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April 2242000

 行く春やみんな知らない人ばかり

                           辻貨物船

節の春はもとより、人間の春も短い。詩人は「行く春」の季節のなかで、みずからの青春を追想しているように思える。林芙美子は「花の命は短くて苦しきことのみ多かりき」と、みずからの青春を「花」に擬したが、これは女性に特有の感覚だろう。女性に特有の感覚だからこそ、男に愛唱される一行となった。男の感覚には、存外まわりくどいところがある。ぴしゃりと「花」に行き着くことなどは、めったにない。根っこのところで、いつも行き暮れている。茫洋とし、かつ茫然としている。常識では、この様子を「シャイ」と言ったりするわけだが、正体を割ってみれば、行き暮れているだけのこと。ときに男が「蛮勇」を振るうのも、そのせいである。男の詩人にとっての詩は、いわば「蛮勇」の振るい場所なのだ。辻の最後の詩集のタイトルは『萌えいずる若葉に対峙して』と名づけられており、明確に「蛮勇」が露出している。ひるがえって、彼が真剣に俳句と遊んだ理由は、そこが必ずしも「蛮勇」を要求しない場所だったからだ。行き暮れたまま、そのままに内心を吐露することができたからだと思う。句の「知らない人」とは、もちろんアカの他人も含んでいるが、男の感覚にとって重要なのは、このなかには親も兄弟も、連れ合いも子供も、友人知己もが「みんな」含まれているところだ。「蛮勇」を振るわなくとも、俳句ではそういうことを「行き暮れ」たままに言うことができる。今年の春も、もう行ってしまう。『貨物船句集』(2000・井川博年編・私家版)所収。(清水哲男)


May 0252000

 行く春のお好み焼きを二度たたく

                           松永典子

きに人は、実に不思議で不可解な所作をする。「お好み焼き」ができあがったときに、「ハイ、一丁上りッ」とばかりにコテでポンと叩くのも、その一つだ。たいていの人が、そうする。ただし、街のお好み焼き屋にカップルでいる男女だけは例外。焼き上がっても、決して叩いたりはしない。しーんと、しばし焼き上がったものを見つめているだけである。逆に、これまた不思議な所作の一つと言ってよい。句は、自宅で焼いている光景だろう。大きなフライパンかなんかで、大きなお好み焼きができあがった。そこで、すこぶる機嫌の良い作者は、思わずも二度叩いてしまった。ポン、ポン(満足、満足)。折しも季節は「行く春」なのだけれど、感傷とは無関係、これから花かつおや青海苔なんぞを振りかけて、ふうふう言いながら家族みんなで食べるのだ。元気な主婦の元気ですがすがしい一句である。ここで、いささかうがったことを述べておけば、作者は憂いを含む季語として常用されてきた「行く春」のベクトルを、180度ひっくり返して「夏兆す」の明るい意味合いを込めたそれに転化している。句が新鮮で力強く感じられるのは、多分にそのせいでもある。『木の言葉から』(2000)所収。(清水哲男)


May 1652000

 行春や鳥啼き魚の目は泪

                           松尾芭蕉

蕉が「おくのほそ道」の旅に出発したのは、元禄二年(1689年)の「弥生も末の七日(三月二十七日)」のこと。この日付をヒマな人(でも、相当にアタマのよい人)が陽暦に換算してみたところ、五月十六日であることがわかったという。すなわち、三百十一年前の今日のことだった。基点は「千じゅと云所」(現在の東京都足立区千住)であり、出立にあたって芭蕉はこの句を「矢立の初めとし」ている。有名な句だ。が、有名なわりには、よくわからない句でもある。まずは、季節感が生活感覚からずれているところ。江戸期だとて、いまどきの体感として晩春とは言い難いだろう。そこらへんは芭蕉が暦の「弥生」に義理立てしたのだと譲るとしても、唐突に「鳥」と「魚」を持ちだしてきた心理が不可解だ。別れを惜しんで多くの人々の見送りを受けるなかで、なぜ「鳥、魚」なのか。なぜ「人」ではないのだろうか。これでは、見送りの人に失礼じゃなかったのか。気になって、長年考えている。休むに似た考えの過程は省略するが、いまのところの私の理解は、当時の自然観との差異に行き当たっている。いまでこそ「自然」はいわば珍重されているけれど、往時はそんなことはなかった。自然は自然に自然だったのだから、自然にある人の心も他の自然のありようで自然に代表させることができたのだと思う。ややこしいが、要するに句の意味は、見送りの人に無関係な鳥や魚までもが惜別の情に濡れているという大仰なことではなくて、鳥や魚が濡れていると作者が感じれば人についても同様だと言っているにすぎない。これだけで、句に「人」は十二分に登場しているのである。
[読者からのご教示により追記・5月16日午前5時30分]岩波文庫『おくのほそ道』の付録に18世紀の芭蕉研究家・蓑笠庵梨一の『奥細道菅菰抄』が収録されています。以下、該当部分。「杜甫が春望ノ詩ニ、感時花濺涙、恨別鳥驚心。文選古詩ニ、王鮪懷河軸、晨風(鷹ヲ云)思北林。古楽府ニ、枯魚過河泣、何時還復入。是等を趣向の句なるべし」。つまり、漢詩を下敷きにしたという説。それもあるだろう。が、ここまでくると「人」の匂いがしない。どちらかと言えば故郷や山河との別れだ。芭蕉の句は「や」の切れ字に「人」としての匂いがあるために、「人」との惜別の情が表現されている。そんなふうにも思いましたが……。ううむ、朝からいささか混乱気味です。ありがとうございました。(清水哲男)


March 2832001

 春昼の指とどまれば琴も止む

                           野沢節子

とに知られた句。あったりまえじゃん。若年のころは、この句の良さがわからなかった。琴はおろか、何の楽器も弾けないせいもあって、楽曲を演奏する楽しさや充実感がわからなかったからだ。句は、演奏を終えた直後の気持ちを詠んでいる。まだ弾き終えた曲の余韻が身体や周辺に漂っており、その余韻が暖かい春の午後のなかに溶け出していくような気持ち……。琴の音は血をざわめかすようなところがあり、終わると、そのざわめきが静かに波が引くようにおさまっていく。弾いているときとは別に、弾き終えた後の血のおさまりにも、演奏者にはまた新しい充実感が涌くのだろう。まことに「春昼」のおぼろな雰囲気にフィットする句だ。ちなみに、このとき作者が弾いたのは「千鳥の曲」後段だった。三十代のころに住んでいたマンションの近所に、琴を教える家があった。坂の途中に石垣を組んで建てられたその家は、うっそうたる樹木に覆われていて、見上げてもほとんど家のかたちも見えないほどであった。日曜日などに通りかかると、よく音色が聞こえてきたものだ。どういう人が教えていて、どういう人が習っているのか。一度も、出入りする人を見たことはない。そのあたりも神秘的で、私は勝手に弾いている人を想像しては楽しんでいた。上手いか下手かは、問題じゃない。ピアノ全盛時代にあって、琴の音が流れてくるだけで新鮮な感じがした。「深窓の令嬢」なんて言葉を思い出したりもした。掲句から誰もが容易に連想するのは、これまたつとに知られた蕪村の「ゆく春やおもたき琵琶の抱ごゝろ」だろう。こちらは、これから弾くところだろうか。なんとなくだが、蕪村は琵琶を弾けない人だったような気がする。演奏云々よりも、気持ちが楽器の質感に傾き過ぎている。それはよいとしても、演奏者なら楽器を取り上げたとき、こんな気持ちにならないのではないだろうか。つまり、想像句だということ。『未明音』(1955)所収。(清水哲男)


April 2342001

 春尽きて山みな甲斐に走りけり

                           前田普羅

正期の句。大型で颯爽としていて、気持ちの良い句だ。ちょこまかと技巧を凝らしていないところが、惜春という一種あまやかに流れやすい感傷を越えて、初夏へと向かう季節の勢いにぴったりである。雄渾の風を感じる。甲斐の隣国は、信濃あたりでの作句だろうか。この季節に縦走する山々の尾根を眺めていると、青葉若葉を引き連れて、なるほど一心に走っていくように見える。動かぬ山の疾走感。「ああ、いよいよ夏がやってくるのだ」と、作者は登山好きだったというから、さぞや心躍ったことだろう。こういう句を読むと、気持ちが晴れて、今日一日がとても良い日になりそうな気がしてくる。ちょこまかとした世間とのしがらみも、一瞬忘れてしまう。エーリッヒ・ケストナーの詩集『人生処方詩集』じゃないけれど、私には一服の清涼剤だ。ケストナーが皮肉めかして書いているように、「精神的浄化作用はその発見者(アリストテレス)より古く、その注釈者たちよりも有効である」。すなわち、太古から人間の心の霧を払うものは不変だと言うことである。自然とともに歩んできた俳句には、だから精神浄化の力もある。現代俳句も、もう一度、ここらあたりのことをよく考えてみるべきではないか。自然が失われたなどと、嘆いてみてもはじまらない。掲句の自然なら、いまだって不変じゃないか。『雪山』(1992・ふらんす堂)所収。(清水哲男)


May 0452002

 行く春を死でしめくくる人ひとり

                           能村登四郎

書に「中村歌右衛門逝く」とある。名女形と謳われた六代目が亡くなったのは、昨年(2001年)の三月三十一日のこと。桜満開の東京に、二十五年ぶりという雪が舞った日の宵の口だった。命日と掲句の季節感とはずれているが、何日か経ってからの回想だろう。そして、同年の五月二十四日には、六代目より五歳年長だった作者も卒寿で逝くことになる。ほぼ同世代のスター役者が亡くなった。そのことだけを、ぽつりと述べている。残念とか惜しいとか言うのは、まだまだ若い人の言うことで、九十歳の作者にとってはぽつりで十分だったのだろう。長生きして老人になれば、友人知己はぽつりぽつりと欠けていく。若い頃とは違い、もはやさしたる嘆きもなく、その人の死の事実だけを素直に受け入れていく。知己ではない歌右衛門の死だから、ことさらにぽつりと他人事としてつぶやいたのではなく、この句は誰の死に対しても同じ受け入れ方をするようになった作者の心のありようを、たまたま有名役者の死に事寄せて述べたのではあるまいか。みずからの来たるべき死についても、同じように淡々と受け入れるということでもあるだろう。長命の人は誰もが、諦念からでもなく孤独感からでもなく、このように現実の死を受容できるのだとしたら、少しは長生きしてみたくなってくる。でも、詩人の天野忠さんが珍しく怒って言ってたっけ。わかりもしないくせに、ぬるま湯につかったような「老人観」をしゃべるもんじゃないよ、と。『羽化』(2001)所収。(清水哲男)


April 2642003

 行く春やほろ酔ひに似る人づかれ

                           上田五千石

っかり花も散った東京では、自然はもう初夏の装いに近くなってきた。そろそろ、今年の春も行ってしまうのか。これからは日に日に、そんな実感が濃くなっていく。しかし、同じ季節の変わり目とはいっても、秋から冬へ移っていくときのような寂しさはない。万物が活気に溢れる季節がやってくるからだ。それにしても、寒さから解放された春には外出の機会が多くなる。花見をピークとして人込みに出ることも多いし、人事の季節ゆえ、歓送迎会などで誰かれと会うことも他の季節よりは格段に多い。春は、いささか「人づかれ」のする季節でもあるのだ。その「人づかれ」を、作者は「ほろ酔ひに似る」と詠んだ。うっすらと意識が霞んだような酔い心地が、春行くころの温暖な空気とあいまって、決して不快な「人づかれ」ではないことを告げている。ちょっとくたびれはしたけれど、心地のよい疲労感なのである。この三月で、私はラジオの仕事を止めたこともあって、普段の年よりもよほど「人づかれ」のする春を体験した。作者と同じように「ほろ酔ひ」の感じだが、もう二度とこのような春はめぐってこないと思うと、う〜ん、なんとなく寂しい気分もまざっている、かな。『俳句塾』(1992)所収。(清水哲男)


April 2042005

 小酒屋の皿に春行く卵かな

                           常世田長翠

語は「春行く(「行く春」「逝春」などとも)」。別の季語「暮の春」と同じ時期のことを言うが、「春行く」というと春を惜しむ詠嘆が加わる。江戸期の句。昼下がり。旅の途中で、街道沿いの「小酒屋」の縁台にでも腰を下ろして小休止している図だろう。親爺に一本つけてもらって、茹で卵を肴にちびちびとやっている。束の間の旅の楽しみ、道行く人を眺めたり、黄を散らしている周辺の山吹をあらためて眺めやったり……。そして手元の「皿」には、真っ白な卵の影がやわらかくさしている。そろそろ今年の春もおしまいだな。そんな様子と気分を、軽やかにも自然な調子で「皿に春行く」と言い止めた。読者に、何の技巧的な企みも感じさせない技巧。実に見事なものではないか。この句と作者については、俳誌「梟」(2005年4月号)ではじめて知った。作者のプロフィールを、矢島渚男の紹介文からそのまま引いておく。「常世田長翠(とこよだちょうすい・1730〜1813)は下総の国匝瑳(そうさ)郡の出身。加舎白雄第一の弟子となり、その春秋庵を継いだが三年ほどで人に譲って流浪し、晩年は出羽の国に送った。この句は酒田市光丘図書館所蔵『長翠自筆句帳』に収められている」。となれば、掲句は流浪の途次での即吟か。急ぐ旅でもないだけに、句にたしかな余裕があり腰が坐っている。(清水哲男)


March 0732007

 色町や真昼しづかに猫の恋

                           永井荷風

風と色町は切り離すことができない。色町へ足繁くかよった者がとらえた真昼の深い静けさ。夜の脂粉ただよう活況にはまだ間があり、嵐(?)の前の静けさのごとく寝ぼけている町を徘徊していて、ふと、猫のさかる声が聞こえてきたのだろう。さかる猫の声の激しさはただごとではない。雄同士が争う声もこれまたすさまじい。色町の真昼時の恋する猫たちの時ならぬ争闘は、同じ町で今夜も人間たちが、ひそかにくりひろげる〈恋〉の熱い闘いの図を予兆するものでもある。正岡子規に「おそろしや石垣崩す猫の恋」という凄い句があるが、「そんなオーバーな!」と言い切ることはできない。永田耕衣には「恋猫の恋する猫で押し通す」という名句がある。祖父も曽祖父も俳人だった荷風は、二十歳のとき、俳句回覧紙「翠風集」に初めて俳句を発表した。そして生涯に七百句ほどを遺したと言われる。唯一の句集『荷風句集』(1948)がある。「当世風の新派俳句よりは俳諧古句の風流を慕い、江戸情趣の名残を終生追いもとめた荷風の句はたしかに古風、遊俳にひとしい自分流だった」(加藤郁乎『市井風流』)という評言は納得がいく。「行春やゆるむ鼻緒の日和下駄」「葉ざくらや人に知られぬ昼あそび」――荷風らしい、としか言いようのない春の秀句である。『文人俳句歳時記』(1969)所載。(八木忠栄)


April 1842007

 ゆく春や水に雨降る信濃川

                           会津八一

く春、春の終わり、とはいつのこと? もちろん人によって微妙なちがいはあろうけれど、気持ちのいい春がまちがいなく去ってゆく、それを惜しむ心は誰もがもっている。「ゆく春を惜しむ」などという心情は、日本人独特のものであろう。旺洋として越後平野をつらぬいて流れる信濃川に、特に春の水は満々とあふれかえっている。日々ぬくもりつつある大河の水に、なおも雨が降りこむ。もともと雨の多い土地である。穀倉地帯を潤しながら、嵩を増した水は日本海にそそぐ。雨の量と豊かな川の水量がふくらんで、悠々と流れ行く勢いまでもが一緒になって、遠く近く目に見えてくるようだ。信濃川にただ春雨が降っているのではない。八一は敢えて「水に雨降る」と詠って、大河をなす“水”そのものを即物的に意識的にとらえてみせた。温暖だった春も水と一緒に日本海へ押し流されて、越後特有の湿気の多い蒸し暑い夏がやってくる。そうした気候が穀倉地帯を肥沃にしてきた。秋艸道人・八一は信濃川河口の新潟市に生まれた。中学時代から良寛の歌に親しんだが、歌に先がけて俳句を実作し、「ホトトギス」にも投句していた。のちに地域の俳句結社を指導したり、地方紙の俳壇選者もつとめた。俳号は八朔郎。手もとの資料には、18歳(明治32年)の折に詠んだ「児を寺へ頼みて乳母の田植哉」という素朴な句を冒頭にして、七十六句が収められている。「ゆく春」といえば、蕪村の「ゆく春や重たき琵琶の抱心(だきごころ)」も忘れがたい。『新潟県文学全集6』(1996)所収。(八木忠栄)


April 2142007

 惜春の紐ひいて消す灯かな

                           大久保橙青

夏秋冬、〜めく、という表現は、いずれにもあてはまり、新しい季節の兆しに生まれる句も多い。しかし行くのを惜しまれるのは、春と秋のみ、惜夏、惜冬、とは言わない。夏が好きな私などは、秋の気配を感じると、えも言われず寂しく、去りゆく夏を心情的には惜しむのだが、過ごしやすくなる、という安堵感もまた否めない。それは冬も同様だろう。「望湖水惜春」と前書きのある芭蕉の句〈行春を近江の人とをしみける〉にも見られるように、秋惜む、に比べると、春惜む、惜春、は歴史ある季題である。桜に象徴される華やかな春を惜しむ心持ちには、一抹の寂しさがあり、やわらかい風を、遙かな雲を、のどかな空気を、いとおしみ惜しむのである。芭蕉の句の琵琶湖の大きい景に対して、この句の惜春は、ごく日常的である。現在は、部屋の電気を壁にあるスイッチで消す、というのが大半であろうが、その場合、少し離れた所から間接的にスイッチを押し、暗くなった部屋全体に目をやることになる。しかし、ぶら下がっている紐を、その手で直接ひいて明りを消す時は、引きながらその明りに視線が行く。カチリと消した今日の灯(あかり)の残像が、暗がりの中にぼんやり残っているのを見つつ、また一日が終わったなと、行く春を惜しむ気持になったのだろう。惜春の、で切れており、読み下して晩春の穏やかな闇が広がってゆく。『阿蘇』(1991)所収。(今井肖子)


April 2442008

 パスポートにパリーの匂ひ春逝けり

                           マブソン青眼

しい海外旅行の経験しかないけど、パスポートを失くす恐ろしさは実感させられた。これがないと飛行機にも乗れないしホテルにも泊まれない。何か事が起きたとき異国で自分を証明してくれるのはこの赤い表紙の手帳でしかない。肌身離さず携帯していないと落ち着かなかった。母国から遠く離れれば離れるほどパスポートは重みを増すに違いない。『渡り鳥日記』と題された句集の前文には「渡り鳥はふるさとをふたつ持つといふ渡り鳥の目に地球はひとつなり」と、記されている。その言葉通り作者の故郷はフランスだが、現在は長野に住み、一茶を研究している。だが、時にはしみじみと母国の匂いが懐かしくなるのかもしれない。それは古里を離れて江戸に住み「椋鳥と人に呼ばるる寒さ哉」と詠んだ一茶の憂愁とも重なる。年毎に春は過ぎ去ってゆくけれど、今年の春も終わってしまう。「逝く」の表記に過ぎ去ってしまう時間と故郷への距離の遥かさを重ねているのだろうか。「パスポート」「パリ」と軽い響きの頭韻が「春」へと繋がり、思い入れの強い言葉の意味を和らげている。句集は全句作者の手書きによるもので、付属のCDでは四季の映像と音楽に彩られた俳句が次々と展開してゆく。手作りの素朴さと最先端の技術、対極の組み合わせが魅力的だ。『渡り鳥日記』(2007)所収。(三宅やよい)


October 22102008

 刷毛おろす襟白粉やそぞろ寒

                           加藤 武

かにも演劇人らしい視線が感じられる。役者が楽屋で襟首に刷毛で白粉(おしろい)を塗っている。暑い時季ならともかく、そろそろ寒くなってきた頃の白粉は、一段と冷やかに白さを増して目に映っているにちがいない。他人が化粧している様子を目にしたというよりも、ここは襟白粉を塗っている自分の様子を、鏡のなかに見ているというふうにも解釈できる。鏡を通して見た“白さ”に“寒さ”を改めて意識した驚きがあり、また“寒さ”ゆえに一段と“白さ”を強く感じてもいるのだろう。幕があがる直前の楽屋における緊張感さえ伝わってくるようである。もっとも、加藤武という役者が白粉を塗っている図を想像すると、ちょっと・・・・(失礼)。生身の役者が刷毛の動きにつれて、次第に“板の上の人物”そのものに変貌してゆく時間が、句に刻みこまれている。東京やなぎ句会に途中から参加して三十数年、「芝居も俳句も自分には見えないが、人の芝居や句はじつによく見える」と述懐する。ハイ、誰しもまったくそうしたものなのであります。俳号は阿吽。他に「泥亀の真白に乾き秋暑し」「行く春やこの人昔の人ならず」などがある。どこかすっとぼけた味のある、大好きな役者である。小沢昭一『友あり駄句あり三十年』(1999)所収。(八木忠栄)


April 2942009

 春徂くやまごつく旅の五六日

                           吉川英治

五の「春徂(ゆ)くや」は「春行くや」の意。「行く春」とともによく使われる季語で春の終わり。もう夏が近い。季節の変わり目だから、天候は不順でまだ安定していない。取材旅行の旅先であろうか。おそらくよく知らない土地だから、土地については詳しくない。それに加えて天候が不順ゆえに、いろいろとまごついてしまうことが多いのだろう。しかも一日や二日の旅ではないし、かといって長期滞在というわけでもないから、どこかしら中途半端である。主語が誰であるにせよ、ずばり「まごつく」という一語が効いている。同情したいところだが、滑稽な味わいも残していて、思わずほくそ笑んでしまう一句である。英治は取材のおりの旅行記などに俳句を書き残していた。「夏隣り古き三里の灸のあと」という句も、旅先での無聊の一句かと思われる。芭蕉の名句「行く春や鳥啼き魚の目は泪」はともかく、室生犀星の「行春や版木にのこる手毬唄」もよく知られた秀句である。英治といえば、無名時代(大正年間)に新作落語を七作書いていたことが、最近ニュースになった。そのうちの「弘法の灸」という噺が、十日ほど前に噺家によって初めて上演された。ぜひ聴いてみたいものである。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


March 2932011

 海暮れて春星魚の目のごとし

                           大嶽青児

方の魚類にはまぶたがないが、かわりにやわらかな透明の膜で覆われているため、陸に釣り上げられてからも常にきらきらと潤んで見える。とっぷりと日が暮れ、海が深い藍色から漆黒へと変わるとき、春の星がことさらやわらかに輝いて見える。それをまるで海中にいる魚たちの目のようだと感じる作者は、夜空を見上げながら魚のしなやかな感触と流線型を描いている。そして、作者の視線の先にある夜空は、豊饒の海原へと変わっていく。芭蕉の『おくの細道』冒頭の〈行く春や鳥啼魚の目は泪〉にも魚の目が登場する。映画『アリゾナ・ドリーム』で、主人公の魚に憧れる青年が「魚はなにも考えない。それは、なんでも知っているからだ」とつぶやく印象的なシーンがある。大嶽の満天に泳ぐ魚も、芭蕉の涙をためる魚も、どちらもなんでも知っている魚の、閉じられることのない目だからこそ、どこかに胸騒ぎを覚えさせるのだろう。『遠嶺』(1982)所収。(土肥あき子)


April 2842012

 行く春の手紙に雨の匂ひなど

                           北川あい沙

時が長かった今年、待ちかねたように緑が湧き出てきたと思えばもう四月も終わり、あと一週間で立夏を迎える。汗ばむ日があるかと思えばひんやりとして、晴天が続かず雨もよく降る暮の春。暮春と行春はほとんど同じだが、行春の方が「多少主観が加はつてゐるやうに思はれる」(虚子編新歳時記)とある。行く、という言葉は、振り返ることのない後ろ姿を思わせ、静かな寂しさを広げるからか。そんな春も終わりの日に受けとった手紙は少し濡れていて、かすかに雨の匂いがしている。濡れた紙の匂いが、遠い記憶のあれこれを呼び起こしているのかもしれない。句集の春の章の終わりに〈うつぶせに眠れば桜蘂の降る〉。『風鈴』(2011)所収。(今井肖子)


April 1342014

 海より低き村より晩鐘春鷗

                           村田 脩

実にはちょっとあり得ない空間です。さらに、七七五の破調が異世界へいざないます。しかし、写生句です。句集では一句前に「行春や落書多き街に雨」があり、この前書が「アムステルダム」です。なるほど、オランダの旅の連作の一つとわかり、「海より低き村」は干拓地でした。わかってみてあらためて、作者がこの場所に立っている驚きが伝わります。海抜0mという感覚は、知識はもとより身体感覚には絶対的な基準値として設定されているはずで、それ以下のマイナス地点は地上ではあり得ないという常識があります。ところで、絵画ならだまし絵とかトリックアートなど、錯視を利用した手法があります。立体なら、荒川修作の「養老天命反転地」のように、遠近法の狂った空間内を歩くことによって平衡感覚を狂わせる作品があります。私もこの類いの空間に遊んだとき、酔いと吐き気に似た頭痛を感じた経験があります。たぶん、人間の空間感覚は、知識と経験に基づいてかなり保守された身体感覚として培われているのでしょう。あらためて掲句を読み返すと、日本の地理的条件ではほとんどあり得ない海抜0m以下の村を、海が見えている地点から見下ろした新鮮な驚きが伝わってきます。教会の晩鐘が下方から広がり届き、音が、海より低い村の実在を伝えています。オランダは海鳥が多いと聞きますが、「春鷗」の語感には欧風を感じます。『破魔矢』(2001)所収。(小笠原高志)




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