「むさしのエフエム」五周年。土日と契約上の休日(年二日)を除いて無遅刻無欠勤。丈夫なんだ。




2000ソスN3ソスソス28ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

March 2832000

 マダムX美しく病む春の風邪

                           高柳重信

きつけの酒場の「マダム」だろう。春の風邪は、いつまでもぐずぐずと治らない。「治らないねえ。風邪は万病の元と言うから、気をつけたほうがいいよ」。などと、客である作者は気をつかいながらも、少しやつれたマダムも美しいものだなと満足している。「マダムX」の「X」が謎めいており、いっそう読者の想像力をかき立てる。泰平楽な春の宵なのだ。ご存知のように「マダム(madame)」はフランス語。この国の知識人たちが、猫も杓子もフランスに憧れた時代があり、そのころに発した流行語である。しかし、最近では酒場の女主人のことを「ママ」と呼ぶのが一般的で、「マダム」はいつしかすたれてしまった。貴婦人の意味もある「マダム」を使うには、いささかそぐわない女主人が増えてきたせいだろうか。たまに年配者が「マダム」と話しかけていると、なにやらこそばゆい感じを受けてしまう。「マダム」という言葉はまだ長持ちしたほうなのだろうが、流行語の命ははかない。それにしても現在の「ママ」とは、どういうつもりで誰が言いだしたのか。戦後に進駐してきたアメリカ兵の影響だろうか。私も使うけれど、なんだか母親コンプレックス丸だしの甘えん坊みたいな気もして、後でシラフになってから顔が赤くなったりする。『俳句歳時記』(1997・角川書店)所載。(清水哲男)


March 2732000

 たんぽぽのサラダの話野の話

                           高野素十

んぽぽが食べられるとは、知らなかった。作者も同様で、「たんぽぽのサラダの話」に身を乗り出している。「アクが強そうだけど」なんて質問をしたりしている。そこから話は発展して野の植物全般に及び、「アレも食べられるんじゃないか、食べたくはないけれど」など、話に花が咲き、楽しい話は尽きそうにもない。この句は、いつか紹介したことのあるPR誌「味の味」(2000年4月号)の余白ページで見つけた。いつものことながら、この雑誌の選句センスは群を抜いていて、読まずにはいられない。偶然だろうが、これまた楽しみにしている詩のページに、坂田寛夫のたんぽぽの詩「おそまつさま」が出ていた。全文引用しておく(/は改行)。「ストローをくわえるかっこうで/すこしずつ/ウサギの子がたんぽぽを/茎の方から呑みこんでゆく/しまいに花びらが小さい口のふたをした/いいにおいをうっとり楽しむかと思ったら/ひと思いに食べちゃった/「おいしかった」/ため息まで聞こえたような気がしたから/たんぽぽもさりげなく/「おそまつさま」/と答えたかったが/ぎざぎざに噛みひしがれて目がまわり/先の方はもう暗い胃散にこなれかけている」。今日は「味の味」におんぶにだっこ、でした。(清水哲男)


March 2632000

 葛飾や桃の籬も水田べり

                           水原秋桜子

は「まがき」で、垣根のこと。現代の東京都葛飾(かつしか)区というと、私などには工場のたくさんある地帯というイメージが強い。が、句の葛飾は、江戸期以来の隅田川より東の地域全般の地を指している。近代に入ってから、東京、千葉、埼玉に三分割された。昔の東京の小中学校からは遠足の地として絶好だったらしく、少年時の作者も何度か遠足で訪れた土地だという。そのときから作者は葛飾の風景に魅かれ、吟行でも再三訪れており、この地に材をとった句をたくさん作っている。なかでもこの句は、さながら絵に画いたように美しさだ。いや、こうなるともう俳句ではなくて、一枚の風景画だと言ったほうがふさわしい気すらしてくる。葛飾句についての秋桜子のコメントが残っている。「私のつくる葛飾の句で、現在の景に即したものは半数に足らぬと言ってもよい。私は昔の葛飾の景を記憶の中からとり出し、それに美を感じて句を作ることが多いのである」。胸の内で長い間あたためられてきた葛飾のイメージは、夾雑物がすべて削がれて、かくのごとく桃の花のように見事に開いたのであった。『葛飾』(1930)所収。(清水哲男)




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