「モー娘」とは「モーニング娘。」のことだって。私には「もう?娘」とか「猛娘」にしか読めない。




2000ソスN3ソスソス19ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

March 1932000

 枕頭に陽炎せまる黒田武士

                           高山れおな

田武士は、言うまでもなく「酒は飲め飲め……」の「黒田節」に出てくる福岡は黒田藩の豪傑だ。歌われているのは、母里 (もり)太兵衛なる人物。大杯になみなみと注がれた酒を一気に飲み干したことから、小田原攻めの功績で福島正則が秀吉から拝領した名槍を褒美にもらったという、イッキ飲みの元祖である。若年のころの私は、「日の本一のこの槍を、飲み取るほどに」とは変な歌詞だなと思っていた。槍が飲めるのか、比喩にしても無理がある、と。でも、何のことはない。「飲んで、(その結果として)取る」という意味だったのだ。句は「飲み取った」あとの太兵衛の様子を詠んでいる。この着眼が面白い。さすがの酒豪もマイってしまって、明るくなっても起きられずにグーグー眠っている。既にして日は高く、何やらもやもやと怪しいゆらめき(陽炎)が、太兵衛の枕頭に迫っているではないか。素面(しらふ)であればすぐさま跳ね起きるところだが、ただならぬ気配を察知することもなく、いぎたなく眠りこけている黒田武士……。春ですなあ、という感興だ。ちなみに「黒田節」が全国的に有名になったのは、 1943 年に赤坂小梅がレコードに吹き込んでから。雅楽「越天楽(えてんらく)」の旋律が使われている。『ウルトラ』(1998)所収。(清水哲男)


March 1832000

 法隆寺からの小溝か芹の花

                           飴山 實

者の飴山實さんが、一昨日(2000年3月16日)山口で亡くなった、享年七十三歳。面識はなかったが、学生時代に第一句集『おりいぶ』(1959)という、およそ句集らしからぬタイトルに魅かれたこともあって愛読した俳人だ。当時の飴山實は「女工等に桜昏れだす寒い土堤」などの社会性のある抒情句を得意としていて、影響で私も同じような詩の世界を志向した。私のはじめての詩集『喝采』(1963)にはその痕跡が拭いがたく歴然としており、詩人の中江俊夫さんに「どっちつかずで中途半端」と評されたのも、いまは懐しい思い出である。その後の飴山さんは見られるとおりの句境を得られ、独自の地歩を築かれた。句の舞台は、早春のいかるがの里。法隆寺を少し離れた道端の小溝に可憐な芹の花が咲いているのを見つけ、流れる清冽な水が法隆寺に発しているかと思い、そこに悠久の時間を感じている。千年の昔にも、いまと変わらぬ光景があったのだ、と。飴山さんは「酢酸菌の生化学的研究」で、日本農芸化学会功績賞を受けた学者でもあった。合掌。『次の花』(1989)所収。(清水哲男)


March 1732000

 鶏追ふやととととととと昔の日

                           摂津幸彦

面的にも面白い句だが、写生句でもある。戦後しばらくの間は、競うようにして鶏を飼ったものだ。少しでも、栄養不良を解消しようと願ってのこと。だから「昔の日」なのである。夜の間は鶏舎に収容しておいて、朝方に卵を生ませる。昼間は運動を兼ねてそこらへんの物を食べさせようというわけで、放し飼いにした。あのころは、表のどこにでも鶏がいた。まだ「バタリー方式」だなんて酷薄な飼い方も、一般には知られてなかった(私は百姓の息子だったので、雑誌「養鶏の友」で知ってましたけどね、エヘン)。「とととととと」は、そんな鶏たちの走り回る様子の形容であると同時に、夕刻に彼らを鶏舎に追い込むときの「とぉとぉとぉ……」という掛け声だ。なぜ「とぉとぉとぉ、ととととと」と言って追ったのか、その謂れは知らない。馬に止まれと命令するときに使う「ドウドウ」にしてもそうだが、誰か動物との対話に長けた先達の発明語なのではあるだろう。我が家は三十羽ほど飼っていたので、夕刻に何度「とぉとぉとぉ」を連呼したことか。鶏舎に追い込むのは、子供の仕事だった。ちょっと哀愁を帯びたトーンのこの掛け声を、京都の詩人・有馬敲さんが自演して、フォーク全盛時代にレコード化したことがあり、いまでも思い出して聞くことがある。過ぎ去ればすべて懐しい日々……。と、これは亡くなった岡山の詩人・永瀬清子さんの著書のタイトルである。『鹿々集』(1996)所収。(清水哲男)




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