ポリ容器がじりじりと値を上げている。石油ショック以来のパニックが起きそうな予感も。




1999ソスN12ソスソス3ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

December 03121999

 鍵のある日記長女に買ふべきか

                           上野 泰

語は「日記買ふ」で冬。ちょうど今ごろの季節だ。作者の年譜から推察すると、句ができたときの長女の年齢は十六歳。高校生である。秘密を抱きはじめる年齢と親父は勝手に解釈し、鍵付きの日記帳を買ってやれば喜ぶだろうと思ったわけだ。実は私もそう思ったことがあるのだけれど、結論から言えば、やめたほうがよろしい。しょせん、親父には「女の子」のことなどわかりっこないのだから……。我が家の長女が中学生になったとき、実用にもなり精いっぱい可愛らしいと思う手帳を買ってやったが、彼女は何日も使わなかったようだ。べつに、冷たいからじゃない。どだい「センス」というものが、親父とは大いに違うのである。作者には、そういうことが少しはわかっていたのかもしれない。だから「買ふべきか」なのかもしれない。とにかく、娘を持った男親の心情はよく出ており、同じ身空の親父どもには受け入れられる句だろう。でも、あの玉手箱を押しつぶしたような鍵付きの日記帳の耐久性はどうなのだろう。三百六十五日、毎日鍵を使うとすると、鍵か錠前か、はたまた取り付けの金具か、いずれかが一年ももたないような気がしてならない。使用経験者のレポートを求めます。『一輪』(1965)所収。(清水哲男)


December 02121999

 ポインセチア愛の一語の虚実かな

                           角川源義

言葉は、19世紀のイギリスで決められたものがベースになっている。各種あって特定しがたいが、手元の資料によれば、ポインセチアのそれは「祝福する」とあった。いかにも、この花の華麗さにふさわしい(もっとも、華麗なのは花ではなくて葉のほうだけど)。祝福の対象は恋愛などの「愛」よりも、人類愛などのそれだろう。恋愛というときの「愛の一語」にも虚実はあるが、人類愛の場合には、もっと虚実の濃淡がいちじるしい。「私は人類は大いに愛するが、隣りのババアだけはどうにも気にくわない」と正直に言ったのは、たしか文豪トルストイである。この季節になると、花屋の店先を占領するほどに出回るポインセチア。クリスマス向けというわけだが、その華麗さを買い求める人々の「愛」への思いと、その「虚実」や如何に。苦い一句だ。なお、ポインセチアの命名は、発見者であるポインセットに由来しているそうだ。人の名前なのである。ご存知でしたか。(清水哲男)


December 01121999

 福助の頭は空つぽや十二月

                           小泉八重子

助人形。「福助足袋」の広告で有名になったキャラクターだが、元来は江戸期より幸福招来の縁起ものとして、水商売の店などに飾られていた。句では、師走の正月用意の一つとしての足袋購入が意識されており、水商売のイメージはないと思われる。それにしても「福助」の頭の中が「からつぽ」とは、意表をついた発想だ。私など、一度もそんなことを思ったこともない。でも、言われてみると、なるほど「からつぽ」みたいに見えてくるから妙だ。頭が大きいので、なおさらである。もしも「福助」と話す機会があったとしても、どんな話をしたらよいのか、見当もつかない。そんな感じがしてくる。とにかく不思議なセンスで書かれた句ではあるが、 十二月とのマッチングが愉快だ。ちなみに、天下に「福助」キャラクターを有名にしたのは、大阪の川柳作家であった広告文案家の岸本水府である。この人は後に「グリコ」でも活躍し、「コドモハカゼノコ グリコノコ」「オザウニイハヘ グリコモイハヘ(お雑煮祝え、グリコも祝え)」などのコピー(豆文)を書いている。このあたりについては、田辺聖子著『道頓堀の雨に別れて以来なり』(中央公論社・1998)に詳しい。『遠望』(1989)所収。(清水哲男)




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