正木ゆう子の句

October 25101999

 魔がさして糸瓜となりぬどうもどうも

                           正木ゆう子

わず、笑ってしまった。愉快、愉快。「魔がさす」に事欠いて、糸瓜(へちま)になってしまったとはね。作者の困惑ぶりが、周囲の糸瓜にとりあえず「どうもどうも」と挨拶している姿からうかがえる。どうして糸瓜になっちゃったのか。なんだかワケがわからないながら、とっさに曖昧な挨拶をしてしまうところが、生臭くも人間的で面白い。でも、人間はいくら「魔がさして」も糸瓜にはなれっこないわけで、その不可能領域に「魔がさして」と平気で入っていく作者の言葉づかいのセンスはユニークだ。大胆であり、不敵でもある。もしも、これが瓢箪(ひょうたん)だと、面白味は薄れるだろう。子供の頃に糸瓜も瓢箪も庭にぶら下がっていたけれど、生きている瓢箪は、存外真面目な顔つきをしている。そこへいくと、糸瓜はいつだって、呑気な顔をしていたっけ。私も「魔がさし」たら、糸瓜になってみたいな。昔は浴用に使われたとモノの本にも書いてあり、私も使った覚えはあるのだが、今ではどうだろうか。もはや、無用の長物(文字どおりの長物)と言ったほうがよさそうだ。ここ何年も、糸瓜のことを忘れていた。この句に出会って、それこそ「どうもどうも」という気分になっている。俳誌「花組」(1999年秋号)所載。(清水哲男)


March 2332000

 春の月水の音して上りけり

                           正木ゆう子

か、あるいは大きな河の畔での情景だろう。水に姿を写しながら、ゆっくりと上るおぼろにかすむ月。周辺より聞こえてくる水の音は、さながら月が上っていくときにたてている音のようである。掲句を写生句と見れば、このような解釈も成り立つが、しかし、作者はむしろ幻想に近い作品と読んで欲しいのではあるまいか。句の姿勢からして難しい言葉を使っていないし、できるだけ俗世界に通じる具象を排除したがっているように思えるからだ。すなわち、ここでは本当にかすかな水音をたてながら、月が上っているのだと……。だから、月がおぼろに見えるのは、水に濡れているせいなのだ。無数の水滴をまとっている月だからなのである。それにしても、水の音をさせながら上ってくる月とは、なんという美しい発見にして発想なのだろう。もってまわった表現をすることもなく、ここまで大きな幻想世界を描き出した作者に脱帽したい。これからの俳句での抒情の地平が、まだ大きく広がっていく可能性のあることを、雄弁に示唆している句だとも言える。一読感心。「俳句研究」(2000年2月号)所載。(清水哲男)


October 01102000

 林檎投ぐ男の中の少年へ

                           正木ゆう子

が大勢いて、そのなかの少年に投げたのではない。男は、一人しかいない。その一人のなかにある「少年性」に向けて投げたのだ。「投ぐ」とあるが、野球などのトス程度の投げ方だろう。ちょっとふざけて、少し乱暴に投げた感じもある。いずれにしても、作者は投げる前に、キャッチする男の子供っぽい仕草を読んでいる。そんな仕草を引きだしたくて、投げている。何故と聞くのは野暮天で、楽しいからに決まっている。他愛ないことが楽しいのは、恋人たちの特権だ。それにしても男女の間柄で、女はなかなか少女の顔を見せないのに、男はすぐに少年になるのは、それこそ何故なのだろう。女のことはわからないが、よほど男は甘える対象に餓えているのかと、思ったりする。パブリックな社会では、男の甘えは許されない。甘えは「幼稚」という評価につながり、互いに「大人」のヨロイカブトで牽制しつつ、「少年」を隠しあう。だから、いかにタフな男でも、息が詰まる。詰まるから、私的な空間ではたちどころに女に甘えてしまう。……なあんて、ね。掲句に対する「大人」の男の最も礼儀正しい態度は、俯いて「ごちそうさま」と言うことである。『水晶体』(1986)所収。(清水哲男)


August 1882001

 ひぐらしや尿意ほのかに目覚めけり

                           正木ゆう子

の「目覚め」の時は、朝なのか夕刻なのか。早朝にも鳴く「ひぐらし(蜩)」だから、ちょっと戸惑う。「尿意ほのかに」からすると、少し遅い昼寝からの目覚めと解するほうが素直かなと思った。つまり、ほのかな尿意で目覚めるほどの浅い眠りというわけだ。そんな眠りから覚めて、覚醒してゆく意識のなかに、まず入ってきたのは「ひぐらし」の声だった。もう、こんな時間。もう、こんな季節。ほのかな寂寥感が、ほのかな尿意のように、身体のなかの遠くのほうから滲むように忍び寄ってくる。寂寥を心理的にではなく、体感的にとらえることで、説得力のある一句となった。人はこのようにして、不意に謂われのない寂しさに囚われることがある。しかもその寂しさは悲しみに通じるのではなく、むしろ心身の充実感につながっていくような……。寂しさもまた、人が生きていくためには欠かせない感情の一つということだろう。作者はそのあたりの機微にとても敏感な人らしく、次のような佳句もある。「双腕はさびしき岬百合を抱く」。この句にも、しっかりとした体感が込められているので、一見大げさかと思える措辞が少しも気にならない。『悠 HARUKA』(1994)所収。(清水哲男)


October 29102001

 トンネルの両端の十三夜かな

                           正木ゆう子

宵は、待ちに待った「十三夜」だ。待っていた理由には、二つある。一つは、小学生時代に覚えた戦前の流行歌『十三夜』の歌詞に出てくる月を、ぜひともそれと意識して見てみたいという願望を持ちながら、一度も見たことがなかったこと。中秋の名月とは違い、誰も騒がないので、つい見るのを忘れてきてしまった。今宵こそはというわけだが、天気予報は「曇り後晴れ」と微妙。昭和十六年に流行ったこの歌の出だしは「河岸の柳の行きずりに ふと見合わせる顔と顔」というもので、およそ小学生向きの歌ではないけれど、意味もわからずになぜか愛唱した往時が懐かしい。で、最後に「空を千鳥が飛んでいる 今更泣いてなんとしょう さようならとこよない言葉かけました 青い月夜の十三夜」と「十三夜」が出てくる。「十三夜」は「青い」らしい。もう一つの理由は、恥ずかしい話だが、この歌を覚えてから三十年間ほど、「十三夜」は十五夜の二日前の月のことだと思い込んでいたこと。ところがどっこい、陰暦九月十三日の月(「後の月」)のことだと知ったときには、仰天し赤面した。そんなわけで、「十三夜」の句に触れると身体に電気が走る。掲句の作者は、車中の人だろう。「十三夜」と意識して月を見ていたら、車はあえなくもトンネルへ。そしてまたトンネルを抜けると、さきほどの月がかかっていたというのである。月見の回路が、無事につながった。現代の「十三夜」は、かくのごとくに乾いている。もう、青くはないのかもしれない。「俳句研究」(2001年10月号)所載。(清水哲男)


January 2512002

 かの鷹に風と名づけて飼ひ殺す

                           正木ゆう子

語は「鷹」で冬。鷹の種類は多く夏鳥もいるのだが、なぜ冬季に分類されてきたのだろう。たぶんこの季節に、雪山から餌を求めて人里近くに現れることが多かったからではあるまいか。一読、掲句は高村光太郎の短い詩「ぼろぼろな駝鳥」を思い起こさせる。「何が面白くて駝鳥を飼ふのだ。/動物園の四坪半のぬかるみの中では、/脚が大股過ぎるぢやないか。……(中略)これはもう駝鳥ぢやないぢやないか。/人間よ、/もう止せ、こんな事は。」。心情は同根だ。「風」などと格好良い名前をつけられてはいても、結局この鷹は、生涯颯爽と風を切って飛ぶこともなく「飼ひ殺」しにされてしまうのだ。「俳句」(2002年2月号)を読んでいたら、作者はこの句を、動物園で見たみじめな状態の豹に触発されて詠んだのだという。「あきらめきった美しい豹」。となれば、なおのこと句は光太郎詩の心情に近似してくる。ただ、詩人は「もう止せ、こんな事は」と声高に拳を振り上げて書いているが、句の作者はおのれの無力に拳はぎゅっと握ったままである。これは高村光太郎と正木ゆう子の資質の違いからというよりも、自由詩と俳句との様式の違いから来ているところが大だと思った。いまの私は「もう止せ」と静かに言外に述べている俳句のほうに、一票を投じたい。俳誌「沖」(1989)所載。(清水哲男)


June 1762003

 アマリリス男の伏目たのしめり

                           正木ゆう子

アマリリス
語は「アマリリス」で夏。熱帯の百合とでも言うべき華やかさと気品がある。私がすぐに思い出すのは、小沢信男の「四方に告ぐここにわれありアマリリス」で、まことに言い得て妙。その気品であたりを払うような存在感が、しかと刻まれている。擬人化するとすれば、男はたいていこの句に近い感覚で扱う花だろう。ひるがえって、掲句は女性の感覚でつかまえたアマリリスだ。小沢句の花も正木句のそれも、ともに昂然といわば面を上げているところは同じだ。が、いちばんの違いは、小沢句が花を自分に擬していないのに対して、掲句は直裁的に述べてはいないけれど、最終的にはみずからに擬している点である。当たり前と言えば当たり前で、男が自分を花に例えるなどめったにない。せいぜいが散り急ぐ桜花くらいか。ただ当たり前ではあっても、掲句の展開にはどきりとさせられた。花に擬すとはいっても、男は「立てば芍薬坐れば牡丹」などと、いつも外側からの擬人化であるのに比べて、女性はどうやら花の内側に入り込んでしまうようなのである。擬人化した主体が花化している。入り込んでいるので、ちょっと蓮っ葉な「男の伏目たのしめり」という物言いも嫌みにならない。すべてを当人が言っているのではなくて、花が言っているのでもあるからだ。常日ごろ「伏目」がちの私としては、この句を知ったときから、女性をアマリリスの精だと思うことにしている。そう思ったほうが、気が楽になる。半分はホントで、半分はウソだけど……。『水晶体』(1986)所収。(清水哲男)


July 0172003

 兄亡くて夕刊が来る濃紫陽花

                           正木ゆう子

先あたりに、新聞が配達される家なのだろうか。庭の隅には、紫陽花が今を盛りとかたまって咲いている。今日もまた、いつもと同じ時間に夕刊が配達されてきた。しかし、いつも待ちかねたように夕刊を広げていた兄は、もうこの世にはいないのだ。いつもと同じように夕刊は配達されてくるが、いつもと同じ兄の姿は二度と見ることは出来ない。なんでもない日常、いつまでもつづくと思っていた日常を失った寂しさが、じわりと心に「濃紫陽花」の色のように染み入ってくる。夕刊は朝刊に比べると、一般的にニュース性には欠けるエディションだ。昼間の出来事を伝える役割だから、よほど大きな事件があっても、それまでに他のメディアや人の話から、大略のことは承知できているからである。したがって、朝刊のように目を瞠るような紙面は見当たらないのが通常だ。だから、夕刊のほうがより安定した日常の雰囲気を持っていると言える。その意味で、掲句の夕刊は実によく効いている。作者はこの兄(俳人・正木浩一)とはことのほか仲良しであり尊敬もしていたことは、次の一句からでもよくわかる。「その人のわれはいもうと花菜雨」。また「帰省のたびに、私は兄とそれこそ朝まで俳句について語り合ったものだ」とも書いているから、俳句の手ほどきも受けたのだろうし、後年には良きライバルであったのだろう。亡き兄のことを思い出しつつ、作者は投げ込まれたままの白い夕刊に目をやっている。だんだん、夕闇が濃くなってくる。『悠 HARUKA』(1994)所収。(清水哲男)


September 1692004

 新宿の炸裂もせず秋ひでり

                           正木ゆう子

書林から『正木ゆう子集』(セレクション俳人・20)が出た。かねてから読みたいと思っていた第一句集『水晶体』(1986・私家版)から全句が収録されているので、私的にも嬉しい刊行だ。この句も『水晶体』より選んだ。「秋ひでり」は「秋日和」ではなく、むしろ残暑厳しい「秋暑し」の謂いだろう。当歳時記では「残暑」に分類しておく。まったくもって新宿という街は、いつ出かけても雑然を越えて猥雑であり、田舎の友人などは頭が痛くなるから嫌いだという。「地鳴り」という言葉があるが、新宿には「人鳴り」とでも言うべき独特の喧噪がある。街全体がうわあんと唸っているかのようで、風船のようにどこかをひょいと突ついてやれば、確かに「炸裂」してもおかしくはない雰囲気である。だが、この街は炸裂しない。猥雑な空気の中にもどこか忍耐強い緊張感があって、何が起きてもどどっと崩壊したりはしないのである。この句は、そんな街の緊張感を描いていて秀逸だ。「秋ひでり」はなおしぶとく暑く、しかしその暑さに捨て鉢になる寸前でじっと耐えているような新宿の空気のありようを、一息に伝える力を感じた。「炸裂」という抽象的な言葉もよく生きているし、作者の青春性も漂ってくる。ついでに言えば、渋谷や原宿、六本木などという繁華街ではこうはいくまい。これらの街はまだまだ薄っぺらで、新宿のような多重層的とでも言うべき緊張感はないからである。(清水哲男)


December 30122004

 搗きたての冬雲の上ふるさとへ

                           正木ゆう子

語は「冬(の)雲」。いまや「ふるさと」へも飛行機で一っ飛びの時代だ。帰省ラッシュは今日もつづく。句のように、弾んだ心で乗っている人もたくさんいるだろう。地上から見上げると空を半ば閉ざしている暗い冬の雲も、上空から見下ろせば、日の光を浴びてまぶしいほどに真っ白だ。そのふわふわとした感じを含めて、作者はまるで「搗きたての」餅のようだと詠んでいる。いかにも子供っぽい連想だが、それだけ余計に読者にも楽しい気分が伝わってくる。ただしこの楽しさは、私のような飛行機苦手男には味わえない(笑)。なんとも羨ましい限りである。話は句から離れるが、その昔、ぎゅう詰めの夜行列車に乗っていて、よくわかったことがあった。周囲の人の話を聞くともなく聞いていると、帰省ラッシュとはいっても、楽しい思いで乗っている人ばかりじゃないということだった。年末年始の休暇を利用して厄介な話し合いのために帰るらしい人がいたり、都会暮らしを断念して都落ちする人がいたりと、乗客の事情はさまざまだ。そんな人たちを皆いっしょくたにして、テレビ・ニュースは帰省の明るさだけを強調するけれど、あのように物事を一面的楽天的にとらえるメディアとは何だろうか。そこで危険なのは、私たち視聴者がそうした映像に引きずられ慣れてしまうことだ。何も考えずに、物事に一面的楽天的に反応してしまうことである。テレビは、生活のための一つの道具でしかない。その道具に、私たちの感受性をゆだねなければならぬ謂れは無い。『水晶体』(1986)所収。(清水哲男)


March 2232005

 サヨナラがバンザイに似る花菜道

                           正木ゆう子

語は「花菜(はなな)」で春。「菜の花」のこと。ふつう「サヨナラ」の仕草は片手をあげ、「バンザイ」は両手で表現する。だから「似る」わけはないのだが、そうでもないときがある。たとえば、子供たちの卒業式からの帰り道だ。一面に「花菜」が咲き乱れる道を,いつものように連れ立って帰ってゆく。が、今日は特別の日だ。別れ道で「じゃあね」といつものように片手をあげて別れるのだが、しばらくすると遠くのほうから「サヨーナラーッ」と声がする。見ればいま別れた友だちが、手を振っている。で、こちらも振りかえす。遠ざかりながら何度も手を振りあううちに,最後は双方とも両手をあげて大きく振るようになる。傍目からすれば「バンザイ」の仕草に似てしまうわけだが、当人たちにはあくまでも「サヨナラ」なのだ。いや、たとえ最後まで片手を降っていたとしても,花菜道の明るさが「バンザイ」を想起させるということでもよさそうである。微笑してそんな情景を見ている作者には、しかし「サヨナラ」が「バンザイ」に似ようとも,彼らのこれからの長い人生のことなどがちらと思われて、すっと甘酸っぱいようなほろ苦いようなものが、胸をかすめたことだろう。この「バンザイ」に似た「サヨナラ」で,親しく手を振りあった同士が、もう二度と会わないことだってあるとするならば……。『悠 HARUKA』(1994)所収。(清水哲男)


December 06122005

 熊を見し一度を何度でも話す

                           正木ゆう子

語は「熊」で冬。冬眠するので、この季節の熊は洞穴にひそみ姿を現さない。では、何故冬の季語とされているのだろうか。推測だが、活動が不活発な冬をねらって、盛んに熊狩りが行われたためだと思う。さて、掲句。これは人情というものだ。猟師などはべつにして、滅多に見られない熊と遭遇した人は、誰彼となくその体験を話したくなる。近年では住宅街に出没したりもするから、そんな意外性もあって、最初のうちは聞く人も真剣に耳を傾けてくれるはずだ。だが、調子に乗って何度も話しているうちに、やがて周囲は「また熊か」と鼻白むようになってくるが、話す当人は一向に気づかず「何度でも」話したがるという可笑しさ。そんな状況にある人を、作者は微笑して見ている図だ。熊の目撃者に限らずよくある話だが、こうして句に詠まれてみると、読者は「待てよ、自分も同じような話を人にしているかもしれない」と、ちょっぴり不安になるところもあって面白い。そして、もう一つ。この人はおそらく、生涯この話をしつづけるのだろうが、そのうちに時間が経つにつれて、話にも尾ひれがつきはじめるだろう。熊の大きさは徐々に大きくなり、コソコソと逃げ去ったはずが互いに睨み合った話になるなど、どんどん中味は膨らんでゆく。これは当人が嘘をつこうとしているのではなくて、実際の記憶の劣化とともに、逆に熊に特長的な別の要素で記憶を補おうとするからに違いない。つまり、記憶はかくして片方では痩せ、もう片方では太りつづけるのである。掲句からはそんなことも連想されて、それこそ微笑を誘われたのだった。「俳句研究」(2005年12月号)所載。(清水哲男)


February 2622007

 桃の日の襖の中の空気かな

                           正木ゆう子

の週末は桃の節句だ。昨日の日曜日を利用して、雛飾りをすませたというご家庭も多いだろう。私は男兄弟ばかりだったので、雛祭りとは無縁だった。我が家には娘が二人生まれたのだけれど、小さい頃からの人形嫌い。雛に限らず、人形を見せられると、おびえてよく泣いたものである。人間そっくりなところが、とても不気味だったようだ。そんなわけで、我が家には雛がない。逆に私は好きなほうだから、デパートなどに飾ってあるとつい見入ってしまう。近所の図書館ではこの時期に毎年何対かを飾ってくれるので、必ず見に行く。デパートや図書館には、むろん襖(ふすま)はないのだけれど、しかし揚句の作者の心の動きは想像できるつもりだ。雛を飾った部屋に流れる優しく暖かい雰囲気に、襖の中の空気までが呼応して息づいていると言うのである。襖の中のことなどは、普段は気にもとめないものだが、やはりそういうところにまで気持ちが動くというのは、飾られた雛がおのずから醸し出す非日常的で華やかな空間意識のせいだろう。この句、受け取りようによってはなかなかになまめかしくもあると思った。「俳句」(2007年3月号)所載。(清水哲男)


June 2162007

 地下鉄にかすかな峠ありて夏至

                           正木ゆう子

えば地下鉄ほど外界から切り離された場所はないだろう。地下鉄からは光る雲も、風に揺らぐ緑の木々も見えない。真っ暗な軌道を轟音とともに走る車両の中では外の景色を見て電車の上り下りを感じることはできない。地下鉄にも高低差はあるだろうが、電車の揺れに生じる微妙な変化を身体で感じるしかないのだ。その起伏を表すのに人工的な地下鉄からは最も遠い「峠」という言葉にゆきあたったとき、作者は「ああ、そういえば今日は夏至」と改めて思ったのかもしれない。昼が最も長く夜が最も短いこの日をピークに昼の長さは短くなってゆく。しかし「夏至」という言葉にその頂点を感じても太陽のあり方に目に見える変化が起こるわけではない。「かすかな峠ありて夏至」と少し間延びした言葉の連なりにその微妙な変化を媒介にした地下鉄の起伏と太陽の運行との結びつきが感じられる。都会生活の中では、自然の変化を肌で感じられる場所はどんどん失われている。だが、味気ない現実に閉じ込められるのではなく作者は自分の身体をアンテナにして鉄とコンクリートの外側にある季節の変化を敏感に受信している。「かすかな」変化に敏感な作者の感受性を介して都会の暗闇を走る地下鉄は明るく眩しい太陽の運行と結びつき、それまでとは違う表情を見せ始めるのだ。『静かな水』(2002)所収。(三宅やよい)


February 0122008

 白鳥にもろもろの朱閉ぢ込めし

                           正木ゆう子

はあけとも読むが、この句は赤と同義にとって、あかと読みたい。朱色は観念の色であって、同時に凝視の色である。白鳥をじっと見てごらん、かならず朱色が見えてくるからと言われれば確かにそんな気がしてくる。虚子の「白牡丹といふといへども紅ほのか」と趣が似ている。しかし、はっきり両者が異なる点がある。虚子の句は、白牡丹の中に自ずからなる紅を見ているのに対し、ゆう子の方は「閉ぢ込めし」と能動的に述べて、「私」が隠れた主語となっている点である。白鳥が抱く朱色は自分の朱色の投影であることをゆう子ははっきりと主張する。朱色とはもろもろの自分の過去や内面の象徴であると。イメージを広げ自分の思いを自在に詠むのがゆう子俳句の特徴だが、見える「もの」からまず入るという特徴もある。凝視の客観的描写から内面に跳ぶという順序をこの句もきちんと踏まえているのである。『セレクション俳人正木ゆう子集』(2004)所載。(今井 聖)


June 1962009

 それは少し無理空蝉に入るのは

                           正木ゆう子

句をつくる上での独自性を志す要件はさまざまに考えられるが、この短い形式における文体の独自性は究極の志向といっていいだろう。優れた俳人も多くは文体の問題はとりあえず手がつかない場合が多い。自由律でもない限り575基本形においてのバリエーションであるから、オリジナルの余地は極端に少ないと最初から諦めているひとがほとんどではないか。否な、自由律俳句といえど尾崎放哉のオリジナル文体がその後の自由律の文体になった。自由といいながら放哉調が基本になったのである。内容の新と同時に器の新も工夫されなければならない。この句の器は正木さんのオリジナルだろう。33255のリズムの器。「無理」の言い方が口語調なのでこの文体が成立した。その点と魅力をもうひとつ。「少し」がまぎれもない「女」の視点を感じさせる。男はこの「少し」が言えない。オリジナルな「性」の在り方も普遍的な課題である。『夏至』(2009)所収。(今井 聖)


March 0532012

 暗室に酸ゆき朧のありて父

                           正木ゆう子

ジカメの普及で、フィルム現像液の「酸ゆき」匂いを知る人も少なくなってきた。昔のカメラ・マニアは、撮影したフィルムを自宅で現像し、自宅でプリントしたものだった。私の父もそんな一人だったので、句意はよくわかる。「暗室」といっても、プロでないかぎりは、どこかの部屋の片隅の空間を利用した。私の父の場合は風呂場を使っていたので、入浴するたびに独特の酸っぱい匂いがしたものだ。戦争中にもかかわらず、私の国民学校入学時の写真が残っているのは、父が風呂場にこもって現像してくれたおかげである。句の「朧」は詠んだ素材の季節を指しているのと同時に、そんな父親の姿を「おぼろげ」に思い出すという意味が重ねられている。それを一言で「酸ゆき朧」と言ったところに、若き正木ゆう子の感受性がきらめいている。昔の写真は、カメラ本体を除いてはみなこうした手仕事の産物だ。おろそかにしては罰が当たる。……というような思いも、だんだんそれこそ「朧」のなかに溶けていってしまうのだろうが。『水晶体』(1986)所収。(清水哲男)


June 0162014

 麦刈りのあとうすうすと二日月

                           正木ゆう子

西欧は麦の文化で、東洋は米の文化。これは、乾燥した気候と湿潤な気候風土によって形成された食文化の違いでしょう。麦は畑作で、米は水田耕作。田んぼは水を引くので、保水地帯として森を残しておく必要があり、これが生態系に配慮された里山を形作っていました。一方、麦畑はそれほど保水を必要としないので、森を切り開いて畑を拡大していきました。産業革命以降、西欧の農地がすばやく工場に転換できた理由の一つは畑作だったからであるという考え方があり、一理あるかなとも思います。現在、小麦の国内自給率は10%台で、生産地は西欧の気候に似た北海道が中心となっています。さて本題。掲句の舞台はわかりませんが、広大な麦畑を空へと広げて読めそうです。「麦刈りのあと」なので、刈られる前と後の光景を比較できます。刈られる前、麦は子どもの背の高さくらいまで実っていたのに、刈られた後は根元が残っているだけ。しかし、刈られた後には何もない広大な空間が生まれました。空間が広がったぶん、二日月は、より一層研ぎ澄まされて鎌の刃のような鋭い細身を見せています。それは、かつて鎌が麦の刈り取りに使われていたことを暗示していて、麦が刈り取られてできた地上の空間の上に、鎌の刃のような二日月が空に輝く光景は、超現実主義の絵画のようです。暖色系の色合いも含めて「菜の花や月は東に日は西に」(蕪村)に通じる地上から天上にわたる実景ですが、一面の菜の花とは違って、刈り取られた空間と二日月には、欠落した美を創出しようとする作者の意図があると読みました。そう思って読み返すと、「うすうす」が効いています。『夏至』(2009)所収。(小笠原高志)




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