もはや、若い女性に着物は似合わない。昨日痛感。不似合いは、その文化絶滅の引き金となる。




2000ソスN1ソスソス11ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

January 1112000

 寒晴やあはれ舞妓の背の高き

                           飯島晴子

晴。寒中のよく晴れた日。季語のようであるが、これは作者の発明。歳時記での季語は「寒」である。さて、またしても厄介な「あはれ」だ。すらりと背の高い現代娘の舞妓ぶりを見て、「あはれ」と反応しているわけだが、どういう種類の「あはれ」なのだろう。それこそ「すらり」と読んで受けた印象では、どこか危なっかしい美しさに「あはれ」を当てたように思われる。たとえて言えば、寒中に豪奢な芍薬の花を見た感じか。確かに美しいけれど、季節外れだし、いささか丈もありすぎる。伝統美からは背丈ばかりではなく、立ち居振る舞いにおいてもどこか逸脱している。危なっかしい。したがって、美しくも、そして切なくも「哀れ」なのだろう。実は、この句の「中七下五」は秋にできたものだと、講談社『新日本大歳時記』で作者が作句過程の種明かしをしている。大阪のホテルで開かれた出版記念会に、祇園から手伝いに来ていた舞妓を見ての印象だという。「『寒晴』にたどりつくまでパズルのピースを何度入れ替えたことか。季語は、季語以外の部分と同時に絡まるように出てくるのが理想的である。あとからつけて成功するには苦労する。意地で『寒晴』まで辛抱したというところである」。意地を張った甲斐はあり、どんぴしゃりと決まった。『寒晴』(1990)所収。(清水哲男)


January 1012000

 一番寺の鐘乱打成人の日の老人

                           原子公平

者、六十代の句。「秩父行」の前書からすると、実景だろう。成人の日を祝って鐘を撞く風習。撞いているのは老人で、べつに意図して「乱打」しているわけでもなかろうが、六十代の原子公平にはそのように聞こえたということだ。このとき「乱打」は実際の現象というよりも、聞き手の胸中に生起したイリュージョンだと思う。若者たちの門出を寿ぐためだから、撞き方のテンポは早い。それが「乱打」と聞こえたのは、老人としてのおのれの若者に対する思いが、千々に乱れているからである。その思いは、なにも今日成人の日を迎えた人たちに対するそれだけではないのであって、みずからの過去の若者、そして現在も抱えている若者意識、そうしたところへの思いが早鐘のように心を乱打しているのだ。現在の若さへの賛嘆、羨望、嫉妬、失望……。そして、自身の若き日への自負、誇り、悔恨、失意……。そうしたものが、儀礼的形式的に撞かれているはずの鐘の音に乗って聞こえてくる。いやでも「老い」を自覚させられはじめた年代ならではの一句だ。そこで口惜しいのは、私にも作者の苛立ちがよくわかってしまうことである。『酔歌』(1993)所収。(清水哲男)


January 0912000

 暖炉列車 津軽まるごと暖める

                           野宮素外

炉列車は、客室内でストーブを焚いて走る列車のこと。燃料は石炭だ。かつての雪国ではお馴染みだったストーブ列車も、暖房システムが変化した結果、現在では青森県の「津軽鉄道」にしか残っていない。毎年十一月十六日から三月十五日まで、津軽五所川原と津軽中里間の二往復だけを走っている。はっきり言って、観光客用だ。……と、これらの知識とこの句とは、発売中の「アサヒグラフ」(2000年1月14日号)に載っている宮本貢さんのレポートから仕入れた。暖冬の東京で冒頭の大きな見開き写真を見ていると、外国の風景のようにも見えてきてしまう。団体客が入ると二両から三両編成になるというが、撮影日は大雪だったので、たった一両で走っている。この写真が、実に良い。列車の姿は小さくて消え入りそうに頼りないのだけれど、乗車している人はみな句のような心持ちになっている。そういうことが、写真を見ているとよく伝わってくる。「津軽まるごと暖める」は、大袈裟ではなく、ごく自然な発想だということが納得される。句は乗客から募集したものだというが、作者の名前から推察してズブの素人ではあるまい。一字空きになっているのは、漢字の詰め合わせを嫌ったためだろう。(清水哲男)




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