マンション総会でケーブルテレビ導入を可決。インターネットをはじめたい人が多いようだ。




1999ソスN12ソスソス11ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

December 11121999

 海苔買ふや年内二十日あますのみ

                           田中午次郎

語は「年内(年の内)」。世の歳時記には「余す日も少なくなった年内。『年の暮』とほぼ同義だが、多少それよりゆとりを持つ感じ」と定義してある。では、いったい十二月の何日ごろから使ってもよい季語なのかと思っていたら、掲句を発見した。なるほど「年の暮」よりは、気持ち的にやや余裕のある今ごろの季語というわけか……。美味しそうな海苔を見かけた。少し早いかな。そう思いながら、作者は正月用にと買っておくことにした。でも、数えてみれば、今日から二十日経つと年が改まるという計算になる。となれば、別にそんなに早い「年用意」でもないなと、自分で自分を納得させているような句だ。「あますのみ」の「のみ」に、作者の海苔を買った言い分がある。で、海苔の袋を提げて往来に出てみると、正月はまだまだ先だというような顔をして、普段と同じような足取りで多くの人が歩いている。「あますのみ」の「のみ」を「のみ」と思わない人も、大勢いるということ。作者はそこまで言ってはいないのだが、こんなふうに読まないと、この句の面白さは引き出せないような気がする。しかし、あと一週間もすれば、世の中全体が「あますのみ」と言い募ることだろう。もちろん、私も。(清水哲男)


December 10121999

 障子貼つて中仙道と紙一重

                           泉田秋硯

語は「障子(しょうじ)貼る」で秋。冬に備えて障子を張り替えた習慣から。「障子」だけなら冬季。「中仙道(中山道)」は、五街道の一つ。江戸日本橋を起点に信濃・美濃などを経て草津で東海道と合流し、京都に至る。作者は関西の人だから、草津あたりの光景だろうか。句のウィットが、なんとも楽しい。ぴしっと貼られた障子の外はというと、数々のドラマの舞台ともなってきた天下の中仙道である。そう思うだけで、心がざわめくような気がする。その気持ちを「紙一重」で表現した巧みさ。舌を巻くテクニックだ。俳句は簡単に作れる。十七音節に季語一個を用意して、俳句らしい気分、という気合いを「えい」とかけると一句になる。阿部完市は、この作り方を「俳句からくり機械」を使っていると揶揄しているが、この句はとても「からくり機械」ではできないだろう。もう一句。「溢れても柚子悉く湯にのこる」。冬至の柚子湯である。これまた、機械ではできない句だ。『薔薇の緊張』(1993)所収。(清水哲男)


December 09121999

 河豚汁のわれ生きている寝ざめ哉

                           与謝蕪村

豚汁(ふぐじる)は、河豚の身を入れた味噌汁。江戸期の河豚料理は、ほとんどこれだったという。ただし、中毒を起こして死ぬ者が多かったので禁制(解禁は明治期)。肝臓、卵巣、胃、腸などに毒あり。それでも美味の誘惑には抗しきれず、ひそかに食べ続けられた。どれだけの人が、命を落としたことか。蕪村も、かくのごとくにヒヤリとしている。もっとも蕪村はフィクションの名人だったので、実際に食したのかどうかはわからない。でも、当時河豚を食べた人の気持ちは、みなこのようであったろう。現代でも、ときどき新聞に河豚中毒の記事が載る。戦後になって河豚で死んだ最大の有名人は、歌舞伎俳優の坂東三津五郎(八代目)だろう(1975年1月16日)。口がしびれるような部分が好きだったという記事を、なんとなく覚えている。ところで、河豚の王様はトラフグ。天然物は市場で1キロ当たり二万五千円から三万円もしているようだ。とても、庶民の口には入らない。本場の下関の友人が「このごろは高うていけん」と、こぼしていた。「大衆向け料理屋で使われるのは、ショウサイフグ、マフグ、シマフグ」だと、新聞で読んだ。(清水哲男)




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