インドのコンピュータ業界が活況と。インド土産の物差しはぐにゃぐにゃだったけど。この落差。




2000ソスN3ソスソス30ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

March 3032000

 検眼のコの字ロの字や鳥雲に

                           林 朋子

に帰っていく鳥たちは雲に入るように見えることから、春の季語「鳥雲に(入る)」ができた。「鳥帰る」の比喩的な表現。一所懸命に「コの字」や「ロの字」を見つめていた作者が、検眼を終えて窓外の空に目をやると、いましもはるかな雲のなかに鳥たちが入っていく姿が見えた。近距離の検眼表からかなたの鳥たちへと、無理なく視線が移動している。意表をついた発想とも言えるが、視線の動きはあくまでも自然であり、なめらかだ。ここが、句のポイント。次に、検眼記号をカタカナに見立てたところを子供の発想として読むと、句は追想句となる。言外にこめられた子供時代の甘酸っぱい思い出……。私はそのように読んで、これが抒情性を増幅させる肝心なポイントだと思った。余談になるが、私は子供のころに目がよすぎて、検眼の時はかえって恥ずかしかった。2.0あたりはわざと間違えて、常に1.5でとどめることにしていた。そんなふうだったので、戦国時代に生まれていたら、高い木にでものぼって「見張り」が勤まるから楽だったろうなと、暢気なことを考えていたっけ。四十代まで、目の不自由を感じたことはなかった。いまは罰が当たったけど。これでは、目の句は作れない。作者の視力は健常なのか、それとも……。『森の晩餐』(1994)所収。(清水哲男)


March 2932000

 下萌にねじ伏せられてゐる子かな

                           星野立子

の子の喧嘩だ。取っ組み合いだ。「下萌(したもえ)」というのだから、草の芽は吹き出て間もないころである。まだ、あちこちに土が露出している原っぱ。取っ組み合っている子供たちは、泥だらけだ。泥は、無念にも「ねじ伏せられてゐる」子の顔や髪にも、べたべたに貼りついているのだろう。それだけの理由からではないが、どうしても「ねじ伏せられてゐる」子に、目がいくのが人情というもの。通りかかった作者は「あらまあ、もう止めなさいよ」と呼びかけはしたろうが、その顔は微笑を含んでいたにちがいない。元気な子供たちと下萌の美しい勢いが、春の訪れを告げている。取っ組み合いなど、どこにでも見られた時代(ちなみに句は1937年の作)ならではの作品だ。句をじっと眺めていると、この場合には「ゐる」の「ゐ」の文字が実に効果的なこともわかる。子供たちは、まさに「ゐ」の字になっている。これが「い」では、淡泊すぎて物足りない。旧かなの手柄だ。私も「ねじ伏せられたり」「ねじ伏せたり」と、短気も手伝って喧嘩が絶えない子供だった。去年の闘魂や、いま何処。『立子句集』(1937)所収。(清水哲男)


March 2832000

 マダムX美しく病む春の風邪

                           高柳重信

きつけの酒場の「マダム」だろう。春の風邪は、いつまでもぐずぐずと治らない。「治らないねえ。風邪は万病の元と言うから、気をつけたほうがいいよ」。などと、客である作者は気をつかいながらも、少しやつれたマダムも美しいものだなと満足している。「マダムX」の「X」が謎めいており、いっそう読者の想像力をかき立てる。泰平楽な春の宵なのだ。ご存知のように「マダム(madame)」はフランス語。この国の知識人たちが、猫も杓子もフランスに憧れた時代があり、そのころに発した流行語である。しかし、最近では酒場の女主人のことを「ママ」と呼ぶのが一般的で、「マダム」はいつしかすたれてしまった。貴婦人の意味もある「マダム」を使うには、いささかそぐわない女主人が増えてきたせいだろうか。たまに年配者が「マダム」と話しかけていると、なにやらこそばゆい感じを受けてしまう。「マダム」という言葉はまだ長持ちしたほうなのだろうが、流行語の命ははかない。それにしても現在の「ママ」とは、どういうつもりで誰が言いだしたのか。戦後に進駐してきたアメリカ兵の影響だろうか。私も使うけれど、なんだか母親コンプレックス丸だしの甘えん坊みたいな気もして、後でシラフになってから顔が赤くなったりする。『俳句歳時記』(1997・角川書店)所載。(清水哲男)




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