なんだと。「昭和の日」が「みどりの日」を追い出すだと。パソコン泣かせは、もう止めてくれ。




2000ソスN3ソスソス4ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

March 0432000

 卒業歌遠嶺のみ見ること止めむ

                           寺山修司

者の生きた年代からすると、戦後もまだ数年というときの卒業式だ。歌っている卒業歌は、どこの学校でも『仰げば尊し』と決まっていた。その一節には「身を立て名を揚げ、やよ励めや」とあり、卒業生の理想的な未来像が指示されている。で、歌いながら「遠嶺のみ見ること止めむ」というのだから、明らかに寺山少年は、このフレーズに反発している。同じころに「たんぽぽは地の糧詩人は不遇でよし」と書いた少年だもの、なんで、旧弊な出世主義的理想像にうなずくことができようか。その意気や、よしである。昔の少年の反骨精神、純情とは大抵このようなかたちをしていた。ただし、実業の世界ではなかったにせよ、青森から東京に出てきた後の寺山修司の仕事ぶりを思うとき、私は複雑な心で掲句を見つめざるを得ない。彼ほどに「身を立て名を揚げ、やよ励めや」と、詩歌や演劇活動に邁進した男も珍しいからだ。この句を作ったときに、既にして彼は、別の意味での立身出世の「遠嶺」のみは、しっかり見ていたのだろうか。でも、そんな意地悪な味方をするのは止めにしよう。この「純情」こそを味わえばよいのだと、一方で私の心はささやきはじめている。『寺山修司俳句全集』(1986)所収。(清水哲男)


March 0332000

 われの凭る壁に隣は雛かざる

                           飴山 實

羽打ち枯らした浪人が、長いものを抱くようにして壁に凭(もた)れかかっている。もはや進退きわまったという姿。長屋の壁は薄いので、隣家で雛祭を寿ぐさんざめく笑い声などが聞こえてくる。ホーホケキョ。「もう、春か」。……というような情景では、まったくない(笑)。しかし、こんな情景に通じるような落魄の心持ちが、作者にはあったのだろう。この明暗の対比が、近代的抒情効果を生む仕掛けの正体だ。一方、隣の部屋には、笑いさざめく人たちの間に、こういう年老いた女性も静かに座っている。「来し方や何か怺へし雛の貌」(菅井富佐子)。毎春見慣れてきた雛の顔であるが、こうやってつくづく眺めていると、何か物言いたげなようであり、それを懸命に怺(こら)えているようである。さながら私の人生のように、言いたいことも言わずに、雛もここまで過ごしてきたのか。人形に感情移入できるのは、やはり女性に特有の才質の一つと言うべきだろう。今日飾られている雛人形には、雛の数だけ、それぞれの女性の思いがこもっているのだ。そう思うと、いかに私のごとき暢気な男でも、あらたまった気持ちにさせられる。『少長集』(1971)所収。(清水哲男)


March 0232000

 ミユンヘンの木の芽の頃の雨の写真

                           京極杞陽

なる観光写真というのでもない。京極杞陽は、昭和十年(1935)から一年間、ヨーロッパに遊学している。日本への帰途、たまたま立ち寄ったベルリンで高浜虚子の講演を聞き、翌日開かれた日本人会による虚子歓迎句会にも出席。それが虚子との運命的な出会いとなった。作者はいま、その当時の写真に見入っている。早春のミュンヘンは、まだ日本よりも相当に寒い。しかも、雨が降っている。なつかしく眺めながら、撮影当時には気にもしていなかった雨に濡れた木の芽に視線がいき、そこから街全体のたたずまいや音や香りを思い出している。写された人物や背景の建物よりも、いまとなれば、ついでに写りこんでいる木の芽が、いちばん雄弁にミュンヘンを物語っているということだろう。こういうことは、よくある。記録は、閲覧するときの環境に応じて、いろいろに姿を変える。意味あいを変える。だから、あらゆる記録にはクズなどない。写りがよくないからと、ポイポイ写真を捨ててしまう女性がいるけれど、もったいないかぎりである。『くくたち・下巻』(1977)。(清水哲男)




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