飲料水を三日分用意せよと政府。私は十日分のビールを蓄える。家族のために飲み続けたい。




1999ソスN12ソスソス27ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

December 27121999

 懐中手新年号をふところに

                           永井龍男

語は「懐中手(懐手・ふところで)」。和服姿である。文学青年の野心が彷彿としてくる句だ。以下は、作者である小説家・永井龍男の回想である。「まことに独り合点な句だが、捨て難かった。昭和十年頃までの綜合雑誌『中央公論』『改造』、文芸雑誌の『新小説』『新潮』『文芸』の新年特別号は、創作欄に時の大家中堅の顔を揃え、時には清新な新進を加えて実にけんらんたるものがあった。自分も何年か後には、新年号の目次に名を連ねてと夢をいだいたのは、私という一文学青年ばかりではあるまい。そのような若い日の姿が、ある日よみがえってきた」。現代の若者の胸中には、もはやこのような野心のかたちは存在しないだろう。私が若かったころは、まだ匂いくらいは残っていた。それこそ「文芸」の編集者時代(1960年代)には、新年号の創作欄に綺羅星のように大家中堅の名前を載せるために、みんなして走り回ったものだった。雑誌の発売日にライバル誌の目次を見て、「勝った、負けた」と騒いだのも懐しい思い出である。したがって、必然的に二月号は新進特集などでお茶を濁すことになり(失礼)、製本が終わったところで正月休みとなるのだった。『文壇句会今昔・東門居句手帖』(1972)所収。(清水哲男)


December 26121999

 年の市目移りばかりして買はず

                           田口渓月

リスマスが過ぎると、誰もがにわかに昔風の日本人に変身する。「年の市」の本来の意味は、月ごとの市のうちで大年(年末)に立つ市のことだ。ちなみに、今日12月26日の市のなかでは、東京の麹町平河天神のそれが有名だったようだが、いまではどうだろう。それよりも、本来の市ではないけれど、今日あたりから押すな押すなの活況を呈する上野「アメ横」の通りのほうが、よほど年の市らしい雰囲気となる。さて、作者は正月用意のために市にやってきたのだけれど、とにかく目移りがしてしまって、結局は何も買わずに帰ってきてしまった。が、この句の裏には明らかに「もう一度、日をあらためて出直せばよい」という気持ちがある。まだ苦笑する余裕があるというわけで、読者も救われる。しかし、新年まで二三日を余すくらいだと、こうはいかない。「のぼせたる女の顔や年の市」(日野草城)ということになったり、「年の市白髪の母漂へり」(山田みづえ)となったりして、大事(おおごと)となる。加えて、今年は「2000年問題」を抱えた歳末だ。目移りしているゆとりもあらばこそ、いつもの年末とは違う買い物に忙しい人が多いはずだ。それにしても、年用意に「缶詰」やら「カンパン」やら、はたまた「水」までをも買いあさる羽目になろうとは……。こうした事態をさして、私たちの常識は「世も末だ」と言ってきたのであるが。(清水哲男)


December 25121999

 主を頌むるをさなが歌や十二月

                           石塚友二

くから、子供たちの歌う賛美歌が聞こえてくる。近くに、幼稚園か小学校があるのだろう。そういえば、毎年同じように「をさなが歌」が流れてくるなあ。歌詞の意味などわからずに「主を頌(ほ)」めている子供たちの歌声に、作者は微笑を浮かべている。これもまた、十二月の風物詩だ。私が賛美歌をいくつか覚えたのは、十歳くらいのときだった。熱心なクリスチャンが校長として赴任してこられたおかげで、習うことができた。サンタクロースのことも、そのときにはじめて知った。戦後も二三年経ったころのことだ。教室にツリーを飾ろうということになり、裏山から手ごろなモミの木を切ってきて立てた。そのツリーを囲んで覚えたての歌を歌い、終わるとサンタに扮した校長からプレゼントをいただいた。生まれてはじめて見るカラフルなチョコ・ボール。「さあ、食べてごらん」と先生はおっしゃったが、誰ひとり口にしようとする子はいなかった。誰もがとっさに、家で待っている弟妹たちと、いっしょに食べたいと思ったからだ。ちり紙に包んでポケットにしまい、すっかり日の暮れた表に出ると、雪が降っていた。いまでも私が歌える賛美歌は、このときに覚えたものだけである。(清水哲男)




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