巨人開幕戦のチケットが売れ残り、あわてて出入りの業者に買わせたという噂。火のない所に……。




2000ソスN4ソスソス6ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

April 0642000

 畝はしづかに集まり隆まり入学す

                           大槻紀奴夫

の春も、おびただしい数の「入学」句が作られるのだろう。ただし失礼ながら、そのほとんどは「親ばか」句で占められるだろう。作者の気持ちはわかる。が、俳句として第三者の鑑賞に耐えうる作品となると、なかなかお目にかかれない。数多の歳時記を繙いても、たくさん作られている割には例句も少ないし、佳句も寥々たる始末だ。そんななかで、掲句は群を抜いて高いレベルにあると思う。昔の「しづかな」農村の「しづかな」入学風景だ。子供の緊張や親の喜びを直接に詠まずに、学校までの道筋の様子を淡々と描いている。淡々と描いたことにより、かえって「入学」の緊張や喜びが、よく伝わってくる。このとき、田畑の畝(うね)の起伏は、入学児とその親が学校まで歩いていく途中の風景そのままの変化である。と同時に、歩いていく者の胸中の変化でもある。畝が隆まりきったところに学校があり、校門をくぐる者の胸の内の隆まりも、そこでピークに達する。そこで、作者と入学児は別々に定められた場所に別れるわけで、途端に句は「入学す」と落着した……。けだし、「入学」句中の白眉と言うべきだろう。『角川版・俳句歳時記』(1974)所載。(清水哲男)


April 0542000

 山門を出れば日本ぞ茶摘唄

                           田上菊舎

上菊舎(たがみ・きくしゃ)は江戸期の俳人、女性。まだ茶摘みのシーズンには早いが、くさくさすることの多い当今故、清新の気を入れたいがための選句である。読者諸兄姉には、以て諒とせられよ。この「山門」は、京は洛外宇治の黄檗山万福寺のそれ。万福寺の開祖は、明の僧・隠元である。上野さち子『女性俳句の世界』(岩波新書)によると「当時の黄檗山は、中国文化淵叢の地として文人憧憬の場であった」そうだから、建物をはじめとする万福寺の中国的雰囲気に酔った菊舎の心持ちは、十分に推察することができる。中国文化の毒気にあてられたごとくに山門まで出てきたとき、どこからともなく風に乗って聞こえてきた茶どころ宇治の「茶摘唄」。そこで彼女ははっと我に帰り、思わずもここは「日本ぞ」と口をついて出てしまった。吹き渡るみどりの風が、頬に心地よい。そして、それよりも何よりも、私は句の「日本」という言葉の美しさに注目する。ここに見られるのは、国粋主義者が信奉する「日本」でもなければ、近代の国際競合に薄汚れた「日本」でもない。絢爛たる中国文化をよしとした上での、庶民の安住の場所としての「日本」なのだ。俳句で「日本」が使われる例は少ないけれど、こういう「日本」なら今後も大歓迎したい。しかし一方で、もはやこのように美しい「日本」の言語的実現はあり得ないとも思う……。(清水哲男)


April 0442000

 どことなく傷みはじめし春の家

                           桂 信子

わゆる春愁には、このような暮らしの上の心配も入り込んでくる。「どことなく」と言うのだから、具体的に家のどこかが「傷(いた)みはじめ」たというわけではない。「どことなく」なんとなく、どこなのだかよくはわからないのだが、どこかが確実に傷んできた気配がするのだ。だから、緊急に修理する必要もないわけだが、「どことなく」不安にもなってくる。暖かい光のなかの、一見平和な環境にある「春の家」だからこそ、この漠然たる不安が際立つ。句全体の味わいとしては、しかし、「どことなく」ユーモラスだ。ここに、みずからの漠然たる不安を客観視できる作者の、したたかな腕前を感じさせられる。春愁におぼれない強さ。あるいは、春愁の甘い響きに飽きてしまった諦念が、ぽろりと、むしろ不機嫌主導でこぼれ落ちたのかもしれない。いずれにしても、単純の極にある言葉だけで、これだけのことを言えた作者の才質は素晴らしい。「俳句研究年鑑」(1994)の自選句欄で見つけた。すなわち、作者自信の一句である。(清水哲男)




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