飲み屋の突出しに南瓜。敗戦前後に黄色くなるまで食べた世代には、この風流味も通じない。




1999ソスN12ソスソス22ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

December 22121999

 立ちどまり顔を上げたる冬至かな

                           草間時彦

がラジオ局のスタジオは、西向きだ。毎年この季節になると、低く運行する太陽の光が、まともにさしこんできて眩しい。本日「冬至」は、北半球での太陽の高度がもっとも低くなるので、眩しさも最高となる。そんなふうに「冬至」を感じる人間もいるかと思えば、作者のように「もう日が暮れていくのか」と立ちどまって西の空を眺めやり、「そういえば……」と納得する人もいる。どうということもない所作ではあるが、時計にかかわらぬ時間認識の味とは、なべてこういうものだろう。この句をさして「飽きがこない」と言った人がいた。飽きがこないのは、この時間認識が、生きとし生けるもの本来のそれであるからだ。時計といえば、放送局には腕時計を嫌う人間が意外に多い。それでなくとも分秒に追いまくられる仕事なので、自分の腕にまでわざわざ分秒を表示したくはないということである。そういう立場から読むと、この句の抒情性はさらに胸の奥にまで染み入ってくるはずだ。それはそれとして、今日の東京地方の日出時刻は6時47分、日入は16時32分。野暮だったかな。月は真ん丸。『朝粥』(1978)所収。(清水哲男)


December 21121999

 山ごーごー不安な龍がうしろに居り

                           阿部完市

季ではあるが、「山ごーごー」は荒れる冬山に通じる。しかも「不安な龍」とくれば、ちょうど1999年の年末期にも通じる。二十年以上も前に作られた句だから、もちろん2000年問題が意識されていたわけではない。が、なんだか今日の事態を予言したような句に見えてきてしまう。その意味でも、怖い作品だ。明けて2000年。何が起きるのか、何も起こらないのか。誰にも予測はつきかねるが、一つ言えることは、この「不安」の種は人がみずから蒔いたものであるということだ。この事実だけは動かない。したがって「山」も「龍」も、その責を負うわけにはまいらない。「自己疎外」という懐しい哲学用語が、極めて具体的によみがえってきた世紀末。単なる数字の行列を横切るだけで、過去これほどまでに社会的な不安が際立ったことはない。人間もたいしたことはないなと、いまごろは「山」も「龍」もがあざ笑っていることだろう。関連で、同じ作者の句をもう一つ。「いま憂季とや雪雲と何十の歌謡」。こちらは大晦日恒例の番組「紅白歌合戦」に通じていると読める。2000年まで、あと11日。『春日朝歌』(1978)所収。(清水哲男)


December 20121999

 親も子も酔へばねる気よ卵酒

                           炭 太祇

つあつを飲むから、汗が出る。したがって、昔から風邪の熱さましとして愛飲されてきた。作者は江戸期の人。アルコール分が少ないので、子供でも飲めるのが卵酒(玉子酒)だ。家族みんなで楽しめる。家の誰かが風邪を引くと、さっそく玉子酒を作り、みんなでお相伴にあずかるというわけだ。風邪引きも、また楽し……かな。とはいえ、やはり酒は酒だ。飲むうちに、いい心持ちになってくる。寝るには早い時間だが、ままよ、眠くなったら寝ちまおうぜと、親子揃っての暢気な気分がまた心地よい。ところで、あなたは玉子酒を作ったことがありますか。講談社から出たばかりの『新日本大歳時記・冬』を見ていたら、林徹氏がレシピ付きの解説を書いていたのでお裾分け。「一合の日本酒に砂糖大さじ三杯を加えて煮立て、酒が沸いてアルコール分が十分蒸発したとき、マッチの火でアルコール分を燃やしきり、これに卵黄をそそいでよく掻き回し、煮詰まらないうちに飲む」のである。お試しください。ただし、パソコンの無料ソフトと同様に、この作り方を実行して、いかなる事態があなたやあなたの家族に起ころうとも、当方は一切責任を負いかねますのでご了承を(笑)。(清水哲男)




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