ラジオでデパートの下着売り場の女性と話した。ロング・ブラジャーとは何か。奇々怪々。




1999ソスN11ソスソス20ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

November 20111999

 木枯しや小学生の立ち話

                           藤堂洗火

ろそろ夕暮れに近いころの情景だろう。下校途中の小学生が、強い北風に吹かれながら立ち話をしている。通りかかった作者は「こんなに寒いのに、わざわざ立ち止まって何の話をしているのだろう」と一瞬訝りながら、傍らを通り過ぎた。ただそれだけのことなのだが、巧みなスケッチ句だ。「子どもは風の子、元気な子」と言うが、そんなふうに作者はとらえていない。むしろ寒さを我慢しながら熱心に話している様子が印象的だったからこそ、こういう句に仕上がったのだと思う。そういえば子どもだったころ、たいした話でもないのに、寒くてもよく立ち話をしたっけな。そんな大人の郷愁を誘うようなシーンでもある。ところで、立ち話をしているのは男の子だろうか、それとも女の子だろうか。私には、なんとなく髪の毛を押さえながら話している女の子同士の感じがする。「そりゃ女の子に決まってるよ。なんてったって、主婦の予備軍だもの」。誰ですか、そんな失礼なことを、今つぶやいたのは……。(清水哲男)


November 19111999

 芒野やモデルハウスに猫の声

                           守屋明俊

を探していたころ、よくモデルハウスを見に出かけた。新聞広告などをたよりに行ってみると、句のようにまことに殺風景な場所に建っている。にわかづくりの芝居小屋か映画のセットのようだ。一歩なかに入ると、ピカピカの流し台やら豪華な応接セットやらがしつらえられていて、いったい何様のお住まいかと思ったものだ。安い買い物ではないので、もちろん慎重にあちこちを見る。豪華な応接セットの代わりに、我が家の貧弱なそれを置いてみたとイメージしてみたりもした。しかし、なかなか決断するにはいたらない。何箇所かを見て回っているうちに気がついたことだが、モデルルームが決め手に欠けるのは、そこに人の住んでいる気配がないことだった。当たり前だけれど、生き物の気配のない住居は、いくら住居らしくデザインされていても空虚なものだ。おそらく作者も、そんな気がしていたのだろう。が、そこにどこからか小さく猫の鳴き声が聞こえてきた。なんだかホッとしたような気持ち……。現代的な生活者の感覚を、さりげないが鋭くとらえた佳句と言えよう。ただし、この句。作者が外にいて、中から猫の声がしたとも受け取れる。それなりに面白いが、モデルルームに猫が入り込むのは無理だろう。「俳句界」(1998年12月号)所載。(清水哲男)


November 18111999

 焼芋の固きをつつく火箸かな

                           室生犀星

芋といっても、いろいろな焼き方がある。焚き火で焼いたり、網やフライパンで焼いたり、石焼芋もあるし、近年では電子レンジでチンしたりもする。もっとも、電子レンジで調理する場合は「焼く」という言葉は不適当だ。といって「蒸かす」も適当でないし、やはり「チンする」とでも言うしかないか(笑)。句の場合は、囲炉裏で焼いている。犀星の時代にはごく普通の焼き方であり、焼け具合を見るために、火箸でつついている図だ。短気だったのだろう。焼けるのが待ち切れなくて「固きをつつ」いているわけだが、一人で焼いているのならばともかく、こうした振る舞いは周囲の人に嫌われたと思う。芋だけではなく、ついでに囲炉裏の火までつつきまわす人もおり、貧乏性の烙印を捺されたりもした。もちろん犀星は自分の行為に風流を感じて作ったのだろうが、あまり褒められた姿ではない。……と、百姓の子としては言っておきたくなる。囲炉裏での火箸の扱いは、ゆったりとした心持ちのなかで、はじめて(風流)味が出てくる。犀星は百姓のプロじゃなかったから仕方がないけれど、火箸の上げ下ろしは、あれでなかなか難しいのである。そう簡単に、カッコよくはできないものなのだ。(清水哲男)




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