世界的に人命に関わる事故は起きなかった。やっと謹賀新春。東京は快晴です。(午前9時)




2000ソスN1ソスソス1ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

January 0112000

 星屑と云ふ元日のこはれもの

                           中林美恵子

日の句は多々あれど、じわりと心に染み入ってくるような美しい句はそんなにあるものではない。どことなくクリスマスの余韻を引きずっているような雰囲気もあるが、元日に「こはれもの」をそっと重ね合わせた発想は素晴らしい。しかも、スケールはとてつもなく大きいのだ。作者も着想したときには、きっと「やったア」と思ったでしょうね。うむ、年頭にこの一句を据えられたことで、当ページの未来は開けたも同然だ。……というほどに、気に入ってしまった。いま出ている角川版歳時記の一つ前のバージョンで見つけた句だ。ところで掲句とは関係ないのだが、実作者の方々に一言。近着の俳句雑誌で「紀元2000年」と表記した句を散見する。むろん「西暦紀元」の意だとはわかるが、私はこの表記に賛成しない。というのも、日本では戦前戦中に「紀元」というと、すべてが「皇紀」として認識されていたからだ。「皇紀」は1872年(明治5年)に、国家が神武天皇即位の年を西暦紀元前660年と定めたものだ。この物差しに従うと、今年は「紀元2660年」という勘定になる。いまでも、一瞬「紀元」即「皇紀」と反応する人は大勢いるので、厭な時代を思い出してしまうことにもなる。加えて、後世の人が「西暦紀元」なのか「皇紀紀元」なのかと混乱する危険性は十分にあり、当の作者にしても「歴史に無知な俳人だ」と、いらざる誤解を受けかねないからでもある。(清水哲男)


December 31121999

 大年の富士見てくらす隠居かな

                           池西言水

年の発音は「おおとし」または「おおどし」とも。我らが「余白句会」のメンバーである多田道太郎さんの新著『新選俳句歳時記』(潮出版社)でのコメントを引いておく。「江戸時代のご隠居さまはゆったり、のんびりしていたんやな。師走ということで先生まで走らせる世の中になってから、老人も走りださないといかんような気分。『大年(「おおみそか」のルビあり・清水注)』の夜はとりわけ足もとにご注意を。富士山に見とれてばかりいる訳には参りません」。多田さん独特の語り口は、いつも魅力的だ。ただ、句での「大年」は「見てくらす」というのだから、大晦日というよりも、師走月の意だろう。江戸期の人が隠居生活に入ったのは、多くが四十歳代だった。いまでは信じられないような若さだが、人生五十年時代とあっては、四十代はもはや晩年だったのである。当時の結婚年齢も早くて、二十歳になっても結婚しない女性には「二十歳婆あ」という陰口もきかれたほどという。いまどきの「おばさん」呼ばわりよりも痛烈だ。とにかく、世の中は変わってしまった。除夜の鐘ですら、百八つとは限らなくなっている。ま、現代人の煩悩の数がそれだけ増えてきたと思えば腹も立たないが、いっそのこと、今夜は景気よく2000回も打ち鳴らしちゃったらどうだろうか。やりかね(鐘)ない寺も、ありそうだけれど……。では、よいお年をお迎えくださいますように。せめて、富士山の夢でも見ることにしましょうか。(清水哲男)


December 30121999

 水仙が捩れて女はしりをり

                           小川双々子

月用の花として、いま盛んに売られている水仙。可憐な雰囲気だが、切り花として持ち歩くには少々厄介だ。すぐにポキッと折れそうな感じだし、「水仙やたばねし花のそむきあひ」(星野立子)と、あまりお行儀がよろしくない。それがこともあろうに、水仙の花束を持って走っている女性がいるとなったら、これはもうただならぬ気配だ。師も走るという季節(句は年末を指してはいないが)ではあるけれど、いつにせよ、花を持った人の走る姿は確実に異様に写るだろう。このときに作者は、捩(ねじ)れている水仙の姿を、その女性と一体化している。実際は花が捩れているのだが、女性その人もまた水仙のように捩れていると……。双々子には他に「女体捩れ捩れる雪の降る天は」があり、女性の身体と「捩れ」は感覚的に自然に結びついているようだ。もちろん、女性を貶しているのでもなく蔑視しているのでもない、念のため。キリスト者だから、おそらくは聖母マリア像にも、同様な「捩れ」を感じているはずである。誰にでもそれぞれに固有に備わっている特殊な感覚の世界があり、そのなかから私たちは一生抜け出すことはできない。『小川双々子全句集』(1991)所収。(清水哲男)




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