さよなら、川崎球場。ロッテ時代には客が入らず弁当も売ってなかった。が、庶民的で好きだった。




2000ソスN3ソスソス26ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

March 2632000

 葛飾や桃の籬も水田べり

                           水原秋桜子

は「まがき」で、垣根のこと。現代の東京都葛飾(かつしか)区というと、私などには工場のたくさんある地帯というイメージが強い。が、句の葛飾は、江戸期以来の隅田川より東の地域全般の地を指している。近代に入ってから、東京、千葉、埼玉に三分割された。昔の東京の小中学校からは遠足の地として絶好だったらしく、少年時の作者も何度か遠足で訪れた土地だという。そのときから作者は葛飾の風景に魅かれ、吟行でも再三訪れており、この地に材をとった句をたくさん作っている。なかでもこの句は、さながら絵に画いたように美しさだ。いや、こうなるともう俳句ではなくて、一枚の風景画だと言ったほうがふさわしい気すらしてくる。葛飾句についての秋桜子のコメントが残っている。「私のつくる葛飾の句で、現在の景に即したものは半数に足らぬと言ってもよい。私は昔の葛飾の景を記憶の中からとり出し、それに美を感じて句を作ることが多いのである」。胸の内で長い間あたためられてきた葛飾のイメージは、夾雑物がすべて削がれて、かくのごとく桃の花のように見事に開いたのであった。『葛飾』(1930)所収。(清水哲男)


March 2532000

 深山に蕨採りつつ滅びるか

                           鈴木六林男

い山の奥。こんなところまでは、さすがに誰も蕨(わらび)など採りには来ない。人気(ひとけ)のないそんな山奥で蕨を摘んでいるうちに、ふと「俺はこのままでよいのか」という気持ちが、頭をよぎった。希望も野望も、何一つ成就できないままに、自分は亡びてしまうのではないか。やわらかくて明るい春の日差しの中で、作者はしばし落莫たる思いにふけることになった。「蕨狩」という季語もあって、これは「桜狩」「潮干狩」のように行楽の意味合いを持つが、この場合は行楽ではないだろう。食料難を補うため、生活のために、作者は蕨を摘んでいるのだ。だから、深山にまで入り込んでいる。大人も子供も、生活のために蕨を摘みに出かけた敗戦直後の体験を持つ私などには、とりわけてよくわかる句だ。子供の私に「亡びる」意識はなかったものの、「こんなところで何をやってんだろう」という気持ちには、何度も囚われた。篭にどっさり採って帰ったつもりが、いざ茹でてみると、情けないほどに量が減ってしまう。あのときの徒労感、消耗感も忘れられない。『新日本大歳時記』(2000・講談社)所載。(清水哲男)


March 2432000

 蒲公英のかたさや海の日も一輪

                           中村草田男

吠埼での連作「岩の濤、砂の濤」のうち。蒲公英(たんぽぽ)はもとより春の季語だが、他の句から推して春というよりも冬季の作品だ。一句目には「燈臺の冬ことごとく根なし雲」とある。一輪の蒲公英が、怒濤の海を真向かいに、地に張りつき身をちぢめるようにして咲いている。たしかに蒲公英は、それでなくとも「かたい」印象を受ける花であるが、寒さゆえに一層「かたく」見えている。生命力の強い花だ。そして曇天の空を見上げれば、そこにも「かたく」寒々とした太陽が、雲を透かして「一輪」咲くようにして浮かんでいる……。この天と地の花の照応が読みどころだ。読むだけで、読者の身もちぢこまってくるようではないか。この句を評して山本健吉は「古今のたんぽぽの句中の白眉である」と絶賛しているが、同感だ。常々「二百年は生きたい」と言っていた草田男ならではの、これは大きく張った自然観・人生観の所産である。かつて神田秀夫は、草田男を「天真の自然人」と言った。『火の島』(1939)所収。(清水哲男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます