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April 2842000

 鴨のこる池が真中競馬場

                           飯島晴子

語は「鴨のこる(残る鴨)」。春先から鴨は北へ帰っていくが、春深くなってもまだ帰らずにいる鴨を指す。なぜ、残るのか。生物学的な解釈は知らないが、どことなくお尻の重い人を連想させられたりして、ほほ笑ましい。そんな鴨の浮かんでいる池が、競馬場の真中にあるというわけだが、実景だろう。競馬場ないしは競馬の句というと、とかくレースがらみの発想に淫しがちのなかで、かくのごとくに淡々たる叙景句は珍しい。だから、逆に際立つ。競馬ファンなら、ポンと小膝の一つも叩きたくなるはずだ。ただし、このような句はよほどの競馬好きの人にしか作れないだろう。場数を踏んでいないと、なかなか競馬場の池などには目が行かないし、ましてやそこに浮かぶ小さな鴨なんぞに気がつくはずもないからである。競馬好きの目と俳句好きの目が交互に影響しあって、はじめて成立した作品だ。このとき、作者にとっての肝心のレースはどうなっているのだろうか。もはや私には、想像できかねる世界だ。二十数年前、中山の有馬記念でしたたかにやられ、文字通りにとぼとぼと北風吹くオケラ街道を戻って以来、ふっつりと止めてしまった。『八頭』(1985)所収。(清水哲男)




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