老人施設と学校の崩壊。結局は、第二次産業の生産力に頼る政治経済文化のせいだぞ。




1999ソスN9ソスソス15ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

September 1591999

 年寄の日と関はらずわが昼寝

                           石塚友二

いていの祝日は押しつけがましいが、敬老の日は、なかでも相当にいやな感じのする日だ。理由は、書くまでもないだろう。年寄りの気持ちも考えずに、各自治体では慰安会などを開いてお茶を濁すのが「敬老の日」だ。そんなお仕着せ行事に「関はらず」昼寝を決め込んだ作者に、拍手を送りたい。だいたい弁当つきやバスによる送迎つきの慰安会など、誰が嬉しいと思うものか。思うとすれば、手間のかかる老人が、その時間だけでも不在になる家族の誰かであろう。たまたま近隣の市の市報を見ていたら、慰安会の対象は60歳以上と書いてあった。げっ。となれば1938年生まれの私も、仮にここの市民であったとすると、出かけていって手品や歌謡ショーを見る資格があるわけだ。でも、仮に出かけたとして、下手な(失礼)芸人が帽子から鳩を出したり、「憧れのハワイ航路」などを歌う中身に耐えられるとは思えない。だいたい「慰安」という発想が、安易なのだ。発想が安易だから、ついでに芸人の芸も安易になる。自治体も芸人も、ともに「おじいちゃん、おばあちゃん」とひとまとめに老人を見下して失礼とも感じない鈍感さが、今日は全国的に我が物顔にまかりとおるのだ。こんな馬鹿なことに税金を使っている場合かよ。(清水哲男)


September 1491999

 聞き置くと云ふ言葉あり菊膾

                           中村汀女

膾(きくなます)は、菊の花びらを茹でて三杯酢などで和えたもの。岩手や山形、新潟あたりでは八百屋の店先に食用菊があり、ごく普通の食べ物だけれど、日本列島も西の地域では、まずお目にかかれない(と思う)。私も三十代になって山形に旅行するまでは、食用菊の知識はあっても、実際には食べたことがなかった。句は汀女五十六歳の作であるから、「聞き置く」とするならば、その是非は年令からして作者自身の判断にゆだねられている局面だろう。会食の席で、誰かに何かを訴えられた。さて、どう返答したらよいものか。いささかの思案のために、菊膾に箸を伸ばしてはみたものの、しょせん即決できるような問題ではない。口中にほろ苦い香気がひろがるなか、作者は「聞き置く」という言葉があることに思いがいたり、さりとてすぐさま「聞き置く」と口に出すことには逡巡している。なぜなら、それは訴えに対する婉曲な拒否の言葉だからだ。関西で言う「考えさせてもらいます」と、ほぼ同義である。どうしたものか。さながら菊膾の風味のように、心はきっぱりと定まらないのである。『紅白梅』所収。(清水哲男)


September 1391999

 蓑虫の出来そこなひの蓑なりけり

                           安住 敦

笑いしながらも、私にとっては切ない句だ。私には、工作をはじめとする「造形」のセンスがないからである。「東京造形大学」だなんて、何年浪人しても、ついに入れないだろう。そうか。蓑虫(みのむし)にも、造形に不得手な奴がいるのか。でも、不得手だと、人間と違って困るだろうなあ。人間なら、不得手はある程度、他人にカバーしてもらえる。実際、私は見知らぬ他人が作ってくれた部屋に住んでいる。そこへいくと、蓑虫は独力で「家」を作らなければならない。下手な奴だって、とにかく作らないことには、ジ・エンドになってしまう。だから、格好悪くても(なんて、蓑虫は思っちゃいないのだが)何でも、無理矢理に作って木の枝などにぶら下がっている。ああ、蓑虫に生まれなくてよかった。でも、人間に生まれたのが実は夢で、明朝目覚めたらやはり「蓑虫」だったりして……(泣)。しかも蓑虫は、雄だと成虫(ミノガ科の蛾)になれば蓑を捨てて世の中を見られるけれど、雌の場合には羽根もなく生涯を蓑のなかで過ごすのだという。私には、耐えられない。というわけで、みなさん、蓑虫を見かけたら、やさしく見守ってあげましょう。それは来世のあなたであり、私であるのかもしれませんから。(清水哲男)




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