啄木忌。少年時代は彼の抒情を愛し、以後はそれを詩の敵とし、そして今はよくわからなくなった。




2000ソスN4ソスソス13ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

April 1342000

 花びらの一つを恋ふる静電気

                           石田郷子

つの間にか、桜の花びらが一つ洋服についているのに気がついた。静電気の作用によるものだ。どこでついたのだろうか。思い巡らしているうちに、小さな薄い紅の花びらが可憐に見えてき、いとおしくなってきた。「恋ふる」という表現が大袈裟ではなく、読者の胸にも染み込んでくるようだ。「静電気」が俳句に詠まれるのは珍しいが、この作品はもともと「エアコン」などとともに、日頃あまり類を見ない新素材を詠み込むという雑誌の企画で実現したものである。お題拝借句というわけだが、あの不快な静電気現象を見事に美化した腕前は流石だと思う。「まとわりつく」「つきまとう」などの言葉を、しみじみと「恋ふる」に転化した想像力の冴え。ここにも、作句の要諦がある。静電気ショックは、受けやすい人とそうでもない人がいるという。体質にしたがうらしいのだが、私は受けやすい性質だ。職場の放送局などはいつも乾燥しきっているので、ドアのノブをさわるのもおっかなびっくりという有り様。心臓に悪い。傍目には見えないけれど、なかなかにつらいビョーキと言えるのではないか。「俳壇」(1997年6月号)所載。(清水哲男)


April 1242000

 次の樹へ吹き移りゆく杉花粉

                           右城暮石

戦後の一時期は、全国的に杉の木の植樹奨励時代でした。小学生だった私たちも授業の一環として、よく山に出かけて植えさせられたものです。そんなわけで、私などは四囲を杉に囲まれて育ちました。「杉の花」(春の季語)は花としては地味ですが、花粉の飛ぶ様子には凄いものがあります。風が吹くと、さながら煙のように飛散し移動し、この句はよくその様子をとらえています。圧倒的な飛散の光景は、まさに「吹き移りゆく」というしかありません。しかし、この様子がまさか後になって、「花粉症」なるアレルギー症状を引き起こすなど想像の埒外でした。幸いにも、私は花粉症とは無縁で来ていますが、周囲には今春になって突然発症した人もいて、お気の毒です。最近の歳時記のなかには、季語として「花粉症」を独立した項目に登録している本もありますし、句も数多く作られるようになってきました(当歳時記では「杉の花」の小項目に分類)。花粉症の方は見るのもいやかと思いますが、例句を二句あげておきます。「七人の敵の一人は花粉症」(伊藤白湖)、「花婿がよもやの花粉症なりし」(大庭三千枝)。いずれも、花粉症ではない作者が戸惑っている図ですね。『新日本大歳時記・春』(2000・講談社)所載。(清水哲男)


April 1142000

 山吹や根雪の上の飛騨の径

                           前田普羅

羅は、こよなく雪を愛惜した俳人だ。根雪の径は、さぞや歩きにくいことだろう。春とはいえ、まだ寒気も厳しい。「道」でも「路」でもない、飛騨の細く曲がりくねった山「径」である。黙々と歩いていくうちに、作者は咲きそめたばかりの可憐な山吹の花を認めた。根雪の白と山吹の花の黄。目に染みる。まさに「山吹や」の感慨が、ひとりでに胸中に湧いてくるではないか。心が洗われる美しい句だ。飛騨の土地を、私はよく知らない。一度だけ飛騨高山を訪れたことがあるが、季節は初秋であった。高山で「オーク・ヴィレッジ」という木工工房を開設したばかりのIさんに会うためだった。数えてみたら、もう二十年も前のことになる。Iさんは早稲田の理工を出てから、途中で一念発起して木工の世界に飛び込んだ人。「脱サラ」のはしりと言ってもよかろうが、彼のさわやかな人柄ともあいまって、飛騨高山の自然も人情も、とても好ましかった。その折りに、百年はもつ木机を、いつか私に経済的な余裕ができたら作ってもらう約束をしたような覚えがある。でも、いまだに私はぺなぺなの既製品の机にしがみついている体たらくで、注文をする余裕を持ちえていない。句には無関係だが、以来、そんなわけで飛騨と聞くとどきりとする。『雪山』(1992)所収。(清水哲男)




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