河出書房時代の同僚が定年退職。「ご苦労さん会」が今日、懐しき神田の「ランチョン」で。




1999ソスN12ソスソス4ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

December 04121999

 暗さもジャズも映画によく似ショールとる

                           星野立子

前の句。作者が入ったのは、クラシック・スタイルのバーだろう。ほの暗い店内には静かにジャズが流れており、心地よい暖かさだ。大人の店という雰囲気。まるで映画の一場面に参加しているような気分で、作者はショールをとるのである。その手つきも、いささか芝居がかっていたと思われるが、そこがまた楽しいのだ。ショールというのだから、もちろん和装である。和装の麗人と洋装の紳士との粋な会話が、これからはじまるのだ。こうした店には、腹に溜まるような食べ物はない。間違っても、焼きおにぎりやスパゲッティなんぞは出てこない。あくまでも、静かに酒と会話を楽しむ場所なのである。いつの頃からか、このような店は探すのに苦労するほど減ってしまった。あることはあるけれど、めちゃくちゃに高いのが難である。強いて言うならば、現在の高級ホテルのバーと似ていなくもない。が、やはり違う。ホテルの店では、バーテンダーのハートが伝わってこないからだ。その意味からしても、最近の夜の遊び場はずいぶんと子供っぽくなってきている。だから、社会全体も幼稚で大人になれないのだ。遊び場は重要だ。遊び場もまた、人を育て社会を育てる。『続立子句集第二』(1947)所収。(清水哲男)


December 03121999

 鍵のある日記長女に買ふべきか

                           上野 泰

語は「日記買ふ」で冬。ちょうど今ごろの季節だ。作者の年譜から推察すると、句ができたときの長女の年齢は十六歳。高校生である。秘密を抱きはじめる年齢と親父は勝手に解釈し、鍵付きの日記帳を買ってやれば喜ぶだろうと思ったわけだ。実は私もそう思ったことがあるのだけれど、結論から言えば、やめたほうがよろしい。しょせん、親父には「女の子」のことなどわかりっこないのだから……。我が家の長女が中学生になったとき、実用にもなり精いっぱい可愛らしいと思う手帳を買ってやったが、彼女は何日も使わなかったようだ。べつに、冷たいからじゃない。どだい「センス」というものが、親父とは大いに違うのである。作者には、そういうことが少しはわかっていたのかもしれない。だから「買ふべきか」なのかもしれない。とにかく、娘を持った男親の心情はよく出ており、同じ身空の親父どもには受け入れられる句だろう。でも、あの玉手箱を押しつぶしたような鍵付きの日記帳の耐久性はどうなのだろう。三百六十五日、毎日鍵を使うとすると、鍵か錠前か、はたまた取り付けの金具か、いずれかが一年ももたないような気がしてならない。使用経験者のレポートを求めます。『一輪』(1965)所収。(清水哲男)


December 02121999

 ポインセチア愛の一語の虚実かな

                           角川源義

言葉は、19世紀のイギリスで決められたものがベースになっている。各種あって特定しがたいが、手元の資料によれば、ポインセチアのそれは「祝福する」とあった。いかにも、この花の華麗さにふさわしい(もっとも、華麗なのは花ではなくて葉のほうだけど)。祝福の対象は恋愛などの「愛」よりも、人類愛などのそれだろう。恋愛というときの「愛の一語」にも虚実はあるが、人類愛の場合には、もっと虚実の濃淡がいちじるしい。「私は人類は大いに愛するが、隣りのババアだけはどうにも気にくわない」と正直に言ったのは、たしか文豪トルストイである。この季節になると、花屋の店先を占領するほどに出回るポインセチア。クリスマス向けというわけだが、その華麗さを買い求める人々の「愛」への思いと、その「虚実」や如何に。苦い一句だ。なお、ポインセチアの命名は、発見者であるポインセットに由来しているそうだ。人の名前なのである。ご存知でしたか。(清水哲男)




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