引用句を含めると、今日でちょうど1500句を掲載したことになる。少し歳時記らしくなった。




1999ソスN12ソスソス14ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

December 14121999

 枯草にキャラメルの箱河あわれ

                           金子兜太

岸の枯草のなかに、キャラメルの白茶けた空き箱が捨てられている。よく見かける光景だ。もっと暖かい時季に、どこかの子供が遊びに来て捨てていったのだろう。ここで作者は「ポイ捨て」はいけないなどと、公衆道徳的な反応はしていない。荒涼たる冬の河岸に、元気な子供の走り回る姿を二重写しにして、「あわれ」と言っている。「あわれ」は「哀れ」ではなく、何かいとおしいような感情がにじみ出てくる状態を指している言葉だ。すべてのゴミは、かつては人間とともにあった物である。したがって、この物とともに確かに人間がいたという「存在証明」なのである。だから、ゴミは単に穢い物体ではありえない。何年か前に、ドイツ領内を流れるエルベ川のほとりに立ったとき、ひどく河岸がきれいなことに違和感を覚えた。聞いてみると、河岸は立ち入り禁止なのだという。なるほど、キャラメルの箱一つ落ちていない理屈だ。まことにクリーンな光景というのも、案外と薄気味が悪いなと思ったことを覚えている。だから、かなり日本語のできるドイツ人が読んでも、句の「あわれ」はおそらく「哀れ」としか理解できないだろう。『金子兜太全句集』(1975)所収。(清水哲男)


December 13121999

 雪夜子は泣く父母よりはるかなものを呼び

                           加藤楸邨

閑たる雪の夜。ひとり寝ていた子供が、急に泣き出した。夢でも見たのだろう。じきに泣きやむさ、立っていくこともない。だが、なかなか泣きやまない。気になって、泣き声を聞いているうちに、なんだかいつもと違う声に感じられてきた。それは父や母に来てくれとうながしているのではなく、そんな日常性を越えて、もっと原初的な「はるかなもの」を呼んでいるかのような声だった。泣いているのは自分の子供には違いないけれど、その子供の声は「類としての人間」を体現しているようなそれであったと言うのである。ここで楸邨は、人が人としてあることの根源的な寂しさを語ろうとしている。それを、人間の大人が組み立てた社会には無縁な子供の泣き声を梃子にして、このように書き上げたというわけだ。生物として本能的に生きている子供の、いや「類としての人間」の、その本能に触れた衝撃。静かな雪の夜ならではの「発見」と言うべきだろう。破調にして字余り。「はるかなもの」を提示するためには、定型のなかでちんまりと座っているわけにはいかなかったのである。『起伏』(1949)所収。(清水哲男)


December 12121999

 熱燗や忘れるはずの社歌ぽろり

                           朝日彩湖

いなことに、社歌のある会社に勤めたことはない。朝礼のある会社には勤めたが、それだけでも苦痛なのに、社歌まで歌わされてはかなわない。誰だって(本音をたたけば経営陣だって)、作者のように忘れてしまいたいと思うだろう。しかし、これから「忘れるはず」の社歌が、酒の席で「ぽろり」と口をついて出てしまった。軽い自嘲。小さな風刺。さもありなんと、読者は苦笑いするしかないのである。と言いながら、社歌ではないけれど、私は昔、準社歌みたいな歌を書いたことがある。従業員のレクリエーションの集いなどにふさわしい歌詞をという依頼があり、当方は純粋な詩売人(!?)となって真面目に書き上げた。けっこう難産だった。タイトルは「風となる」(作曲・すぎやまこういち)。依頼人は「宝酒造株式会社」。でも、社内でこの歌が歌われているのかどうかは知らない。一度だけ、同社主催のゴルフ・コンペで流されていたという情報を聞いたことがあるきりだ。そのときに自分の歌詞を読み返してみて、なるほどゴルフ場には似合うかもしれないとは思った。だが、選りによって私の嫌いなゴルフの場で流されたのかと、ため息も出た。「チェッ」だった。俳誌「船団」(43号・1999年12月)所載。(清水哲男)




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