柳美里『命』(「週刊ポスト」連載)。痩せた文章で読むに堪えない。本当に柳美里なのか。




1999ソスN12ソスソス9ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

December 09121999

 河豚汁のわれ生きている寝ざめ哉

                           与謝蕪村

豚汁(ふぐじる)は、河豚の身を入れた味噌汁。江戸期の河豚料理は、ほとんどこれだったという。ただし、中毒を起こして死ぬ者が多かったので禁制(解禁は明治期)。肝臓、卵巣、胃、腸などに毒あり。それでも美味の誘惑には抗しきれず、ひそかに食べ続けられた。どれだけの人が、命を落としたことか。蕪村も、かくのごとくにヒヤリとしている。もっとも蕪村はフィクションの名人だったので、実際に食したのかどうかはわからない。でも、当時河豚を食べた人の気持ちは、みなこのようであったろう。現代でも、ときどき新聞に河豚中毒の記事が載る。戦後になって河豚で死んだ最大の有名人は、歌舞伎俳優の坂東三津五郎(八代目)だろう(1975年1月16日)。口がしびれるような部分が好きだったという記事を、なんとなく覚えている。ところで、河豚の王様はトラフグ。天然物は市場で1キロ当たり二万五千円から三万円もしているようだ。とても、庶民の口には入らない。本場の下関の友人が「このごろは高うていけん」と、こぼしていた。「大衆向け料理屋で使われるのは、ショウサイフグ、マフグ、シマフグ」だと、新聞で読んだ。(清水哲男)


December 08121999

 焼鳥焼酎露西亜文学に育まる

                           瀧 春一

しくとも楽しかった青春回顧の一句である。この育(はぐく)まれ方は、しかし作者に固有のそれではない。安酒場で焼酎をあおり、熱っぽくドストエフスキーなどを語り合う。戦後まもなくの大学生たちの生活の一齣(こま)だ。焼鳥と焼酎と露西亜文学は、彼らの青春のいわば三点セットなのであった。だから、このように句にしても、違和感なく受け止めてくれる土壌はあるというわけだ。世代的には、昭和一桁生まれの人たち。昭和二桁初期の私は、わずかながら雰囲気だけは嗅いだことがある。私の頃には露西亜文学が後退しはじめており、カミュやらサルトルやらと仏蘭西文学に注目が集まりかけていた。いずれにしても、文学から生きる意味を学ぼうとする時代があったということだ。いまや、酒場や喫茶店で文学を語る若者など皆無に近い。フランスでもサルトルなどは読まれなくなったそうだが、人生における文学の価値は確実に下落したということだろう。本ばかり読んで、あまりにブッキッシュに物事を捉えるのも考えものではあるが、せっかくの文学者の労作を知らないまま死んでしまうのも寂しすぎる。現代の青春に三点セットがあるとすれば、それは何であろうか。(清水哲男)


December 07121999

 鴨鍋のさめて男のつまらなき

                           山尾玉藻

理の席で、ご馳走になっているのだろう。鍋物は、座をやわらげる。ぐつぐつと煮えている間は、さして親しくない者同士でも、とりあえずは場がもつのである。だが、やがて火が落とされ、だんだん鍋の物がさめてくるにつれて、作者のように気分がしらけてくるということも起きる。はじめからつまらない男とは承知だが、やはりつまらないという事態に立ち至り、そこで女は席を立つ機会をうかがう……。高級な鍋料理だけに、この場のみじめさはことさらに大きく感じられる。もとより、この逆のケースもありうるわけで、句の「男」を「女」と入れ替えてもよいわけだ。だが、入れ替えてみると、意味は通るのだけれど、句が汚くなる。なんとなく、いやな感じになる。もっと言えば、下品に堕ちてしまう。なぜだろうか。理由は、読者諸兄姉がお考えの通りだ。鍋物の季節到来。鴨鍋なんぞはどうでもいいから、そこらへんの安物の寄鍋を、親しい者同士でつつくのがいちばん美味しい。店の建て付けがガタビシしていて、隙間風がはいってくるとなれば、もう言うことなし。このやせ我慢も、鍋の大事なかくし味。「寄鍋や酒は二級をよしとする」(吉井莫生)。(清水哲男)




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