わからない。でも、それでよいのである。この「全き人」には、姿がない。いや、姿はあるのだけれど、「全き」と作者が言ったと同時に、忽然と姿は消えてしまったのだ。そう思った。なぜなら、この句は、牡丹と牡丹を見ている人のそれぞれの姿をただ並べているのではなく、牡丹と見ている人の「関係」の充実性を詠んでいるのだからだ。花の美しさが極まり、それを見る人の感興が極まった場面の呼吸を、作者は提示したかった。すなわち、姿かたちなど問題にならないほどに、両者はお互いに高まっているのであり、このときに見る人を言葉で表現するとすれば「全き人」とでも言うしかないという句なのだと思う。このように花を見るときに、誰でもが「全き人」となる。『異韻稿』(1997)所収。(清水哲男)


May 2052000

 そもそものいちぢく若葉こそばゆく

                           小沢信男

もそも私たちが若葉や青葉というときに、たいがいは樹木についた新葉をひっくるめてイメージするはずである。ほとんど「新緑」と同義語に解している。いちいち、この若葉は何という名前の木の葉っぱで……などと区別はしないものだ。なかに「柿若葉」や「朴若葉」と特別視されるものもあるけれど、それはそれなりの特徴があるからなのであって、まさか「いちぢく」の葉を他の若葉と景観的に切り分けて観賞する人はいないだろう。そこらへんの事情を百も承知で、あえて切り分けて見せたところに句の妙味がある。誰もが見る上方遠方の若葉を見ずに、視線を下方身近に落として、そこから一挙に「そもそも」のアダムとイヴの太古にまで時間を駆けのぼった技は痛快ですらある。「そもそも」人類の着衣のはじまりは、かくのごとくにさぞや「こそばゆ」かったことだろう。思わずも、日頃関心のなかったいちぢくの葉っぱを眺めてみたくなってしまう。ただし、この諧謔は俳句だから面白いのであって、例えばコント仕立てなどでは興ざめになってしまうだろう。俳句はいいなア。素朴にそう感じられる一句だ。ついでだけれど、同様に青葉の景観を切り分けた私の好きな一茶の句を紹介しておきたい。「梅の木の心しづかに青葉かな」。梅の青葉です。言われてみると、たしかに「しづか」な心持ちになることができます。『んの字』(2000)所収。(清水哲男)


May 2152000

 グラジオラス妻は愛憎鮮烈に

                           日野草城

夏の花だ。村山古郷に「グラジオラス一方咲きの哀れさよ」がある。たしかに一方向に向いて咲きそろい、葉は剣の形をしている。が、少しもトゲトゲしい植物という印象はない。したがって「哀れ」とは「もののあはれ」の「あはれ」だろう。一方咲きの習性は、どうにもならぬ。こんなにも、すずやかで可憐な花なのに、何をどうしてそんなに頑張ってしまうのか。そんなグラジオラスの習性を妻のそれに例えたのが、掲句というわけだ。「愛憎」や「好き嫌い」が激しい。事物についても人物についても……。そんな細かいことまでに、いちいち愛憎をあからさまにしなくてもいいじゃないか。もっとゆったりと、安らかに生きてほしいよ。第一、そんなツンケンした態度は、あなたには似合わないのに……。そう思いながら、日々暮らしている。しかし、本日は暑さも暑し。だから、いささかのうとましい気持ちも湧いてきてしまう。「妻」はともかくとしても、引き合いに出されたグラジオラスには、いい迷惑な句ではある。こんなふうに言われたら、ますますかたくなに一方咲きに固執したくなるではないか(笑)。『俳諧歳時記・夏』(1984・新潮文庫)所載。(清水哲男)


May 2252000

 たべ飽きてとんとん歩く鴉の子

                           高野素十

素十肖像
語は「鴉(カラス)の子」で夏。スズメやツバメの子の姿は親しいが、カラスの子は見たことがない。素十は写生に徹底した俳人だから、描写は正確無比のはず。カラスの子は、きっとこのようにあどけなくて可愛らしいのだろう。「とんとん」歩く姿を、一度は見てみたい。いまや都会の天敵視されているカラスも、「烏といっしょに かえりましょう」と一年生の教科書の『夕焼け小焼け』で歌われ、『七つの子』という童謡もあるほどに昔は愛すべき存在だった。それが、現在はこんな御触れ書きが出されるまでに、不幸な関係に入ってしまった。以下、近隣自治体の「お知らせ」より抜粋。「ヒナが育つこれからの時期は更に攻撃性は強まります。カラスは、捕ったり殺したりできませんので、被害を減らすためには、巣を撤去し、数を制限することが効果的な方法となります。巣の撤去は、全て樹木などの所有者の責任で行うことになっています。また、巣の中に卵やヒナがいる場合には、特別な許可が必要となります。……巣がある場合は、造園業者などに依頼して、早い時期に撤去するよう御願いします」。カラスにたまたま巣をかけられた樹木の所有者や管理者は、自分の責任で(つまり、自腹を切って)撤去すべしということ。知らなかった。気になるのは「特別な許可」の中身ですね。やがて「とんとん」歩きだす子ガラスの命を尊重するための、せめてもの法的配慮なのでしょうか。『初鴉』(1947)所収。(清水哲男)


May 2352000

 恋文の起承転転さくらんぼ

                           池田澄子

分に宛てられた恋文を読んでいるのか、それとも、文豪などが残した手紙を読んでいるのか。いずれでも、よいだろう。言われてみれば、なるほど恋文には、普通の手紙のようにはきちんとした「起承転結」がない。とりとめがない。要するに、恋文には用件がないからだ。なかには用事にかこつけて書いたりする場合もあるだろうが、かこつけているだけに、余計に不自然になってしまう。したがって「起承転結」ではなく「起承転転」という次第。さながら「さくらんぼ」のように転転としてとりとめもないのだが、しかし、そこにこそ恋文の恋文たる所以があるのだろう。微笑や苦笑や、はたまた困惑や喜びをもたらす恋文の構造を分析してみれば、その本質は「起承転転」に極まってくる。「さくらんぼ」を口にしながら、このとき作者はおだやかな微笑を浮かべているにちがいない。同じ作者に「恋文のようにも読めて手暗がり」がある。「さくらんぼ」の転転どころではない「起承転転」もなはだしい手紙なのだ。もちろん、作者は大いに困惑している。『空の庭』(1988)所収。(清水哲男)


May 2452000

 バスの棚の夏帽のよく落ること

                           高浜虚子

前の男は、実によく帽子をかぶった。北原白秋の「青いソフトに降る雪は……」という小粋な詩を持ち出すまでもなく、寒い季節の「ソフト帽」はごく当たり前のことだったし、夏の「カンカン帽」や高級な「パナマ帽」など、いまの若い人にも古い写真や映画などではおなじみのはずである。句は六十年も前に、虚子が佐渡に遊んだときのスケッチだ。季節は五月。舗装などされていない島の凸凹道を走っているのだから、バスが飛び上がるたびに、網棚に置いた帽子が転がり落ちてくる。「しようがないなア」と、苦笑しつつ帽子を網棚に戻している。戻したと思ったら、また落ちてくる。で、また戻す。もちろん、他の人の帽子も。道中、この繰り返しだ。「それがどうしたの。たいした句じゃないね」。いまの読者の多くは、おそらくそう思うだろう。理由は、やはり現代人に帽子を愛用する習慣がないからである(いま若者に流行している野球帽みたいな「キャップ」とは、帽子の格が違う)。「不易流行」の「不易」も「流行」も、帽子的にはもはや喪失してしまっている。私もそんなによい句とは思わないが、あえて持ち出してみたのは、昔の句を観賞する難しさが、こんなに易しい句にもあると言いたかったので……。易しさは、おおかたの俳句の命。その命が伝わらなくなるのは悲しいことだが、しかしこのこともまた、俳句の命というものではあるまいか。『五百五十句』(1943)所収。(清水哲男)


May 2552000

 蛙遠く跫音もせず暮る二階

                           芹田鳳車

語は「遠蛙」で春だが、初夏の景としても十分に通用する。でも、この人は元来が自由律俳句の荻原井泉水門だから、季語的分類に固執してもさして意味はないだろう。句意は明瞭だ。まことに森閑たる夕暮れの雰囲気が活写されている。鳳車(ほうしゃ)の代表作に、第一句集のタイトルともなった「草に寝れば空流る雲の音聞こゆ」があるが、これまた極めて静謐な情景だ。このように、鳳車句の特徴は静かな境地にある。心身を沈め澄ませて、感じられる感興を詠むのである。この場合で言うと、二階にいる家人の跫音(あしおと)にことさらに耳をそばだてているのではなく、みずからの静かな心身状態が自然に(ひとりでに)とらえた結果の気配なのだ。がつがつと素材を探し回るようなことはしていない。「雲の音」句についても、同様である。私たちが俳句の魅力にとらわれる一つの要因は、このように自分の心身を静かに保ち、そこに浮かび上がってくる何かを詠む充実感にあるのだろう。日常生活のあれやこれやを一切遮断して、心を澄ませてみたときに何が見え、何が聞こえるか。そうしたいわば自己発見の妙味に、多くの人が魅入られてきた。その典型を、私などはこの人に見る。『雲の音』所収。(清水哲男)


May 2652000

 麦秋や自転車こぎて宣教師

                           永井芙美

の熟した畑が、四方にどこまでも広がっている。そのなかの道を、黒衣の宣教師が自転車でさっそうと行きすぎてゆく。薫風が肌に心地よい季節の情景を、いっそう気持ちよくとらえた句だ。ただし、読者がちょっと立ち止まるところがあるとすれば、「麦」と「宣教師」との取り合わせだろう。「一と本の青麦若し死なずんばてふ語かなし」(中村草田男)というキリスト教との関連だ。が、私はそこまでは踏み込まないでよいように思う。軽やかな宣教師の自転車姿が、麦秋の景観を引き立てている。そう、素朴に読んでおきたい。それよりも面白いのは、聖職者と乗り物との取り合わせに、なぜ私たちは着目するのかという点だろう。昔からなぜか、聖職に携わる人(この国では「教師」なども含まれる)には歩くイメージが固着している。乗る姿に違和感のないのは、聖職者が自分で運転しない自動車に乗っている時であるとか……。とにかく聖職者が自力で乗り物を動かすことに、庶民は違和感を感じてきたようだ。自分で乗り物をあやつる行為には、反聖的な軽薄さにつながるという認識でもあるのだろうか。馬車の時代の階級差への認識が、いまだに感覚として残っているのか。スクーターに乗った僧侶とすれ違うだけで、内心「ほおっ」と思ってしまうのは、私だけではないだろう。『福音歳時記』(1993・ふらんす堂)所載。(清水哲男)


May 2752000

 たぶんもう来ないとおもふ馬刀がゐる

                           西野文代

刀(まて)は「馬蛤貝(まてがい)」あるいは「馬刀貝」で春の季語。もう、旬は過ぎているだろう。アンチョコによれば「マテガイ科の横長筒状の二枚貝。殻長は十二センチほど。美味」とある。干潟の生息穴に塩を入れると、反射的に飛び出してくるというから、面白い動きをする貝である。正岡子規に「面白や馬刀の居る穴居らぬ穴」がある。あまり海には出かけないので、見たことがあるようなないような……。アレがそうだったのだろうかとも思うが、自信なし。句を採り上げたのは、「たぶんもう来ないとおもふ」という発想に魅かれたからだ。旅に出て、自然にこう思うようになるには、それなりの年齢が必要だ。若い頃には、皆無に近い思いだろう。それがいつしか、どこに出かけてもこんな気持ちになる。その気持ちを、元気で剽軽な動きの馬刀に結びつけたところが句の魅力だ。「何をそんなに感傷的になってるの」。このときの馬刀は、そんな顔(?!)をしている。今日の私は、一年に一度の旅行に出かける。職業柄ウィークデーの休暇はとりにくく、たった一泊しかできないけれど、楽しみだ。きっと、先々で「たぶんもう来ないとおもふ」のだろう。「俳句界」(2000年6月号)所載。(清水哲男)


May 2852000

 されど雨されど暗緑 竹に降る

                           大井恒行

季句。この句については、十五年前の初出句集に寄せた拙文があるので、そのまま書き写しておきたい。いささかキザですが……。「この鮮烈なイメージは、そのまま私の少年時代につながってしまう。竹薮を控えた山の中の粗末な家。裏山で脱皮をつづける竹の音を聞きながら、私はあらぬことばかりを考えていたようだ。雨が来ると、はたして妄想は募ったのである。そしてその妄想は、暗い緑のなかでつめたく逆上するのが常であった。不健康というにはあたるまい。むしろ妄想は、少年において健康の証ではないのか。妄想の力を伸ばしきったところに、見えていたもの。もはや少年でなくなった者は、かつてそうして見えていたものの、いわば貯金の利子をあやつって、質素に散文の世を生きていくしかないのだと恩う。晴れた目に、精神のバランスを取る。その秤を手に入れたのは少年の日であったことを、むろん大井恒行も承知している」。このページの読者にわからないのは「晴れた目に、精神のバランスを取る」の部分だろうが、拙文の前段で、句は雨降りの日にではなく、逆に「晴天」のもとで書かれたのではないか。「鏡の裏に、ひとは詩を発見するものであるらしい」と、そんな私の推測を受けた文章である。『風の銀漢』(1985)所収。(清水哲男)


May 2952000

 あきなひや蝿取リボン蝿を待つ

                           ねじめ正也

息のねじめ正一さんが有名にした「ねじめ民芸店」以前に、作者は高円寺(東京・杉並)で、乾物屋を営んでいた。私は二十代の頃、その店の前を通って出勤していたので、たたずまいもよく知っている。普通の店構えではあったが、乾物に加えて渋団扇などが並べられていたのが、ちょっと変わっていた。一度だけ、気まぐれに大きな赤い団扇を買ったことがあったっけ。乾物屋だから、夏ともなると昔(ちなみに1953年の作)は当然のことに蝿どもが群がってくる。防衛策としては、とりあえず蝿取リボンを何本も吊るすしかないわけだ。で、吊るし終えて店に座り込み、出てきた言葉が「あきなひや」であった。この呼吸が面白い。と言うか、商人でなければ発さない嘆息が、自然にぽっと吐かれている無技巧に感心してしまう。すなわち、蝿取リボンが蝿を待つように、自分もまた客を「待つ」しかない存在であるなアと、思わずも吐いてしまっているところ。「あきなひや」には、いささかの自嘲も含まれているとも読めるけれど、その前に、ふっと蝿取リボンと自分の姿を重ねてしまった驚きが感じられる。一瞬の後に、態勢を立て直してしかめっ面を取り戻しているところに、句の妙味がある。季語は「蝿取」で夏。もはや死語になっている。『蝿取リボン』(1991)所収。(清水哲男)


May 3052000

 忽ちに雑言飛ぶや冷奴

                           相馬遷子

言(ぞうごん)が飛ぶというのだから、酒盛りの図だ。すなわち、酒の肴としての「冷奴」。酒の場に季節物の「冷奴」が出されたことで、みんなが大いに愉快を覚え、忽ち(たちまち)べらんめえ調も飛び出す楽しい座となった……。この句は、いろいろな歳時記に登場してくる。目にするたびに、内心、どこがよいのかと目をこすってきた。ささやかな「冷奴」ごときに、なぜこんなにも男たちの座が盛り上がったのか。謎だった。ところが最近、山本健吉の『俳句鑑賞歳時記』(2000・角川ソフィア文庫)を読んでいて、謎ははらりと解けることになった。句が作られたのは、戦後も一年目の夏。場所は函館。詞書に「送迎桂郎」とあり、座には戦災で家を失った石川桂郎がいた。「べらんめえ」の主は、おそらく桂郎だろう。すなわち、ひどい食料難の時代で、豆腐はとんでもない「貴重品」だったのである。それが、夢のように目の前に出てきた。愉快にならずにいられようか。各歳時記の編纂者や編集者たちは桂郎や遷子らと同世代か少し上の世代だったので、句はハラワタにしみとおるように理解できたことだろう。だから、かの時代の記念碑的な作品として、誰もが自分の歳時記にそっと残しておきたかったのである。「冷奴」よ、もって瞑すべし。(清水哲男)


May 3152000

 蟇歩くさみしきときはさみしと言へ

                           大野林火

。この場合は「ひき」と読ませているが、他に「ひきがえる」「がまがえる」「がま」とも。容貌怪異にして動作の鈍重なことから、芝居などでは妖怪のように扱われたりする。実際、こやつが暮れ方の庭の真ん中あたりに鎮座していると、ぎょっとさせられる。追ってもなかなか逃げないので、ますます不気味だ。しかし、研究者によると、その性温厚にして争いを好まない動物。なわばり争いはまったくなく、動物界きっての平和主義者なのだという。蚊などの虫を捕食してくれるから、無害有益。蟇は「見かけによらない」のだ。そんな蟇がのそりのそりと歩いている様子は、句のようにさみしさに耐えているようにも思われる。ここで作者は思わずも、さみしいのだったら、黙っていないで「さみしと言へ」と声をかけたくなった。励ましたくなった。ひるがえって、このときの作者の心中を推し量ると、やはり何かの「さみしさ」に耐えていたのだろうと思われる。その気持ちが、さみしげに歩行する蟇の姿に吸い寄せられた。裏を返せば、こうして蟇に呼びかけることで、作者は自分自身を激励したのである。『新日本大歳時記・夏』(2000・講談社)所載。(清水哲男)




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