本日は外出を控え運動はしない(笑)ことにする。運動会にお出かけの方、ご苦労さま。




1999ソスN10ソスソス10ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

October 10101999

 来賓の姿勢つづきぬ運動会

                           岡本高明

動会に来賓(らいひん)を呼ぶのは、何故なのか。文化祭や学芸会に来賓のいる風景は、私の通った学校では一度も目にしたことがない。ま、常識的に考えて、富国強兵策の名残りだろうとは思うけれど……。「文弱の徒」に用はないというわけだ。で、来賓なる人物はきちんとスーツを着こんでやってきて、テント席の下でお茶なんぞを啜っている(お茶汲みは女生徒の担当だ)。どんな競技が行われても、面白くもないというような顔をして、終始姿勢を崩さない。句は、そのことを言っている。運動会のテーマで、来賓に着目した句は珍しい。作者については何も知らないが、学校関係者なのだろうか。それはともかくとして、この句は必ずしも来賓への皮肉を意図したものではないだろう。ありのままを述べ、後の解釈は読者にゆだねている。すなわち「運動会」に寄り掛かって句をおさめている。まことに「俳句的な俳句」の技法が使われているところが、特徴だ。そんなによい句ではないけれど、俳句的という意味では、なかなかに達者な作品である。本日は「体育の日」。読者のなかに来賓で呼ばれている方がおられましたら、運動場でこの句を思い出していただきたい。なるほど「姿勢つづきぬ」だなあと苦笑されることだけは、請け合いますので。「俳句文芸」(1999年10月号)所載。(清水哲男)


October 09101999

 くらくなる山に急かれてとろろ飯

                           百合山羽公

遊びの帰途。早くも暗くなりはじめた空を気にしながらも、とろろ飯を注文した。早く山を下りなければという思いと、せっかく来たのだから名物を食べておかなければという欲望が交錯している。私にもこういうことがよく起きて、食べ物でもそうだが、土産物を買うときにも「急かれて」しまうことが多い。作者にはいざ知らず、私は優柔不断の性格だから、いろいろと思いあぐねているうちに、時間ばかりが過ぎていってしまうのである。その意味で、この句はよくわかる。たいていの人は、そうではないと思う。名物があったら迷わず早めに食べたり買ったりして、帰りの汽車のなかでは、にぎやかに合評会をやったりしている。実に、羨ましい。「とろろ」は古来、栄養価の高いことから「山薬」といわれて珍重されてきた。自然薯(じねんじょ)を使うのが本来だけれど、希少なために、近年では栽培した長芋などで作る。これを麦飯にかけたのが「麦とろ」。白い飯にかけると食べ過ぎるので、それを防ぐために麦飯が登場したのだそうな。(清水哲男)


October 08101999

 転けし子の考へてをり秋天下

                           上野 泰

さな子供が転んだ(転(こ)けた)。子供は一瞬、自分の身に何が起きたのかわからない。泣きもせず、転んだままの姿勢でじっとしている。作者には、その姿が何かを「考へてを」るように見えている。澄み渡った秋空の下、「考へてを」る子供だけにスポットがあてられ、周辺の景色や音はすべて消されている。大きな青空の下のちっぽけな命。この対比が訴えてくるのは、大人である私たちの命のありようもまた、この小さな子供のそれのようだということである。川崎展宏の鑑賞を引いておく。「カンガエテオリと読んで来る時間のよろしさ、間のよろしさ、秋天(しゅうてん)のもとにこの子だけの居る世界。切ない」。『春潮』(1955)所収。(清水哲男)




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