「春分の日」などをいつにするかは毎年2月1日付の官報で翌年分が発表される。ご存知でしたか。




2000ソスN3ソスソス20ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

March 2032000

 春一番来し顔なればまとまらず

                           伊藤白潮

春以降はじめて吹く強い南風が「春一番」。元来は、壱岐の漁師の言葉だったという。吹く風の勢いや方角に、並外れた神経を使って生活している人たちも、たくさんいるのだ。それが「春一番」ともなると、とてもキャンディーズの歌のように暢気にはなれない暮らし……。句の「まとまらず」は卓抜な表現だ。思わず、膝を打った。「ひどい風ですねえ」と入ってきた人。強い風のなかを歩いてきたので、髪は大いに乱れ、しかめっ面にして吐く息もいささか荒い。コンタクトを使っている人だったら、おまけに涙さえ流しているだろう。そんな人の顔つきを一瞬のうちに「まとまらず」と活写して、句が見事に「まとまっ」た。なるほど、人間の顔は時にまとまっていたり、まとまっていなかったりする。江戸っ子風に言うと「うめえもんだ」の一語に尽きる。こういう句に突き当たることがあるから、俳句読みは止められない。『今はじめる人のための俳句歳時記・春』(1997・角川mini文庫)所載。(清水哲男)


March 1932000

 枕頭に陽炎せまる黒田武士

                           高山れおな

田武士は、言うまでもなく「酒は飲め飲め……」の「黒田節」に出てくる福岡は黒田藩の豪傑だ。歌われているのは、母里 (もり)太兵衛なる人物。大杯になみなみと注がれた酒を一気に飲み干したことから、小田原攻めの功績で福島正則が秀吉から拝領した名槍を褒美にもらったという、イッキ飲みの元祖である。若年のころの私は、「日の本一のこの槍を、飲み取るほどに」とは変な歌詞だなと思っていた。槍が飲めるのか、比喩にしても無理がある、と。でも、何のことはない。「飲んで、(その結果として)取る」という意味だったのだ。句は「飲み取った」あとの太兵衛の様子を詠んでいる。この着眼が面白い。さすがの酒豪もマイってしまって、明るくなっても起きられずにグーグー眠っている。既にして日は高く、何やらもやもやと怪しいゆらめき(陽炎)が、太兵衛の枕頭に迫っているではないか。素面(しらふ)であればすぐさま跳ね起きるところだが、ただならぬ気配を察知することもなく、いぎたなく眠りこけている黒田武士……。春ですなあ、という感興だ。ちなみに「黒田節」が全国的に有名になったのは、 1943 年に赤坂小梅がレコードに吹き込んでから。雅楽「越天楽(えてんらく)」の旋律が使われている。『ウルトラ』(1998)所収。(清水哲男)


March 1832000

 法隆寺からの小溝か芹の花

                           飴山 實

者の飴山實さんが、一昨日(2000年3月16日)山口で亡くなった、享年七十三歳。面識はなかったが、学生時代に第一句集『おりいぶ』(1959)という、およそ句集らしからぬタイトルに魅かれたこともあって愛読した俳人だ。当時の飴山實は「女工等に桜昏れだす寒い土堤」などの社会性のある抒情句を得意としていて、影響で私も同じような詩の世界を志向した。私のはじめての詩集『喝采』(1963)にはその痕跡が拭いがたく歴然としており、詩人の中江俊夫さんに「どっちつかずで中途半端」と評されたのも、いまは懐しい思い出である。その後の飴山さんは見られるとおりの句境を得られ、独自の地歩を築かれた。句の舞台は、早春のいかるがの里。法隆寺を少し離れた道端の小溝に可憐な芹の花が咲いているのを見つけ、流れる清冽な水が法隆寺に発しているかと思い、そこに悠久の時間を感じている。千年の昔にも、いまと変わらぬ光景があったのだ、と。飴山さんは「酢酸菌の生化学的研究」で、日本農芸化学会功績賞を受けた学者でもあった。合掌。『次の花』(1989)所収。(清水哲男)




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