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January 3012000

 狼の声そろふなり雪のくれ

                           内藤丈草

藤丈草(1662-1704)は尾張犬山藩士、のちに出家した人。蕉門。もう一度、心をしずめて読み返していただきたい。げにも恐ろしき光景。心胆が縮み上がるようだ。狼の姿は見えないが、見えないだけに、恐怖感がつのる。しかも、外はふりしきる雪。そして、日没も間近い薄暗さ。あちらこちらから間遠に聞こえてきていた鳴き声が、ほぼ一所にそろった。「さあ、里にやってくるぞ」と、作者は恐怖のうちに身構えている。三百数十年前のこの国では、狼がこのように出没していたことが知れる。冬場にエサを求めて里にやってくるのは、カラスなどと一緒だ。句は、柴田宵曲『新編・俳諧博物誌』(岩波文庫・緑106-4)で知った。宵曲は「狼の声の何たるかを知らぬわれわれでも、この句を読むと、丈艸の実感を通して寒気を感ずるほど、身に迫る内容を持っている」と、書いている。「声そろふ」で、きっちりと焦点が定まっているからだ。このように、昔は人と狼との距離は近かった。「送り狼」という言葉が残されているほどに……。「日本における人と狼との間には、慥(たしか)に他の野獣と異ったものがあるので、人対獣の交渉というよりもむしろ人対人の交渉に近い」と、宵曲は書いている。(清水哲男)


January 1212003

 うづくまる薬の下の寒さ哉

                           内藤丈草

書に「はせを翁の病床に侍りて」とある。芭蕉臨終直前の枕頭で詠んだもので、去来によれば、芭蕉が今生の最後に「丈草出来たり」と賞賛した句だという。だが、正直に言って、私にはどこが「出来たり」なのかが、よくわからない。凡句というのでもないけれど、去来が「かゝる時は、かゝる情こそ動かめ。興を催し、景をさぐるいとまあらじとは、此時こそおもひ知りはべる」と書いていることからすると、異常時にあっての冷静さが評価されたのだろうか。こういう緊急のときには、日ごろの蓄積が自然に出てくるというわけだ。ところで、芥川龍之介の『枯野抄』は、この句に触発されて書かれたことになっている。読み返してみたら、句への直接の言及はないが、彼もまた「出来たり」とは思っていなかったようだ。それは、師匠の唇をうるおした後に、不思議に安らかな気持ちになった丈草の心の内を描いた部分に暗示されている。「丈艸のこの安らかな心もちは、久しく芭蕉の人格的圧力の桎梏に、空しく屈してゐた彼の自由な精神が、その本来の力を以て、漸く手足を伸ばさうとする、解放の喜びだつたのである。彼はこの恍惚たる悲しい喜びの中に、菩提樹の念珠をつまぐりながら、周囲にすすりなく門弟たちも、眼底を払つて去つた如く、唇頭にかすかな笑(えみ)を浮べて、恭々しく、臨終の芭蕉に礼拝した。――」。すなわち、掲句はいまだ「芭蕉の人格的圧力の桎梏」下にあったときのものだと、芥川は言っている。むろん一つの解釈でしかないけれど、去来のように手放しで誉める気になっていないところが、いかにも芥川らしくて気に入った。ちなみに去来は、しょせんは「薮の中」だとしても、小心者として登場している。(清水哲男)


January 2112006

 狼も詠ひし人もはるかなり

                           すずきみのる

語は「狼」で冬。「山犬」とも言われた日本狼(厳密に言えば狼の亜種)は、1905年(明治三十八年)に奈良の鷲家口で捕獲されたのを最後に絶滅したとみられている。したがって、ここ百年ほどに詠まれた狼句は、すべて空想の産物だ。といって、それ以前に人と狼とが頻繁に出会っていたというわけではなく、たとえば子規の「狼のちらと見えけり雪の山」などは、いかにも嘘っぽい。実景だとすれば、もっと迫力ある句になったはずだ。そこへいくと、江戸期の内藤丈草「狼の声そろふなり雪のくれ」の迫真性はどうだろう。掲句はそんな狼だけを主眼にするのではなく、狼を好んで「詠(うた)ひし人」のほうにも思いを寄せているところが新しい。で、この「詠ひし人」とは誰だろうか。むろん子規でも丈草でも構わないわけだが、私には十中八九、「絶滅のかの狼を連れ歩く」と詠んだ三橋敏雄ではないかという気がする。絶滅した狼を連れ歩く俳人の姿は、この世にあっても颯爽としていたが、鬼籍に入ったあとではよりリアリティが増して、どこか凄みさえ感じられるようになった。三橋敏雄が亡くなったのは2001年だから、常識的には「はるかなり」とは言えない。しかし、逆に子規などの存在を「はるかなり」と言ったのでは、当たり前に過ぎて面白くない。すなわち、百年前までの狼もそれを愛惜した数年前までの三橋敏雄の存在も、並列的に「はるかなり」とすることで、掲句の作者はいま過ぎつつある現在における存在もまた、たちまち「はるか」遠くに沈んでいくのだと言っているのではなかろうか。そういうことは離れても、掲句はさながら話に聞く寒い夜の狼の遠吠えのように,細く寂しげな余韻を残す。『遊歩』(2005)所収。(清水哲男)


September 2592011

 ねばりなき空に走るや秋の雲

                           内藤丈草

を読んでいると、たまに、ああこれは作り過ぎているなと感じることがあります。こんなに短い表現形式なのに、盛りだくさんに技巧を凝らすと、そういうことになるようです。所詮は作り物なのだから、作品の中から作意を完全に消し去ることはできません。だから凝った表現は、せめて一句に一か所にしてもらいたいものです。今日の句、凝っているのはもちろん「ねばりなき」のところです。それ以外には特段解説できるようなところはありません。さっぱりしています。このさっぱりが、なかなかすごいのです。雲が秋の空に抵抗を感じないように、句を作る所作にも、余分な抵抗はなさそうです。言葉は自然に生まれ、生まれたままの姿で句に置かれ、秋空を滑る雲のように、読者の目の中に滑り込んできます。『日本大歳時記 秋』(1971・講談社) 所載。(松下育男)




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