若い頃はホテルの朝飯など見向きもしなかったが、最近は楽しみになっている。特に朝粥。




1999ソスN10ソスソス17ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

October 17101999

 広瀬川胡桃流るる頃に来ぬ

                           山口青邨

桃(くるみ)は山野の川辺に生えているので、実が川に流れているのは普通の光景なのだろう。私は見たことがないけれど。地味な色の胡桃が川に見えるというのだから、水の清らかさを歌った句だ。澄んだ川水を讃えることで、広瀬川の流れる土地に挨拶を送っている。旅行者としての礼儀である。ところで「広瀬川」というと、あなたはどこの川を連想されるだろうか。詩の好きな読者なら、萩原朔太郎の「広瀬川白く流れたり」(詩集『郷土望景詩』所収)の一行から、前橋市のそれを思われるかもしれない。が、句の広瀬川は仙台の川だ。仙台市の西と北の丘陵地から東の田園地帯へと流れている。「青葉城恋歌」にも登場してくるのが、こちらの広瀬川。ややこしいけれど、違う川を連想したのでは、句味がまったく異なってしまう。「隅田川」や「セーヌ川」なら混乱は起きないにしても、俳句に地名や固有名詞を詠み込む難しさを感じざるを得ない。同時に、俳句が身内やその土地のなかで成立してきた内々の詩型であることについても……。今日の私は仙台にいる。広瀬川を眺めてから、帰京するとしよう。(清水哲男)


October 16101999

 じゅず玉は今も星色農馬絶ゆ

                           北原志満子

ゅず玉(数珠玉)と農馬(農耕馬)が結びつくのは、この草が水辺に自生する植物だからである。「馬洗ふ」という夏の季語もあるように、農耕に疲れた馬を川や湖で洗って疲労を回復させてやるのが、夕暮れ時の農家の日課であった。馬の行水だ。そんな光景のなかでは、いつも数珠玉が群生して揺れていた。なのに現在では農作業の機械化がいちじるしく進み、もはや農耕馬が存在したことすらも忘れられかけている。一方の数珠玉はといえば、昔と変らず秋風に揺れているというのに……。「星色」とは、数珠玉の実が緑色から灰白色(ないしは黒色)に変わっていく途中の色を指したのだろう。少年時代、私の村にも十数頭の農馬がいた。だから、行水の光景にも親しかったし、作者の思いもよくわかる。で、秋の農繁期が終わると、これらの馬を集めて競馬が行われた。文字どおりの「草競馬」だった。日頃激しい労働はしていても、走るトレーニングなどしたこともない馬たちのレースは、子供心にもなんだか哀れに思えたものだ。馬力はあっても、脚が出ないのだ。句を読んで、ふとそんなことも思い出してしまった。ちょっぴり泣けてきた。『北原志満子』(1996・花神現代俳句シリーズ)所収。(清水哲男)


October 15101999

 手でひねり点け手でひねり消す秋灯

                           京極杞陽

灯は「あきともし」と読ませる。そういえば、以前の電燈のスイッチは電球の真上についていた。いまでは部屋の片隅に取り付けてあるスイッチを押すか、ぶら下がっている紐を引っ張って点灯する様式のものが普通だ。いちいち電球の上に手を伸ばして「ひねり点け」るのが面倒なので、改良されたというわけである。作句年代を調べたら、1976年(昭和51年)とあった。そんなに昔のことでもない。それにしても、妙なことに感心する人もいたものだ。……と思うのは間違いで、この様式のスイッチだからこそ「秋灯」と結びつく句になったのである。そぞろ寒さが感じられる秋の夜に、電燈のぬくもりは心地よい。このスイッチでないと、秋灯の温度が体感できないということである。今様のスイッチは電燈から遠く離れていて、もはやこの情趣とは無縁になってしまった。道具ひとつの盛衰が私たちの情感に影響していると考えると、空恐ろしくなってくる。あと半世紀もたたないうちに、この句は図解でもしないと理解不能になるだろう。『さめぬなり』(1982)所収。(清水哲男)




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