三月。予算使いきりの月だ。あちらでガーガーこちらでドドドドッ。おかげでこっちは埃だらけ。




2000ソスN3ソスソス1ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

March 0132000

 芽柳や傘さし上げてすれ違ふ

                           満田春日

が浅緑の芽を吹き始めた。毎年のことではあるが、春待つ心には嬉しいもの。降っている雨も、心なしかやわらかく感じられる。だから、混雑している道路でいちいち「傘さしあげてすれ違ふ」のも、冬場とは違い、むしろ楽しい気分なのだ。私などの世代には、ついでに「柳芽を吹くネオンの下で、花を召しませ……」という戦後の流行歌「東京の花売り娘」なども思い出されて、過剰な懐しさに誘われてしまう。「芽柳」の魔力である。もとより、作者はそんなことまで言おうとしているのではない。しかし、何ということもない句のようながら、早春の都会点描として、なかなかの腕前が示されている。掲句は、第一回「俳句界」新人賞の候補作になった「桃色月見草」30句(選考委員の黛まどかが三位に推薦している)のなかの一句だ。他にも「三月やまだ暖かきビスケット」などの佳句があり、淡彩風スケッチの魅力を十分に感じさせてくれている。今後に期待できる人だと思った。さて、はやいもので季は三月。焼き立てのビスケットのように、読者の皆さんにとって、やわらかくも香ばしい月でありますように。「俳句界」(2000年3月号)所載。(清水哲男)


February 2922000

 薮うぐひすようこそ東京広きかな

                           及川 貞

(うぐいす)といえば春だが、「薮鶯(やぶうぐいす)」は冬に分類。越冬期に人里近く降りてくる鶯のことで、まだ鳴き声も「チチッ、チチッ」とおぼつかない。そんな時期の鶯が、庭先にでも姿を現したのだろうか。ああ、春も間近だと嬉しくなり、思わずも「ようこそ」と内心で声をかけている。一般的に「東京は広い」というとき、地理的な広さとは別に、転じて「何でもあり、何でも起きる」という意味に使うことがあるが、句の「広き」もこれに近い意味だと思う。まさか、こんな町中のこんな庭にまで鶯が……というニュアンスだ。だから「ようこそ」なのである。作られたのは、戦後も十数年を経たころ。薮(あるいは、かろうじて薮と呼べるところ)なども、まだ東京のそこここに残っていたとはいえ、鶯の出現はもはや珍しい出来事であったにちがいない。読後、私は「ようこそ」の挨拶語をこのように使える作者(女性)の人柄に思いがおよび、とても暖かい心持ちになった。しばらく、心地よい余韻に酔った。このころも世の中はギスギスしていたが、しかし一方では人々に高度成長期への躍動感もあったはずで、そのあたりの雰囲気が句に暖かさを誘ったとも読んだのだった。『夕焼』(1967)所収。(清水哲男)


February 2822000

 春空の思はぬ方へ靴飛べり

                           守屋明俊

供時代の思い出。春の空を見ているうちに、ひょいと思い出している。ボールか何かを思い切り蹴飛ばしたら、ついでに靴までが脱げて飛んでいってしまった。ボールはあっちへ、靴はあらぬ方へと。私にも、覚えがある。今はそうでもないのだろうが、昔の子供は少し大きめの(ともすると、ブカブカの)靴を買い与えられたものだ。月星運動靴だったかなあ、そんなズック靴。成長がはやいので、ぴったりした靴だと、すぐに履けなくなってしまうからである。靴といえぱ忘れられないのが、高校に入学した春のことだ。当時の立川高校は入学できる地域が広く、多摩地区全体から志望することができた。西は檜原村あたりから東は武蔵野市あたりまで。で、私など西からの新入生は当然のようにズック靴を履いていったのだが、東からの連中はみな革靴を履いていた。口惜しいので口にこそ出さなかったけれど、かなりのショックを受けた。そんなことは、東の諸君は覚えていないだろうな。革靴を買ってもらったのは、大学に入ってからだった。何度も靴底を張り替えて履いていたものである。『西日家族』(1999)所収。(清水哲男)




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